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  インタビュー<日曜日のヒーロー>
過去のインタビューは、日刊スポーツ(東京本社発行分)でご覧になれます。
ご希望の方は→こちらをご覧ください
なお、3月以降ニッカン・コム上では、紙面より1週間遅れでの公開となります。
第403回    桂歌丸  
2004.02.29付紙面より

桂歌丸
写真=インタビュー中に真剣な表情を見せる桂歌丸
(撮影・野上伸悟)

一途な落語への思い「笑いと教え…未来はある」

 型破りがウリになる笑いの世界で、酒を飲まない落語家がこつこつ芸を磨いてきた。日本テレビの人気番組「笑点」の顔として、37年間にわたり茶の間に笑いを提供してきた桂歌丸(67)。このほど、170人を擁する落語芸術協会の5代目会長に就任した。テレビで見せる軽さとは裏腹に、落語への思いは一途(いちず)だ。


30年前と同じ顔

 昭和40年代の「笑点」の写真を見ると、風ぼうがほとんど変わっていないことに驚かされる。このころから故三遊亭小円遊さん(80年死去、享年43)と「ハゲ!」「化け物」と毒舌合戦をしていたことを考えると、ポイントはやはり髪形かもしれない。

 「ええ。30代からこの髪形だからね(笑い)。当時アタシのことを『薄い、薄い』って言ってた人の方が今じゃツルツルだよ。30代での薄毛にショック? ないない。人知れず育毛剤なんかつけませんよ。だいたい、30代で死んだおやじはもっと薄かったんだから」。得なキャラクターだと胸を張る。「噺家(はなしか)は若いうちは老けて見られた方がいいの。噺に信用が置けるから。そのまま風ぼうが変わらないなんて、こんな得なことはない」。髪形のネタに笑わされながら、いつの間にか「ハゲ」も武器にする落語スピリッツに納得させられた。

 2月から、落語、色物を合わせて170人が所属する落語芸術協会(芸協)の5代目会長になった。

 「わがままな性格だから、人をまとめる仕事は大の苦手。噺家や芸人なんてみんなコレ(てんぐのしぐさ)。出番や寄席に上がる回数に不満が出たり…。こっちも頑固と強情を引っ込めて、幅広く意見を聞いていこうと思ってます」。

 落語界はこの数年、古今亭志ん朝、柳家小さん、春風亭柳昇、桂文治らスーパースターを相次いで亡くしている。

 「大損失ですよ。アタシたちの商売はすぐに次をこしらえることができない。今いる噺家たちが踏ん張らないと」。


横浜の色街育ち

 色街だった横浜・真金町(まがねちょう)の遊郭「富士楼」の1人息子として生まれた。女の化粧風景を描写した爆笑芸「化粧術」や、郭(くるわ)話に定評がある。父親は3歳の時に他界し、母親は千葉の実家へ。「育ての親」は祖母だった。当時60歳過ぎ。女手ひとつで10人の遊女を抱えていた。

 「真金町の3大ばばあと言われていた女傑でね。道歩くと、ヤクザが両脇によけるという(笑い)」。

 店の女の子たちから「坊や」とかわいがられ、歌舞伎もデパートも行き放題だった。

 「何不自由なく育った1人っ子。だからわがままなんです。環境のせいか、遊郭遊びもしましたよ。18歳かな。アタシはたばこ覚えるより女の方が先だったから。ふふ」。

 小学4年で、落語家になる決心をした。

 「笑いの少ない時代でしょ。今みたいにテレビもないし。NHKラジオで週に2回だけ寄席の番組があって、もうこれが楽しみで。アタシの大師匠の古今亭今輔、先代の金馬師匠、志ん生師匠みたいな昭和の大看板がお客さんを大笑いさせるんだ。どうせなるなら人を笑わせる商売をしたいって心底あこがれた。」。ラジオからは漫才も流れていたが「漫才は2人でやらなきゃなんないでしょ。ほら、わがままだから(笑い)。ギャラ2人で分けるのも嫌だ」。


近所の富士子さん

 祖母の顔を立てて中学へは行ったが、待ちきれずに3年在学中に古今亭今輔に弟子入りした。「好きな道に進むのが一番」と送り出してくれた祖母は、翌年心臓発作で亡くなった。16歳で独りぼっち。富士楼はすでにたたんでおり、一文無しになった。

 独りぼっちが嫌で、結婚も21歳と早かった。「笑点」で三遊亭楽太郎が「フジコさん」とネタにしている冨士子夫人だ。

 「今輔師匠が紹介しようとしていた女性がまったく好みじゃなくてね(笑い)。つい『好きな人がいます』って言っちゃって、ご近所さんだったから声掛けた」。

 新宿・末広亭近くのラーメンが1杯50円だったころ、寄席の給金は1日150円。電車賃を引くと、ほとんど残らない。電気も水道も止められ、2人で化粧品のセールスや、マッチ箱の内職など何でもやった。

