2009年05月01日

中村 克が「ひれ伏せ」に屈服しない理由

この記事を読んで頂ければ理解いただけるはずです。

ご理解いただけない方は、今や引っ張りだこのヤメ検、郷原信郎氏の「思考停止社会」をお読みください。

 <引用開始>食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。

 「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう」と呼ぶ。

 日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
<引用終了>

419日 朝日新聞  朝日新聞、平成12年3月5日の「天声人語」から 

<引用開始>
「私は心の底では責任があるとは感じていません」

彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、一九六一年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。 その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定) 

なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。

上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じ事をしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。 

<君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある>。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と 
<引用終了> 

服従するのは無責任であると断罪しています。「自覚なき殺戮者」・・・実に重い言葉です。 しかしながら、日本人は服従を可とします。 

<引用開始>

<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に

 社会経済生産性本部が26日まとめた04年度新入社員意識調査で、「自分の良心に反する仕事でも指示通り行動する」との回答が43.4%に上り、初めて4割を超えた。給与や昇格で年功序列を望む傾向も過去最高に達しており、同本部は「厳しい就職活動を背景に、滅私奉公的なムードが強まっているのではないか」と分析している。

毎日新聞 2004年426

<引用終了>

 

秋葉原事件を起こした加藤容疑者と同年代の思想です。例え他人を傷つけようが、自分のためならなんでもするという「エガワる思想」と言えると思います。

 民主政治と国民の態度


<引用開始>

★民主政治とは意見の違う者に対し、その人の意見が用いられる余地を残すやり方で、自己主張するが、相手の主張も尊重する政治である。
 

★民主主義的であるというのは国家意思の形成に参加すべきだということだけではなく国民に良心の自由、言論、出版、とくに結社の自由を保障しなければならない。

これに対して独裁政治は相手方の立場を尊重せず、これを無視して一人または少数の人々の意見を押し通して行う政治のやり方であり、一面、専制政治とも呼ばれている。

<引用終了>

 

(「民主政治と国民の態度」という8,672文字の公開された論文から215文字を引用いたしました。)

 小沢党首の秘書逮捕も私の一件と同じです。このような強権者支配を見せつけられると、国民は「見ざる、いわざる、聞かざるになってしまって、正しい意見、良心的な意見が述べられなくなる。」とこの論文は主張しています。 

私も全く同意見です。私が受けた「仕打ち」のように、まさに「無理が通れば道理が引っ込む」のです。

 

私は30年以上前の「江川事件」から、世の中が変わったと考えています。日本人が変わってしまったと考えています。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

「最後のパレード」の著者として、思いやりのある世の中に戻って欲しい、そう願ってやみません。