Fri, April 17, 2009
stanford2008の投稿
桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 19-マンション建設現場で発生したクレーン横転事故-
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X先生
私がずっと懸念していたことがまた発生しました。それは建設現場のクレーン横転事故です(4月14日に東京都千代田区のマンション建設現場で発生した事故)。私の趣味(本欄バックナンバーや『桜井淳著作集第4巻-市民的危機管理入門-』参照)は、建築物の見学のために、欧米の歴史的建造物を見学するだけでなく、バルセロナの聖家族教会のように300年計画で建設中の現場(私の紀行文3回連載「いばらき新聞」、1978年12月19日-12月21日参照)、その他、都内の高層ビルや地下鉄の現場は、もちろん、珍しい物では、水戸市郊外の那珂川から霞ヶ浦までの導水トンネル建設現場(地下鉄の建設現場同様のシールド工法)等、世界のありとあらゆる現場を見てきました。しかし、ずっと不思議に思っていたことがありました。私だけでなく、そのように感じていたひとは、少なくなかったと思います。それは、聖家族教会の現場にもありましたが、大きなビルや構造物を建設する現場には、どこにでもある非常に高い固定型T字形クレーンの安定性と安全性への疑問でした。その疑問は、固定型のクレーンに対してだけではなく、移動型のクレーンに対しても同様でした。移動型クレーンに対しては、下の構造物の大きさや重量に比べて、上に高く伸びたクレーン構造物の割合が、不自然に大きく、不安定に感じていました。過去に横転事故が数多く発生しているのは移動型クレーンです。それらの事故の共通点は、軟弱な地盤で作業を進めたために、下の構造物が傾き(規則では、地盤に直接固定せず、厚い鉄板を敷いて、その上に固定するようになっています)、全体のバランスを崩したためでした。今回の事故の原因は、まだ解明されていませんが(鉄板を敷いていない規則違反が確認されており、さらに、吊り上げ物との距離が規定よりも大きかったことも分かっています)、私は、これまでの原因と同様であろうと推定しています(ケーシングの吊り上げ時に生じたバランスの崩れが主因であろう)。事故発生数が多いために、技術的な問題があることは、分かっていましたが、私には、現場監督の経験が無かったために、あえて、強く、社会に、問題提起することを躊躇していました。過去の横転事故によって、家屋が倒壊したり、死傷者が生じたこともあり、今回は、クレーンが国道20号線側(片側3車線)に倒れたために、歩行者や押しつぶされたトラックの運転手が負傷しており、大惨事になるところでした。そのような事故を繰り返さないためにも、とりあえず、ここで、事故防止策を提案しておきます。それは、(1)クレーンの構造を再検討すること、(2)遵守事項のチェックを厳しく管理すること(地盤に直接固定せず、厚い鉄板上に固定し、傾きの防止を徹底する)、(3)専門を持った現場監督がいま以上に強い権限と責任を持って管理すること、(4)クレーン操作者の質の向上と教育訓練の徹底を行うこと、(5)建設現場の作業は、きつく、疲労が蓄積されるため、精神面や身体的な健康管理を徹底することです。詳しい技術論の展開は、できるだけ早く、改めて専門誌で行います。
桜井淳
(2009.4.18補足)7tのケーシングを吊り上げるには10mの距離を保つべきところ、実際には、14mであったため、5tが限度であり、結果的に、距離の設定を間違えたために、過負荷状態になったため、バランスを崩して横転しました。
Fri, April 17, 2009
stanford2008の投稿
桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 18-イチローの「神が舞い降りた」の神とは何か-
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X先生
米国では、「神のご加護を」という言葉をよく耳にします。日本では神という言葉をめったに耳にしません。しかし、言葉には出さないかもしれませんが、誰しも、困った時には、それも普通に困った時ではなく、生命や将来に致命的な問題が生じている状況下では、神に祈っていることでしょう。私にはまだそのような経験はありません。WBCで不調であったイチロー選手は、韓国との決勝戦、それも、同点で迎えた延長戦において、きれいなヒットを放ち、チームを勝利に導きました。イチロー選手は、試合後のインタビューにおいて、さりげなく、「神が舞い降りた」と言っていましたが、違和感のない、透明性の言葉と表情に、清々しさを越え、癒しすら感じたひとがいたであろうことは、容易に想像できることです。イチロー選手は、「神は舞い降りた」と言わずに、「神が舞い降りた」と言いましたが、さすがだと感じました。後者の方が感激を強く表しているからです。イチロー選手の神とは、おそらく、ユダヤ教やヒンドゥー教、キリスト教、イスラーム教、日本神道における特定の神ではなく(本欄バックハンバー参照)、あえて挙げれは、イチロー選手にしか分からない"野球の神"なのでしょう。「舞い降りた」とは、そのような空気に包まれたということでしょう。どのような神にせよ、イチロー選手の偉いところは、自身のそれまでの並外れた努力を強調せずに、聞く側に同様の意味を伝える謙虚な言葉で表現できることではないでしょうか。謙虚で本質を理解できている人間は、一般論として表現すれば、「神のご加護により」という表現をすることになるのでしょう。
