2008年03月27日

ディズニフィケーションと岡山突き落とし事件

痛ましい事件が続いています。特に岡山市での突き落とし事件には衝撃を受けました。


加害者である18歳の少年にはストーリーがありました。もちろんすべての人にストーリーはありますが、少年のストーリーはまさに不幸のストーリーです。報道によるとこのようなものです。


出発点は阪神淡路大震災です。一家は家を失い大阪に移住しました。少年は見ず知らずの土地の小中学校へ通うことになりましたが、その学校でいじめにあったそうです。同級生も生々しくいじめの事実を証言しています。


いじめは相当に辛かったのでしょう、少年は居住地から1時間半も離れた高校を選択しました。
少年にとっていじめのない高校の3年間は、勉学に励む時間となったようです。事実高校での成績は良かったそうです。


それでもです。派遣の仕事に従事する父親とパート勤務の母親が支える家庭は、経済的に苦しかったため、少年は大学への進学をあきらめざるを得ませんでした。少年は2年位働いて学費を貯め、再チャレンジを考えていたとのことです。


このようなストーリーです。


私は講演で「競争至上主義はよい結果を生まない。ディズニー・テーマパークは競争社会ではなく共生社会であるから正しく動いており、正しい結果を生み出すことができている。」と申し上げていますが、この事件の背景には、行き過ぎた競争至上主義があるものと私は考えます。


一生懸命に働いても豊かになれない、一生懸命に勉強しても経済的理由で、大学で学ぶことができない。待っているのはワーキングプアーの世界かもしれない、そんな気持ちが18歳の少年の心を病めたのかもしれない。私にはそう思えてなりません。


日本社会には市場原理主義や金銭至上主義が蔓延し、思いやりや助け合いの精神が失われつつあります。
病気や経済苦による絶望感からでしょう、この国では年間30,000人以上の人が自殺しています。

人を殺めることを断じて許すわけにはいきませんが、このような自ら命を絶っていく人たちを助けることができなければ、殺人事件を含む犯罪行為は到底防ぐことはできない、私はそう断言したいと思います。


このままでは、日本社会はますます荒廃していくことでしょう。私は、この荒廃した日本社会を豊かな社会にすることができるのはディズニフィケーション(社会のディズニー化)しかないと確信しています。


私は小書にこのように書きました。

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「楽しい」の「楽」、「楽をする」の「楽」、どちらも人間にとって必要な「楽」です。楽をすることが楽しいかという意地悪な質問はさておき、私たち日本人は、この何十年、この「楽」を得たいがために、何か大切なものを失ってきてしまったのではないでしょうか。景観、安全、信頼、正義、それとも創り出す力、伝える力、疑ってみる力、人を育てる力でしょうか。あるいは、個人や国のアイデンティティでしょうか。

私には、ディズニーランドには、日本社会が失ってきた何かが、今でも存在するように思えてなりません。武士道や菜根譚の教えか、日本古来の価値観かもしれません。

『すべてのゲストがVIP』東京ディズニーランドで教えるホスピタリティ より
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この日本古来の価値観を大切にする社会がディズニフィケーションされた世界です。皆さんはディズニーというと「マニュアル的」「アメリカ的」と思われるでしょうが、まったく反対なのです。ディズニーの世界は助け合い、分かち合うWIN―WIN(お互いにメリットがある)の世界です。


さらにディズニーの世界の「基本的考え方」つまりOS(基本ソフト)は誰でも共有できるということを申し上げたいと思います。

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日本人は様々な「基本的考え方」を持っています。それは日々の生活や行動の源となる考え方です。中心に仏教の教えがある人たち、キリスト教の教えがある人たち、政治団体や政治結社の思想が中心の人たちなどです。信教も結社も自由ですが、ディズニーランドで働いているときは、ディズニーランドの「基本的考え方」にチャンネルを切り換えてもらわなくてはなりません。

『すべてのゲストがVIP』東京ディズニーランドで教えるホスピタリティ より
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このことが意味することは重要です。なぜならばディズニー・テーマパークで働くすべての人がこの「基本的考え方」を受け入れることができているという事実があるからです。東京ディズニーランドは4月15日で25周年を向かえます。この間、すべてのキャスト(従業員)がディズニーの「基本的考え方」に基づき働いてきました。公明党を支持する人も、共産党を支持する人も、在日朝鮮人の人もすべてのキャストがディズニーの「基本的考え方」に同意してきたのです。


この事実はこのようなことを意味します。それは日本社会をディズニフィケーションしても、この国に暮らすすべての人に抵抗なく受け入れられるということです。


もう一度書きます。ディズニーの世界は助け合い、分かち合うWIN―WINの世界です。日本古来の価値観が体現された社会なのです。このことを重く受け止めていただきたいと願うばかりです。


さて、それでは社会のディズニー化とはどのようなものなのでしょうか。その答えは簡単です。それは「品格」ある社会ということです。
今、日本人やこの国の「品格」が問われていますが、その「品格」の中身を明確にすること、そして「品格」を形成する仕組みを構築することにより日本社会は、間違いなく「品格」ある社会に変貌を遂げていくことでしょう。


私は講演で「品格」づくりについても話しています。それはホスピタリティ・マインドでWIN―WIN、分かち合いの精神で共生を目指すということです。具体論を展開すると本一冊にもなりますが、なんとか取りまとめてみたいと考えております。


最後に冒頭の突き落とし事件についてもう一言。
少年は「父親っ子」と言われるほど父親とは良いコミュニケーションができていたそうです。それでも犯行を防ぐことができなかったのは何故でしょうか。私にもまったく分かりません。


今回の事件には関係ないのかもしれませんが、日本人は欧米的な個人主義になってきたということを耳にします。この個人主義の時代においては、日本の伝統的な「阿吽の呼吸」「以心伝心」的なコミュニケーションスタイルは通用しません。ディズニー的な「科学的」コミュニケーションスタイルによる社会、それがディズニフィケーションされた社会なのです。


ディズニフィケーションを体現するには、だれもが共生できる社会を目指す「森林開拓プロジェクト」を即刻実行に移すことが糸口になります。危機感を持って臨んでいきたいと考えます。

 


 

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