「ディズニーの国」という月刊誌の1963年10月号に手塚治虫自身が子供たち向けの短い文章を寄稿しています。
<引用開始>
「ディズニーさんとぼく」
こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやことしがちがいます。
でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。
ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。
ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。
はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。
このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないものです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。
ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! 馬場康夫著 講談社
この本にはこのように書かれています。
<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。
そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。
<中略>
エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑まずにはいられない。
<引用終了>
東京ディズニーランドがオープンして数年後だったと思いますが、閉園後のワールドバザール内でイヴサンローランのショーが行われました。
私はショー開始前に、ワールドバザールを歩く手塚治虫氏の姿を忘れられません。ひょうひょうと歩いているのですが、何かスーっと姿が消えていきそうな「現生の人」ではないようなオーラを感じました。
以前にこのように記しました。
2年ほど前、島根県出雲市平田青年会議所様への講演時に、役員の方からこんな話を聞きました。
平田地区の子供たちを楽しませるイベントにミッキーマウスを登場させたいと考えたイベント主催者が、版権を有するウォルト・ディズニーカンパニーに「ぬいぐるみを作りたい」と許可を求めたところ、ディズニー側は「聞かなかったことにします・・・・子供たちの夢を壊さないように、ミッキーそっくりにしてくださいね」
これがディズニーなのです。教えていただいて、とても心が温まりました。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440574.html
ディズニーランドを「やって来させる」プレゼンテーションを成功させたのは、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」や「11PM」の立ち上げに関わった電通出身の堀貞一郎です。
その日本テレビが、「最後のパレード」盗用疑惑を流し続けました。バンキシャでのねつ造問題も記憶に新しいことです。
ウォルト・ディズニーや手塚治虫が何よりも大切にした「愛情」が欠落した日本テレビの低落ぶりにはあきれかえります。
最後に・・・大きな疑問です。ディズニーランドのオフィシャルスポンサーである講談社は、内部情報の「かたまり」であるこの本を書く許可をオリエンタルランドに求めたのでしょうか。(この本は良書で、お勧めの一冊ではあります。)
聞いても「ノーコメント」でしょうから聞きません。それが、「武士の情け」というものではないかと考えます。