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戦後最悪という経済不況の嵐が世界を吹き荒れている。そんな中、62回目の憲法記念日を迎えた。
昨年暮れから正月にかけて、東京・日比谷公園にできた年越し派遣村。自動車や家電企業から突然首を切られ、転がり込んできた労働者らが炊き出しの食事で命をつないだ。
約20人の若手弁護士が作るNGO「ヒューマンライツ・ナウ」に属する安孫子理良(あびこ・りら)さんは正月、派遣村での法律相談会に加わった。
■日本に広がる「貧困」
もともとこのNGOは、途上国の人権や貧困問題に取り組んできた。軍事政権下のミャンマー(ビルマ)やパレスチナなどが関心の対象だった。
司法修習生時代にこのNGOを知った安孫子さんは、かつてポル・ポト政権による住民虐殺が起きたカンボジアに足を運び、人権の状況を調べた。今月には、同僚と「人権で世界を変える30の方法」という本を出す予定だ。
ところが、半年ほど前から国内での活動が増え始めた。住む所を追い出されたという失業者、突然帰国を命じられた外国人研修生……。そんな人々と一緒に、役所や企業に出向いて交渉する。派遣村に行ったのも、困った人を放っておけないと感じたからだ。
「途上国は貧しくても、失業した人を受け入れる社会がある。日本の家族や地域共同体にそんな余裕はなくなっています」と安孫子さんは言う。
岐阜県高山市を拠点とするNGO「ソムニード」は、インド南部で農業や林業支援を続けている。貧困から抜け出し、自立を目指す住民たちを手助けするためだ。だが、最近は飛騨の地域おこしにも力を入れ出した。
「飛騨の山村に、インドと同じぐらい深刻な問題があるからです」と、竹内ゆみ子専務理事。過疎化でさびれるばかりの村。稲作指導でインドを訪れた人は、大勢の若者や老人たちが助け合う姿を見て「おかしいのは日本の方ではないかと思った」と話す。
中国から来た農村花嫁に日本語を教え、村の空き家に都市の若者を招いて住民と交流する。地域に活気を取り戻す試みが続く。
海の向こうの貧困問題に取り組んできた人々が今、自らの足元に目を向け始めている。
むろん、途上国の貧困と、世界第2の経済大国の豊かさの中で起きるさまざまな現象を同一には論じられない。
だが、人々の明日の暮らしが脅かされ、教育や医療の機会を奪われる子どもも出てきた。この状況を何と表現すればいいのか。やはり「貧困」という以外にない。この日本にも当たり前の人権を侵されている人々が増えているのだ。豊かな社会全体の足場を崩しかねない危うさが、そこにある。
かつての日本に、もっとひどい「貧困」の時代があった。
■安定社会への見取り図
昭和初期。漁業の過酷な現場で働く若者の姿を描いた小林多喜二の小説「蟹工船」が発表されたのは1929年。金融大恐慌が始まった年だった。日本でも経済が大打撃を受け、都市には失業者があふれ、農村は困窮して大陸への移住も盛んになった。
そうした社会不安の中に政治テロや軍部の台頭、暴走が重なり、日本は戦争と破滅へ突き進んでいく。
この過去を二度と繰り返したくない。繰り返してはいけない。日本国憲法には、戦争をくぐり抜けた国民の思いが色濃く織り込まれている。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」。憲法25条のこの規定は、連合国軍総司令部(GHQ)の草案にもなかったものだ。後に文相を務めた森戸辰男議員らの要求で加えられた。
だれもが人間らしく生きる権利を持つ。政府にはそれを具体化する努力義務がある。当時の欧米の憲法にもあまりない先進的な人権規定だった。
憲法の描く社会の見取り図は明確だ。自由な経済活動によって豊かな社会を実現し、貧困を追放する。同時に国民は平等であり、教育や労働といった権利が保障される。
多くの国民がこうした国家像を歓迎したのは当然だろう。日本人は懸命に働き、「一億総中流」と呼ばれる社会を築き上げた。
その中流社会が今、崩れかけている。その先に何が待ち受けているのか。漠然とした不安が広がっている。
派遣村の名誉村長で、反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士は「しわ寄せされた若者たちの間に、この社会をぶち壊したい、そのためなら戦争でもやったらという、極端な空気さえ感じることがある」と語る。
■25条と向き合う時代
右肩上がりの経済成長が続いていた間、国民はほとんど憲法25条を意識することなしに生きてきた。そんな幸福な時代が過ぎ、そこに正面から向き合わなければならない時がきたということなのだろう。
こんなしんどい時だからこそ、憲法の前文を思い起こしたい。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
転機を迎えているのは日本だけではない。世界の戦後秩序そのものが大きく転換しようとしている。そんな中で、より確かな明日を展望するために、やはり日本と世界の大転換期に誕生した憲法はよりどころとなる。