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理論劇画「マルクス資本論」(かもがわ出版)を読む

 かもがわ出版から理論劇画「マルクス資本論」(原作・門井文雄、構成・解説・紙屋高雪、協力・石川康宏、1300円+税)という本が出ているのを知り、買って読んでみました。帯には「『蟹工船』に共感した人には貧困の原因を説き、市場原理主義を拒否する人には代替案を示し、マルクスに挑もうとする人には手がかりを提示する」という野心的なコンセプトが掲げられています。

 この本は、決して単なる漫画ではなく、「理論劇画」となっているように、マンガの部分と、文字で解説した部分とが交互に出てきます。以前読んだ「マンガで読破・資本論」(イースト・プレス、552円+税)とは違って、文字通り「資本論第1巻」のわかりやすい解説書になっています。説明も資本論にそうかたちで商品の分析から始め、使用価値と価値、抽象的人間労働と具体的有用労働、価値尺度と貨幣へと論が進みます。

 さらには剰余価値の源泉と労働力商品の特殊性、資本の成立と資本主義的生産の推進的動機、資本主義的生産の成立に先行する本源的蓄積、絶対的剰余価値と相対的剰余価値、労働日をめぐる闘争、剰余価値率(搾取率)の定式と「シーニアの最後の一時間」への反駁、協業と分業そして機械と大工業、労働者階級と資本家階級との闘争、「否定の否定」としての生産手段の社会的所有への変革というふうに、きちんと理論問題を押さえて書かれています。

 神戸女学院大学の石川先生が協力しておられることもあり、この本をきちんと読めば、「労働学校」の初級コースぐらいの経済学の知識はちゃんと身につくと思います。私も「本源的蓄積」のところを読んでいて思い出したことがあります。高校時代の日本史の授業で、地租改正が出てきたときのことです。日本史の先生が「宮本君、君ならわかるだろうが、この地租改正というのはマルクスの言う何かね?」と私に聞きました。

 その先生は、別に日本共産党の支持者でもなんでもない人でしたが、私が民青同盟の活動家であることを知っておられて、私が資本論を読みこなしているとでも思っておられたのでしょう。しかし、私は当時はそんな知識はありませんでした。答えられない私に、「なんや資本論も読んでないんか君は…」とおっしゃって「これがマルクスの言う本源的蓄積やないか」と言われたのを昨日のことのように覚えています。

 私は当時、「資本論」こそ読んでいませんでしたが、「本源的蓄積」という言葉は知っていました。そしてもちろん、「資本論」には「地租改正」は出てきません。「資本老」では、イギリスにおける資本の本源的蓄積…「囲い込み運動」が考察されています。それが日本でいえば「地租改正や工場払い下げ」ということになるのを知ったのはずいぶん後になってのことでした。ああ…あの時、「先生、それは資本の本源的蓄積です」と答えることができていたら…などと、いまだに悔やむ出来事でした。まあ、そういうエピソードを思い出すくらい、この本はよく出来ているということです。

 読んだ上で、気になったところもいくつか紹介しておきましょう。一つは工場法をめぐる闘争と労働時間の規制についてです。労働日の短縮は資本家の儲けを減らすことになり、労働者と資本家の激しいたたかいを通じてたたかいい取られたものなのですが、その結果は決して「資本家の損」ではありませんでした。資本論第8章第6節513ページ(新日本新書版、2分冊)には次のような一節があります。

 「それにもかかわらず、原則は、すでに、近代的生産様式のもっとも独自な創造物である大工業部門における勝利をもって、凱歌を奏していた。1853―1860年の大工業諸部門の驚くべき発展は、工場労働者の肉体的および精神的再生と手をたずさえながら、どんな弱視の目にも映った」…10時間法が実施される前、資本家たちは「時間短縮をしたら、イギリスの工業は潰滅する」などとさかんに言いふらしましたが、いざ10時間法が実現してみると、イギリスの大工業は「潰滅」どころか、空前の大繁栄を迎えたのです。

 これは決して昔話ではなく、今の日本でも大企業の利潤や内部留保をわずか取り崩して、労働者の状態や国民生活の抜本的改善をはかることを私たちが求めると、企業や経済の根底を脅かすものであるかのように言う議論があります。これは、人口の大多数をしめる労働者の「肉体的および精神的再生」が経済繁栄の時代をつくりだしたという、イギリスにおける労働日の標準化の歴史が劇的に示した教訓を全く見ないものです。この「理論劇画・資本論」では、この面が正しく描かれていないように思いました。

 実はここは大切な点であって、3月16日深夜に生放映されたBSイレブンの政治番組「インサイド・アウト」で、「暴走する資本主義」から「ルールある資本主義」へという日本共産党の主張ついて、松田喬和氏が「私たちのイメージでは、国民が困窮化していく中で、次のステップが社会主義であり、かい離がある感じがするのですが」と質問したのに対し日本共産党の志位和夫委員長は次のように答えました。

 「私たちは、資本主義が衰退していって、その先に私たちの目指す未来社会、社会主義の社会があるとは考えていないんですよ。資本主義が健全に発展していくことが次の社会を準備することになると思っています。ですから、節度ある形で大企業には応分の負担を求める、国民の生活は豊かになる、そうすれば、日本経済は草の根から力を得て発展していきます。それは私たちの理想が遠のくのではなくて、むしろ、熟した柿がポトッと落ちるように、次の社会への発展の条件をつくることになると考えています。ですから、私たちが政権に参画したとしても、大企業との関係では共存していくと。大企業には健全に発展していってもらわないと、困ります。」

 つまり、日本共産党の立場は「資本主義衰退論」ではないのですよ…もちろん今日の日本資本主義の「行き詰まり」は明りょうですが、「行き詰っているから、一路衰退に向かう」というような立場をとりません。「ルールある資本主義」に向かえば、労働者の「肉体的および精神的再生」が、さらに大きな経済的繁栄の時代を開くことになるでしょう。そういう道を通って次の社会…「社会主義・共産主義」の未来が準備されるのです。そういう点では「理論劇画・資本論」が、「社会革命」を「旗を振り、ハンマーで打ち壊す」ような姿で描いているのは、感心しません。

 
 

Last Update : 2009年04月27日