とはいえ、私の家は祖父母の代からクリスチャンなんだけどw

そりゃね、幼いころは、な〜んも知らないから(今でも知らないことだらけだけどw)
親に連れられるまま、教会に行き、親の言うままお祈りし、親のいうまま、クリスチャンらしく振舞うとっても従順なよい子でしたw

でも小学生の高学年ぐらいから、なんか違わないか?
と思うようになってしまった。

仮病使って、教会をさぼったり、教会に行っても、ぜんぜん身が入らなかったり。

そんな、小学生時代の最後の夏にオヤジが死んで、絶望のどん底で、色々考えた。

「俺が不信仰だから?」
「神様なんていないから?」
「だって、悪いのは俺なのに?」

色々っつってもこの三つくらいだけどね(^^;
そんなもんです「色々」なんてw

母は私が教会に行きたがらないことを責めなかったそ、私に向かって、信仰しろだの、祈れだのぜんぜん言わなかった。
 母が自分で祈るときも、夜に一人で、寝室で祈ってたし、たぶん私が出かけてるときにも祈っていたのだと思う。

 夜中に母のすすり泣く声が聞こえてきて、そっとのぞいたら、一生懸命声を殺して祈っている姿があった。
 そのときの私は「そんなに、一生懸命祈って、何が変わったの?何が変わるの?」そんな風にしか思えなかった。

 ただただ、さびしかった。

 高校になっては、家に帰るのがいやで、友達の家を渡り歩いて泊めてもらったりして、それでも、街を遊び歩くとか、女と羽目をはずすとかってのは、違うと思ってたので、(ってか不細工だったから?w)
ギリギリ引き返せないところに落ちることはなかった。

 いつだったか、友だちの家でパソコンを遣わせてもらって、そのときに「2ちゃんねる」という今では超有名な掲示板に行き着いた。
 そこの宗教板を見ていて、それこそ、キリスト教の何にもしらない連中が、言いたい放題書いてあるのを見て、ものすごくむかついて、反論の書き込みをしまくったのが、私のネットデビューw

 ところが、私もそんな詳しいわけじゃないことが、それで判明して(^^;
こりゃ、いかんと聖書を読み始めたのが運の尽きw
 聖書をほとんど牧師先生がメッセージの前に読むところだけいしか読んでなかったから週一回しか聞かない状態で、聖書の何たるかをわかるはずもないのに、ぜんぜんわかった気になっていたことが判明。

 それからはもう、聖書とそれに関連した本をむさぼるように読んだですよ。
でも、実は、信仰本は読んでないw
客観性がないからという理由で(^^;

 で、聖書って、確かに神様を恋愛感情よろしく慕うことではあるんだけど、実はそうゆう裏にちゃんと客観性が貫かれていることに驚愕w

「何が変わったの?何が変わるの?」
の応えはまだ、いただいてないけど、自分の浅はかさだけはわかった。
だから、お母さんに謝った。
そして一緒に教会に行くことにした。
高校最後の冬休みの話。