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憲法25条の今 生存権、空洞化させるな '09/5/3

 すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利がある、と憲法二五条はうたう。しかし派遣切りなどで収入が絶え、すみかも失った人には、この条文はどう響くだろう。

 世界第二位の国内総生産を誇る国で「貧困ライン」以下の所得しかない人が約15%に及ぶ。先進国の中では米国に次いで高い。憲法の保障する「生存権」の内実が問われている。

 昨年末の「年越し派遣村」は象徴的な光景だった。仮設テントに集まったのは五百人。寮を追い出されるなどして屋根の下で正月を迎えられない人たちの多さに、世間は衝撃を受けた。

 働く人の三人に一人は、不安定な「非正規」。しかも細切れ雇用となると、失業保険や健康保険に入りにくい。解雇されたり病気をしたりしたら、すぐさま生活に困窮する。しかし生活保護もすんなりとは受給できない。

 派遣村があぶり出したのは、働く人の足場のもろさ、そして安全網の不十分さだ。村長の湯浅誠さんが言うように、まさに「滑り台社会」である。

 当初、こうした人たちは必ずしも温かい目で見られたわけではない。それは自己責任、つまり努力が足りない、と思われたからである。しかし貧困の責任は本人だけにあるのだろうか。

 不安定な派遣という働き方を多業種に広げたのは小泉内閣の「規制緩和」だ。正社員のいすが減って「努力すれば得られる」というものではなくなった。年長者の雇用を守るため、若い人が労働市場からはじき出された。

 このまま貧困層が増えればどうなるか。社会が二分化し、優しさや思いやり、一体感という日本の持っていたよさが失われ、ぎすぎすした国になるだろう。自殺や、社会にやいばを向ける事件がさらに増えることも予想される。

 とすれば貧困は個人のせいとして片づけずに、社会に突き付けられた問題と受け止めなければなるまい。そうした見方も徐々に広がろうとしている。

 当面必要なのは、滑り落ちた人のための「階段」である。相談窓口と緊急の避難所をセットで設ける。小口の貸付制度を使いやすく、アパートを借りやすくする。そうした細かい施策が、はい上がる足場になる。

 貧困を生み出す構造にも切り込まなければならない。強者に都合のいい規制緩和の負の部分を、どう修正するか。生活できる賃金をどう保障していくか。

 大きく開いた貧富の差も縮めなければならない。所得が二千五百万円以上になると所得税、社会保険料、消費税の三つを合わせた負担率は下がっていくとの試算がある。所得の再配分が急がれる。

 六十二年前のきょう、憲法が施行された。貧困の原因は社会の経済制度そのものの中にあり、手当ては国の責務―という姿勢が明快だ。そこで打ち立てられたのが、人間の尊厳に基づく「生存権」だった。空洞化させてはならない。




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