憲法/「生存」の土台見つめ直して
失業する人が急増している。この社会の安全網はもろく、そのまま貧困を拡大させる。あすはわが身か。不安が膨らむ。
切迫感はそこまで大きくないにしても、ミサイルを発射した隣の独裁国家の不快な言動も波紋を広げている。「核には核を」といった国内の短絡的な反応も含めてのことだ。
生活と平和。脅かされてはならない暮らしの土台が揺さぶられている。わたしたち国民一人一人の「生存権」が揺らいでいるのではないか。憲法の言葉遣いに倣えば、そう問い掛けることもできる。
わたしたちは憲法の研究者ではないのだから、条文の一つ一つ、一字一句に関心を寄せて日々を過ごしてはいない。
しかし、暮らしの心配事を掘り下げていけば、その問題は必ず、憲法の基本的な精神に行き当たる。大事なそのことを、生活そのものと平和にまつわる不安が増す今、あらためて思い起こしておきたい。
総務省が1日に発表した3月の完全失業率は4.8%。前の月より0.4ポイント、さらに悪化した。完全失業者は335万人に達し、ついに300万人を上回る事態になった。
昨年秋以降、さまざまな統計数値が、雇用不安の深刻化、貧困の増大を示してきた。年末から各地に出現した「派遣村」の光景は、国の安全網の乏しさを象徴的に見せつけた。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。憲法25条が規定するわたしたちの生存権が脅かされている。
政府に問おう。「社会福祉、社会保障の向上、増進」を国に義務付けたこの条文を、これからどう具現化するのかと。
「謝らなければ、核実験を再開する」。隣で北朝鮮がそう叫んでいる。先月のミサイル発射後、国連安全保障理事会が非難の議長声明を採択したことへの警告のつもりのようだ。
永田町に、声高な調子で対抗策を論じ始めた人たちがいる。「核に対抗できるのは核だけだ」「敵地攻撃能力の備えも議論しなければ」
憲法の前文(「平和のうちに生存する権利」)や9条に表される「平和的生存権」にこだわらないわけにはいかない。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないように決意」(前文)した戦後社会の出発点を忘れるわけにはいかない。
平和的生存権は具体的な権利ではなく、憲法の理念をうたったにすぎないという議論がある。イラクへの自衛隊派遣が違憲かどうかが全国11の地裁で争われ、先月、最後の地裁判決が出た一連の訴訟をはじめ、司法判断も分かれている。
しかし、わたしたちにとって学説や判例をめぐる論争の行方は重要ではない。平和が破壊されてしまえば、最低限の暮らしを営む生存権だって保障されるはずがないではないか。その明白な前提こそが重いのだ。
憲法を教典のようにあがめ奉る必要はないが、「生存」にかかわる盾として生かす視点を、もっと大事にしたいと思う。