日本国憲法はあす、施行から62年を迎える。来年5月18日には国民投票法が施行され、憲法問題は新たな段階に入る。
声高な改憲論議はその後、鳴りを潜めているが、当たり前だと思っている自分たちの権利や自由が侵害されていないかどうか、憲法の意義と大切さをあらためて考えたい。
国民投票法は2007年5月に成立した。改正原案を審議する憲法審査会が衆参両院に設置されたものの、与野党対立の中で宙に浮いたままだ。審査会規程の制定は見通しが立たず、立法府としての不作為が続くことは好ましくない。
同法は投票年齢を18歳とし、民法の成人年齢や公選法の投票年齢(いずれも20歳)など関係法令を見直すよう求めた。
だが、法制審議会での議論はまとまらず、18歳投票は来年の施行に間に合いそうにない。
憲法は15条で「成年者による普通選挙を保障する」と規定している。改憲の必要はないのだから、投票年齢の引き下げは難しいことではない。世界の大半の国が18歳で選挙権を与えている。若者の権利拡大と政治参加を促すためにも早期に実現すべきだ。
現在の国会論議や次期衆院選の争点としては景気対策など喫緊の課題が優先され、憲法問題は脇に追いやられた感がある。しかし憲法の理念に立ち返って問い直すべき問題は少なくない。
憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるが、昨年来の容赦ない派遣切りや年収200万円以下のワーキングプアの増大は、生存権すら脅かしている。
25条に基づく代表的な法律が生活保護法だ。窓口での対応が少しは弾力的になったとはいえ、財源不足などから受給はまだ不十分だ。
同条2項は国による社会福祉、社会保障の増進をうたっている。年金、医療、介護など国民が安心できる保障制度を確立することは政府の重要な責務だ。同時に、持続可能な制度づくりは党派を超えての課題である。
憲法は国家権力に一定の権限を授けるとともに、権力を制限することで国民の権利と自由を保障している。後者にこそ立憲主義の本質があり、「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)ことを再認識したい。権力は暴走しがちであり、表現や思想・良心の自由は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」(12条)ことも確かだ。
戦後の平和の礎となった9条をめぐる議論は絶えず続いている。自衛隊の海外派遣はソマリア沖などで活動するための海賊対処法案が成立すれば、また歩を進める。海賊行為は本来、周辺国の警察力で取り締まるのが筋であり、自衛隊派遣は抑制的であるべきだ。
北朝鮮ミサイル発射に対抗する形で、専守防衛の枠を超えた敵基地攻撃論や核保有論が自民党幹部からまたもや飛び出したが、悪乗りと言うほかない。
核超大国のオバマ米大統領が核廃絶への決意を表明しているのに、時代に逆行する発言が唯一の被爆国でなされるのは残念だ。
憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、…」と戒めている。主権者である国民は政治が判断を誤らないよう、厳しく監視していく必要がある。
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