【バンコク西尾英之】ミャンマーで昨年5月、死者・行方不明者14万人を出したサイクロン「ナルギス」の襲来から2日で1年。アジア有数の穀倉地帯であるイラワジ川河口デルタ地帯では、海水の逆流を防ぐ堤防がナルギスの直撃で破壊されたままで、水田への海水流入が続いている。現地で農業復興支援にあたる国連食糧農業機関(FAO)の今井伸・ミャンマー代表(60)は「堤防修復に力を入れなければ、デルタのコメ生産は回復しない」と訴える。
今井代表によると、同デルタでは、乾期に川の水量が減ると海水が逆流して水田に流入、稲作が困難になる。これを防ぐため、数十年前から世界銀行の支援も受けて総延長1000キロに及ぶ堤防が建設されてきた。
ナルギスはこの堤防や各地に設置された水門をほぼ完全に破壊。海水が流入した水田では、作付けをしても1ヘクタールあたりの生産量が被災前の5トンから1トン程度に落ち込んだ。
塩分は雨期に上流からの真水である程度、洗い流される。しかし堤防や水門が未修復のままでは、乾期のたびに海水が流れ込み、何年たっても生産は回復しない。
軍事政権は昨年後半から独自に堤防の修復に乗り出したが、「応急修理」にとどまっている。一方で国際社会にとって堤防修復は、インフラ整備への援助を禁じる欧米の対軍事政権経済制裁に触れる恐れがあり、支援しづらい状況だという。
穀倉地帯へのサイクロン直撃で、食糧不足への懸念が強まったが、軍事政権は被災地以外の増産で対応。全国のコメ生産量は前年比3%程度の減少にとどまり、食糧危機は回避された。だが、予定されたバングラデシュやスリランカへの約40万トンの輸出が中止され、これらの国での食糧事情悪化につながった。
今井代表は「堤防が壊れたままでは、次にサイクロンが来ればまた住民の命が失われる。ヒューマンセキュリティー(人間の安全保障)やアジア全体の食糧安全保障の立場からも堤防修復を支援すべきだ」と強調する。
ミャンマーで支援活動を続ける非政府組織(NGO)などの関係者に、サイクロン被災地の現状や今後の課題を聞いた。
日本赤十字社国際部の粉川直樹さん(56)は「30年間、世界の被災地を見てきたが、住環境は今回が一番ひどい。竹やヤシなどで補修しただけの家は、サイクロンが来れば耐えられそうにない。避難場所確保のためにも学校の再建を急がなければならない」と語る。
NGO「難民を助ける会」(東京都品川区)の野際紗綾子さん(32)は「漁師や農民は仕事に欠かせない網や水牛を失い、食べるのにも困っている。援助を続けて生活の糧を取り戻させなければ困窮状態から抜け出せない」と自立支援の重要さを指摘する。
「国境なき医師団」のミャンマー担当、セバスチャン・マットさん(38)は、「家族を失ったトラウマ(心的外傷)に苦しむ被災者は、同じ季節を迎え、症状が悪化する可能性がある。引き続き、精神面のケアも大切だ」と話す。【宮川裕章】
毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