 「どうにか3食食えるようになったのは40近くになってから。みんな笑点のおかげですよ」。


頭がいい木久蔵

 二つ目時代の66年5月に始まった「笑点」で大喜利レギュラーになった。林家こん平とともに最古参だ。当時同じ所属事務所だった立川談志(初代司会者)に誘われたのがきっかけだった。

 「アタシにとって笑点は、人生そのものともいえるバカでかい存在。談志さんには恩義を感じてます。口には出さないけどね。出すもんか(笑い)」。

 今も視聴率20%前後を記録するオバケ番組だ。番組では、いじわるばあさんの役回り。

 「一番得してるのはキクちゃん(林家木久蔵)ですよ。バカを装っていることが一番得で、頭がいい。こーんな小さな子供にだって笑いが伝わるんだから。あの中で一番頭悪いのはオレじゃねえかな」。

 スタート当時、若手と呼ばれた出演者たちも、今では平均年齢61歳。昔はネタやギャグをめぐって楽屋でケンカもあったというが「今じゃ医者と薬の話ばっかりだよ」と笑う。

 笑点といえば、歌丸と小円遊さんの絶妙な掛け合いがウリだった。小円遊さんに関しては多くを語ろうとしない。

 「噺家としてあんなに人気があったのに、酒ばっかり飲んで早死にしちゃった。生きてりゃ今ごろ協会のためにもなれたのに。芸に対する裏切りだよ」と悔しさがにじむ。自身は1滴も飲めない。「飲めなくて良かったと思う。酒で人生終わらせたらつまんねえ。まじめなんです、地が。まあ、実際は小円遊との漫談みたいなのがブレークして、落語を怠けてた時期もあったんですけどね。寄席にも年に3回しか出なかったり」。


病床で金欲しい

 まじめで負けず嫌いだから「テレビの歌丸」と言われることが不本意だった。「落語の歌丸」に立ち戻ろうと、74年に横浜・三吉演芸場で独演会を始めた。埋もれた古典落語をこつこつと発掘し、毎年披露して30年になる。発掘した古典は150を超える。三吉演芸場に閉鎖話が持ち上がれば「残す会」を作って存続させ、02年には横浜にぎわい座のオープンにも尽力した。

 「楽をしようと思ったら苦しまなきゃ。死んで目をつぶる時に楽になりてえから頑張ってる」。

 落語の魅力を語ると生き生きした表情になる。

 「落語はね、どんなにバカバカしい話の中にも教えが入ってる。人に悪さをすればこういう報いがある、とか。ほかのお笑いジャンルの人が使うくすぐり(笑わせどころ)だって、本をただせば全部落語なんだよ」。

 後ろ向きな話題になると目に見えてムキになる。

 「若者の寄席離れってアナタ、若い人いっぱいいるよ。見てごらんよ。アナタが知らないだけだ」。「落語の未来? そりゃあ、ありますよ。落語を残すのも、落語のお客さんを残すのも、みんな落語家の責任」。

 4年前の暮れ、急性腹膜炎で6日間生死のふちをさまよった。

 医者が家族を呼ぶほど危険な状態だったらしい。集中治療室で意識不明のアタシは、娘に『私、誰だか分かる?』って聞かれて『ブタ』、『何か欲しいものは』と聞かれて『カネ』と言ったらしい。ふふ。医者も看護婦さんも仰天してたって。どうしても客を笑わせたい性分なんでしょうかねえ」。引き際は考えていない。「歩いて座布団に行けるうちはやり続けますよ、人が嫌がろうが(笑い)。わがままだから」。


ブラックバスの黒幕追求したい

 <マイベスト1> 渓流釣りと、相模湖でのワカサギ釣りが趣味なんですよ。アタリが出ても急に引いちゃいけない微妙なやりとりは落語と似てる。短気だから、渓流では釣れないとどんどん上流に登っていっちゃう。クマに追いかけられてがけに登ったり、滝つぼに落ちたり、大騒ぎだよ。外来魚のために日本の魚の生態系が変わっちゃって、大好きなタナゴ釣りができなくなったのが悲しい。ブラックバス放流の裏にはある政治家がかかわっているらしい。名前が分かったら「日本を壊すヤツ」として徹底的に追及しますよ。


 ◆笑点◆ 日本テレビ。66年5月15日スタート。真打ちは初代司会者の立川談志と三遊亭円楽だけ。あとの4人は二つ目。平均年齢は28歳だった。司会は前田武彦、三波伸介を経て円楽。現在の大喜利レギュラーは歌丸、こん平、木久蔵、好楽、小遊三、楽太郎。


 ◆桂歌丸(かつら・うたまる) 本名・椎名巌。1936年(昭和11年)8月14日、横浜市生まれ。中3在学中の51年、古今亭今輔に入門。古今亭今児を名乗る。52年、上野・鈴本演芸場で初高座。54年、二つ目昇進。61年、今輔の死去に伴い桂米丸門下に。桂米坊を経て歌丸に。65年、日本テレビ「笑点」の前身である「金曜寄席」のレギュラーとなり人気者に。68年、真打ち昇進。89年、芸術祭賞受賞。富士子夫人と1男1女。趣味は釣り、化石収集。


(取材・梅田恵子)

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