守屋山の主は 上伊那郡高遠町 14.5.5
守屋神社 「守屋山は諏訪大社本宮の神体山である」と聞いていました。それが何と、東峰(1631m)には磐座(いわくら)とおぼしき岩の脇に鉄柵でガードされた「守屋神社奥宮」の祠がありました。それも諏訪側にお尻を向けて…。

 守屋神社は、奥宮と山麓の国道256号沿いにある里宮の総称です。「1400年前、蘇我氏との戦いに敗れて逃げてきた物部守屋の一族が創建し、この辺りでは唯一御柱を建てない神社」と伝えられています。

守屋神社祠 柵は、(守屋神社側が)何にでも御柱を建ててしまう諏訪人に対抗するための策(柵)なのでしょうか。
 前に供えてある弓二振りは、軍備を司った物部氏との結びつきを強調し、諏訪神社とは全く関係ないことを表しているように見えました。
 代わった1650mの守屋山最高峰である西峰には何もありません。諏訪大社はここにも祠を座すことはなく、守屋山全域を神体にする道を選んだのでしょうか。
 守屋山東峰からの眺めは360度のパノラマで、木曽駒ヶ岳・御岳・乗鞍、北アルプスから八ヶ岳と南アルプス、眼下には諏訪湖と、国見するような立地はさすがに神体山と言えました。

雨乞いの山
 諏訪に限らず、この周辺の村々は、日照りが続くと守屋山に登り雨乞いをするそうです。その効果が現れない時は、祠に小便をかけたり祠を谷に突き落とすこともあったそうです。早い話が「嫌がらせ」で、これには祭神の守屋大臣も怒ってたちまちにして雨を降らせた、と伝えられています。
 柵で囲ってあるのはそれを防ぐためでした。諏訪神社(現諏訪大社)が、表向きは雨乞いですが、「目障りな祠を何とかして葬り去る目的で、究極の“雨乞い儀式”を考えた」という一(自)説もあります。
 今年の8月中旬に、「上伊那郡箕輪町は町長を始め役場職員ら7名が雨乞いに登った」と新聞記事にありました。

守屋山の磐座
守屋山「坊主岩」 里宮に近い守屋山登山口の一つ「立石コース」には、「坊主岩」(左写真)や「鬼ヶ城」など磐座にふさわしい多くの巨岩奇岩があります。奥宮と里宮の配置から、守屋神社はそれらの磐座も祭っているのでしょうか。

守屋山と神長官「守矢氏」 旧諏訪神社には「神長官守矢氏」がいます。姓と名の違いがありますが読みは同じです。何か関連性がありそうですが、今のところ決め手となる資料はありません。

 「諏訪大社上社本宮」の神体は「守屋山」と言われていますが、諏訪大社は、神体山を背後の「宮山」として「守屋山」の名を挙げていません。

‖参考サイト‖
 サイト内「守屋神社里宮」
 サイト内「神体山と守屋山」
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