2009年04月29日

東村山通信 豚インフルエンザのメキシコを思いやる動き

2009年4月29日

 

千葉県御宿町で本当にあった心温まる話を紹介します。

 

「日本とスペイン・メキシコとの交流は約400年前に遡ります」

 

1609930日未明、一隻のガレオン船が御宿沖で座礁し、多数の乗務員が浜に漂着しました。

船名はサン・フランシスコ号、スペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴを長とする乗客、乗務員の総数373名は、フィリピンからメキシコへ向かう途中でした。

 

残念ながら56名は帰らぬ人となりましたが、残る317名は岩和田(現御宿町)村民に救助されました。この時村人は大いに同情し凍えた異国の遭難者を海女たちは素肌で温め蘇生させ、夫の着物を、食糧を、惜しみなく提供したと伝えられています。

 

このことは、直ちに領主である大多喜城主本多多忠朝に伝えられ、遭難者は37日間岸和田大宮寺に滞在し村民の手厚い保護を受けた後、江戸城の将軍、徳川秀忠に喝見し、歓待を受けるとともに、駿府城の徳川家康にも招かれ破格の歓待と豪華な贈り物を受けるなど親しく懇談し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた新しい船で、無事メキシコへ帰国しました。

 

この史実が、日本とスペイン・メキシコの修好の契機となりました。

我らの先祖のすばらしい行動を後世に永く伝えるため1928年に一行が漂着した海岸近くの高台に大理石張りの「日西墨三国交通発祥記念之碑」が建立されましたが、戦時中攻撃機の的になり、見るも無残な姿に変わり果てました。

 

歳月が流れて1958年に多方面からの協力を得て記念碑は、新たにセメントで装われて再び白亜の塔として生まれ変わりました。

 

その後も御宿とメキシコの交流は活発に行われ、1978御宿町とアカプルコ市は姉妹都市協定が締結されるに至るとともに、同年は日西墨三国交通発祥記念之碑建立50年であり、建立50周年記念日にはホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領が御宿を訪れ、歴史に培われた友情をさらに深めました。

 

御宿町発行の「日西墨三国交通発祥記念之碑建立80周年」「サン・フランシスコ号漂着400周年記念事業」企画書より

 

御宿町では現在、サン・フランシスコ号漂着400周年の記念として数々の文化事業が展開されていますが、56日に開催予定の「黒沼ユリ子 御宿・メキシコ交流コンサート」は豚インフルエンザ流行に関わる出入国問題により中止されました。

 

御宿町は今後の事業も中止か内容を変更して行う可能性があるとしています。

また、御宿町は再度メキシコ国民を助けるための「募金活動」も検討中です。

 このサン・フランシスコ号漂着400周年記念に対し、日本政府はメキシコに桜の苗木1000本の寄贈を表明していますが、400本はメキシコ市の大平正芳元総理(故人)の功績をたたえた「大平公園」やメキシコ市最大の公園である「チャプテペック公園」にまとめ植えされ、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木のような桜の名所にしていく計画だそうです。 「最後のパレード」の著者も、「これらの友好活動を推進するための資金援助を惜しまない」と語っています。 また、メキシコ市在住の元メキシコ政府関係者は、豚インフルエンザ問題に関し、「落ち着いているし、外出もしている」と述べ、パニックに陥らないよう警鐘を鳴らしています。 

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