発問は,赤
説明は,黒
予想される児童の反応及び注意事項は,( )
※Webワークあります。
(サイト:Flash)
授業展開
レイプオブ南京という本です。
1937年12月。
中国の南京を占領した日本軍が行ったとされる「南京大虐殺」について書かれています。
次のようなことが書かれています。
『少なくとも、100人の男が、目をえぐり出され、耳と鼻をそがれてから、火炙りにされた。また、別の200人の中国人兵士や市民は、裸で学校の戸や柱に縛り付けられ、 zhuiziと呼ばれる柄のついた特別な針で口やのどや、目など何百箇所も突かれた。 』
(写真をフラッシュで提示)
発問:写真を見た感想。
この本は、アメリカで発売されます。
発問:本を読んだアメリカ人は、日本人のことをどう思ったでしょうか?
「レイプオブ南京」は、アメリカで10万部以上も売れ、ベストセラーになります。
詳しく見ていきます。
(「レイプオブ南京」の連行している写真)
発問:何をしているところに見えますか。
説明には、こうあります。
『日本軍は何千人もの女性を駆り立てた。彼女らのほとんどは強姦されるか、従軍慰安婦にさせられた。(台北、軍事委員会政治部)』
しかし、この写真の出どころは、『アサヒグラフ』1937年11月10日号でした。
前の女の子は、笑っています。
説明は次のようです。
『我が兵士に護られて野良仕事より部落にかえる日の丸部隊の女子供の群れ』
次の写真もあります。
(「レイプオブ南京」の赤ちゃんの写真)
発問:写真を見た感想。
同じ場所で撮った写真です。赤ちゃんは一人ではなかったのです。
発問:どうして最初の写真を使ったと思いますか。
他にも同じような写真ばかりでした。
新聞報道です。
今までに誰が、どこでがはっきりした「南京大虐殺」の写真は一枚も無いのです。
しかし、誰が、どこでがはっきりした南京の写真はあります。
1937年12月17日の南京の写真です。
兵隊さんの買い物
皇軍入城に安堵し場外の畑を耕す農民達
皇軍に保護される避難民の群
和やかな床屋さん風景
発問:これから写真を見るときは、何に気をつければ良いですか?
ノートに一つ書きなさい。
次のような新聞記事が報道されました。
百人斬り超記録 向井106−105野田両少尉さらに延長戦野田「おい、俺は百五だが貴様は?」向井「俺は百六だ!」両少尉は「アハハハ」結局いつまでにいづれが先に百人斬ったかこれは、不問結局「じゃ、ドロンゲームと致そう。だが改めて百五十人はどうじゃ」(向井少尉は)「俺の関の孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろとも唐竹割にしたからじゃ」と飛来する敵弾の中で百六の生き血を吸った孫六を記者に示した。
この記事が証拠となって二人は南京の軍事裁判所に送られます。
しかし、実はこの記事は、創作(ウソ)だったのです。
二人を写したカメラマンの佐藤振寿(しんじゅ)さんは次のよう言います。
『よく聞けば、野田は大隊副官だから、中国兵を斬るような白兵戦では作戦命令伝達などで忙しく、そんな暇はありません。向井も歩兵砲の小隊長だから、戦闘中は距離を測ったり射撃命令を出したり百人斬りなんてできないのは明らかです。』
軍刀修理の専門家は言います。『 日本刀で3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は折れ曲がり、柄ががたがたになる。まして、「鉄兜もろとも唐竹割り」などということは、木刀でマキを割るのと同様に物理的に不可能。』
無実を主張しますが聞き入れられません。
最後の望みは記事を書いた浅海一男記者が「記事は創作」と認めることでした。
裁判中、家族は、必死に頼みます。
だが浅海記者は、「創作だ」とは決して言わなかったのです。
昭和23年1月28日 南京 右花台で二人は処刑されました。
発問: 二人はどのような気持ちで処刑されたでしょうか。ノートに書きなさい。
書けたら起立。
向井敏明さんの遺書にはこう記されていました。
辞世 我ハ天地神明ニ誓ヒ捕虜住民ヲ殺害セルコト全然ナシ南京虐殺事件等ノ罪ハ絶タイニ受ケマセン 死ハ天命ト思ヒ日本男士トシテ立派ニ中国ノ土ニナリマス然レ共魂ハ大八州ニ返リマス我ガ死ヲ以テ中国抗戦八年ノ苦杯ノ意恨流レ去リ日華親善東洋平和ノ因トモナレバ捨石トナリ幸デス中国ノ御奮斗ヲ祈ル日本ノ敢奮ヲ祈ル中国萬歳 日本萬歳死シテ護国ノ鬼ニナリマス天皇陛下萬歳
日本と中国の親善を願って死んでいったのです。
しかし、二人は、現在でも中国にある南京大屠殺紀念館で南京大虐殺の実行犯とされています。
日本人は、戦争後、このように戦勝国7カ国に裁かれました。
有名なのは、先に勉強した東京裁判A級戦犯7名。
しかし、平行して日本だけでなく中国などの各地で裁判があり、
向井さんのように死んでいったのです。
BC級戦争犯罪人としてです。その数1061人。
国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の抗となるなり
7歳と2歳の娘を残して処刑された人の辞世の句です。
「世界平和」を願って死んだ方々の上に私たちはいるのです。
発問:授業の感想を書きなさい。
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