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現代の租庸調

2009年4月24日0時25分

 権力の人民収奪には古来「租庸調」の三種があった。租は主食、庸は労働力の供出、調は特産物である。租は長年米で支払うものであった。金納に変わったのは、我が国では実に明治初期の地租改正による。貨幣経済が発達した現代社会では、すべて金納とするのが納税者にも徴税者にも合理的となった。それでも、徴税者は時に強権発動によって、物納などの提供を強制することがある。

 5月21日から始まる裁判員制度は、国民を無作為に抽出し、裁判業務に参加させることである。国家の根幹にかかわる制度は、民主国家では本来民の主導によるべきだが、半ば強制による市民参加の司法制度が出来上がった。現代の庸というべきだろう。

 世紀のバラマキが始まろうとしているが、中小企業の経営者や社員、まして零細店主などに数日も仕事を離れる余裕などはないだろう。多くの国民が納得せず、辞退理由を探している。しかも、裁判員の「思想信条の自由」、被告人の権利侵害、裁判官の職権行使の独立性といった憲法上の数々の問題点も指摘されている。

 この制度はもともと弁護士の一部が司法への市民参加を望んだことにあるが、司法制度改革審議会で妥協を重ねた。しかも小泉改革の流れの中で十分な審議もなく、国会では主要会派がすべて賛成し、誰もが真には望まない制度となった。感受性の鈍った政治家と、悪法に対しても順法精神に富む法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)が、この制度を推進した。

 かつて武装官僚(軍人)が主導した愚かな戦争もこのような政官の事なかれ主義の結果であり、究極の庸というべき徴兵制も未来の悪夢とは言い難くなっている。(匡廬)

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