自ら立ち向かう

December
29
2008

 何時の頃からか日本人は困難に立ち向かう気持ちを忘れてしまったのかもしれない。昭和34年生まれの僕でさえ来年は50歳になるのだから、今の日本人の大半は戦後世代ということになり、すくなくとも今の社会で現役で活躍している中心世代は確実に戦後生まれである。戦争の深い傷跡から立ち上がった日本人は、アメリカ流の民主主義という社会構造の大変革の中で、荒廃した精神の拠り所を「復興」に求めた。国民一人一人の思いは異なれど、個の再建がすなわち国家再建に繋がることを意識していたに違いない。奇跡の復興と言われた経済成長を経て63年後の今、世代は変わった。民主主義=平等という意識の中、日本は世界でも類を見ない「格差の少ない社会」と築き上げたと言われている。そこまでは、日本人の、日本社会の輝かしい栄光と表現してもいい。が、その裏で「没個性」が管理社会の高度化とともに蔓延してしまったのではないか?状況が、そして管理社会の構造が「個性」を否定しているのではないか?それこそ日本の高度経済成長を支えた「終身雇用制度」や、教育の現場での「平等主義」による弊害ではないかと思います。

 

 組織に所属すれば何か非常に有利なバリアが自らの周囲に張り巡らされたような錯覚に陥ります。自らが主張せずとも自然に教育の現場では平等に扱われます。戦後63年を経た今、後半の30年間は我々個人は所属することへの安心感に浸り、原理主義で守られる平等を当たり前のものと感じていたに違いありません。そして個々の人生は、「まるで将来が見通せる、計算できるもの」であるかのごとく錯覚しているのだろうと思います。日本人の意識は、自らが将来を切り開くために戦う必要が無くなり、人生を、生活を国家や社会、または企業が保証してくれるという意識が芽生え、それが当たり前のこととして意識されるようになってしまった。現体制が半世紀以上続けば、日本人というものは、かつての江戸時代のように一部の特権階級(武士)に統治されることに慣れ、圧迫されることにじっと耐えていた社会に少しずつ近づいているようでなりません。

 

 日本社会は今、大いなる矛盾の中にかろうじてその体裁を保っているに過ぎません。食品偽装問題が発覚して不正を犯した経営者は、法律ではもちろん、新聞やメディアで徹底的に追求されています。しかし、官僚や公務員の不正に関してはなんと寛容なことでしょう。裏金づくり、年金問題、補助金問題、天下り問題、独立行政法人問題等々ありとあらゆる不正が連日のように報道されているにもかかわらず、国民は怒りをあらわにしません。「スピード違反で検挙されたそのすぐ脇を速度超過の車が通り過ぎる。」このときに「俺だけじゃなくてみんなスピード違反をしてるのに何故捕まえないのか?」と主張しても退けられてしまいます。しかし、この感覚は言い換えれば非常に真っ当なものであると思います。ならば、それをしっかりと主張することをしなければ、物事の解決にはならぬと信じます。その主張が受け入れられるか否かの問題は別として、矛盾を主張する姿勢は常に持ち続けないといけません。

 

 アメリカ発の金融危機、そして全世界的な経済危機に直面した2008年、そしていよいよ2009年はこれをどう克服してゆくのか試される年となるのでしょう。非常に危機的な状況のなかで、日本人はどう立ち向かえばよいのでしょうか?僕は、「個の変革の時代」の到来なのだと思います。従来の日本人の意識では、この危機は乗り越えられないか、またはより我慢し耐える方向へ向かうのかどちらかでしょう。僕にはその双方とも受け入れがたい状況に思えて仕方ありません。そして危機に際して能動的に対処するためには、個の意識変革が必須なのだろうと思っています。「自ら立ち向かう」という意識なくしては、何事も成すことは出来ない・・・。戦後の日本人が、復興に立ち向かった誰もが意識したこの感覚を60年後の今、取り戻さねばならないと思います。

 

 新しい時代は「新しい意識」なくしては成り得ない。僕が常に社員の皆さんに伝えていることです。2008年は今日で仕事納めとなりましたが、新しい年には是非、危機に立ち向かって欲しいと思っています。組織のどのようなポジションであっても必要なことだと思います。労を労うとともに今年を締めくくりました。

 

 

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Posted by 有海啓介 | この記事のURL |