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【社説】

忘れたくないもの 憲法記念日に考える

2009年5月3日

 寒空の下のテント村が思い出させたもの、“北”をにらむミサイルが忘れさせたもの…いずれも憲法の核心です。いまこそそれを再確認しましょう。

 東京の都心、日比谷公園に仕事と住居を失った五百人以上ものテント村ができたのは、昨年末から今年はじめにかけてでした。市民団体、労組や弁護士らが企画した「年越し派遣村」は、「百年に一度」といわれる経済危機の中、この国で起きていることをだれの目にも見える形にしました。

 それは、“一億総中流”の幻に惑わされて多くの日本人が忘れかけていたものを、思い出させてくれました。

生存権の保障は自前

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法第二五条第一項)−第二項は国に社会保障、福祉の向上、増進を命じています。

 改憲論者から押しつけと攻撃される憲法ですが、生存権を保障したこの規定は衆院の審議で追加された自前の条項です。

 第一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については(中略)国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっています。

 現実はどんな状態でしょうか。

 OECD(経済協力開発機構)のデータによる、いわゆる貧困率は先進国中で第二位、金融広報中央委の調査では、一九八〇年代に5%前後だった貯蓄ゼロ世帯が二〇〇六年には23%に増え、三千万人が何の蓄えもなしにその日暮らしをしています。

 景気回復期といわれた〇三年から〇六年にかけてさえ被雇用者の賃金は下がり続け、年収二百万円以下の給与所得者は一千万人を超えています。雇用労働者の三分の一が、万一の場合の安全策もない非正規雇用です。

社会の階層化が進む

 貧困層が急増し「富める者はますます豊かに、貧しい者はますます貧しく」なり、社会が分断されつつあるのです。貧困が親、子、孫と継承される社会の階層化も急速に進みつつあります。

 誰でも働いてさえいれば食べていける状態が崩れ、最近は働く場さえ次々なくなっています。仕事を失えば住まいもなくなって路上に放り出され、たちまち生命の危機に瀕(ひん)します。

 「個人として尊重される」どころか、モノのように扱われ、捨てられているのです。

 人間らしく生きるための最低条件を保障すべきセーフティーネットもほころびだらけです。

 派遣村には、警察からも、ハローワークからも、なんと社会保障の役所側窓口である福祉事務所からも、職と住居のない人が回されてきました。

 警察は自殺を図った人を保護しても連れて行く所がなく、ハローワークは失業手当をもらえない非正規雇用の被解雇者から相談されても何もできなかったのです。行政が大都市に設けている一時宿泊所は定員が少なく、急増する困窮者に対応しきれません。

 政府は「過去最大、十五兆円の財政出動」など景気回復、雇用拡大策を派手に打ち出しています。

 しかし、数字からは個人が見えてきません。人間としての苦しみや悲しみが無機質な数字でかき消されないよう、派遣村の熱気と緊張感を思い出しましょう。

 景気回復は当面の最大課題ですが、雇用、福祉制度の見直しも同じく急務です。雇う側、使う側の視点から雇われる側の視点へ、効率、コスト優先から人間らしく生きる権利の最優先へ−憲法第一三条、第二五条の再確認が必要です。

 桜前線が北上し、派遣村の余韻が消えかかったころ、今度は「北朝鮮ミサイル」のニュースが注目を集めました。政府は対応策を積極的にPRし、危機感をおおいにあおりました。

 その効果でしょうか、一般道路を走る迎撃ミサイル運搬のトレーラーや、首都の真ん中で北の空をにらむミサイルの映像にも、違和感を覚えた人はさして多くなさそうです。北の脅威、迎撃などの言葉が醸し出す緊迫感は、憲法第九条の存在感を薄れさせました。

 ソマリア沖では海賊対策とはいえ自衛艦が堂々展開し、自衛隊の海外派遣を恒久化する動きも急ですが、国会外ではあまり議論が起きません。現実を前にして憲法の規範性が危うくなっています。

現実に流されない覚悟

 自民党を中心に広がった幻想のような改憲論が沈静化したいまこそ、憲法に適合した政治、行政の実現を目指したいものです。

 それには、国民の一人ひとりが「忘れたくないもの」をはっきりさせ、目まぐるしく動く社会の現実に決して流されない覚悟を固めなければなりません。

 

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