桜井淳
Mon, April 13, 2009
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【事務所報告】高速PCによるモンテカルロ計算演習セミナーに参加した"好ましい人達"の生態学
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高速PCによる各種モンテカルロ計算演習セミナー(本欄バックナンバー参照)に参加した"好ましい人達"の生態学("招かざるお客様"の生態学」についても本欄バックナンバー参照)は、講師を務めた桜井淳所長とセミナー事務局担当者Mの話を総合すると、次のように要約されます。(1)申し込みのメールや事務局からの質問に対する返信メールの内容が的確であって、自身の信頼性の証明や目的・ゴールを明確に表現できる。(2)開始時刻を守れる。(3)受講や質問の際の表現がうまく、自身に能力があることをそれとなく表現できる。(4)周囲に分からない人がいると、それとなく助けることができる。(5)全体がうまく進むような配慮ができる。桜井所長は、特に、(4)を評価しています。これまでの約600名の参加者のうち(本欄バックナンバー参照)、特に、最も優秀だと感心したのは、東大大学院工学研究科原子力専攻の人(桜井所長の知り合いのM先生の指導を受け、大学院修了後、動燃の外来研究員、原研の外来研究員を経て、当時、筑波研究学園都市にある産業技術機構に就職したばかりとのことでした)で、服装・言葉使い・質問の仕方・討論の仕方・知識の表現等、すべて、パーフェクトであって、それ以上のものは望めないと思えるほどだったため、桜井所長は、そのことを、大学院の時の指導教官のM先生と原研の外来研究員の時のN室長にメールで伝え、最大限の賞賛と敬意の気持を表現しました。良くできると感心する人は、これまでの約600名の参加者のうち、1割の60名で、その中でも、特に優秀で賞賛すべき人は、2-3名にすぎません。桜井所長はその2-3名に出会えることを楽しみにしています。
Mon, April 13, 2009
stanford2008の投稿
桜井淳所長から京大炉のT先生への手紙-部分的にライトアップされた千波湖湖畔の桜-
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T先生
いつもメールありがとうございます。"桜のシーズン"も終わろうとしています。私は、私用のため、4月10日に上京し、途中、上野公園の桜を楽しみました(本欄バックナンバー参照)。私用を済ませ、帰路、自宅附近の千波湖湖畔を通りましたが、十数本の桜は、きれいにライトアップされており、みごとに、夜空に浮かび上がっていました。確か、昨年からライトアップされたように記憶しています。私は、先生が参加されたセミナーの開催された日の昼休みに、1時間かけて、偕楽園公園(偕楽園・千波公園・千波湖・桜山公園からなる複合公園であり、市街化隣接公園としては、ニューヨークのセントラルパークにつぎ世界第二位、本欄バックナンバー参照)に案内し、春ならば、千波湖湖畔と桜山公園の数百本の桜が艶やかに咲くと説明しましたが、いまは、すでに、満開期を過ぎてしまい、4月11日の強風で、一気に散り、めったに見られないほどのみごとな"花吹雪"でした。偕楽園と千波湖湖畔には、1年に4回咲く"四季桜"があり、前者には大きな木が1本、後者には数本あったように記憶しています。冬に咲く桜は、あざやかではなく、ちょっと寂しい感じがしますが、それでも、花の少ない冬季の桜は、生命の力強さを感じ、勇気づけられます。私は、健康のために、周囲約7kmの偕楽園公園を毎日(国内外への出張時は除外)のように散歩しており、春夏秋冬の四季の特徴的な光景を誰よりも早く体感できるようにしています。散歩コースのゴール近くにある桜山公園の"もみじ谷"は、奥まった山間にあり、静寂に包まれているだけでなく、何となく神秘的な雰囲気であるため、そこにある大きな石に腰かけ、1時間ほど瞑想し、心を整理するようにしています。最近の数年間は、梅や桜の咲く時期が従来よりも2週間くらい早くなり、もちろん、紅葉時期もそうですが、開花や紅葉は、気候や気温に敏感であることを考えると、やはり、"温暖化"が顕著に表れているということになるのではないでしょうか。次回は、ぜひ、開花時期と紅葉時期に、いっしょに、偕楽園公園を散歩し、最後に、"もみじ谷"の大きな石に腰かけて、すべての煩悩を忘れ、1時間くらい瞑想し、心の整理、すなわち、哲学の再構築をしましょう。
桜井淳
Tue, April 07, 2009
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黒澤捜査第二課長へのお礼の手紙-2007.4-2007.7と2008.1-2008.4の対応に-
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水戸警察署
黒澤捜査第二課長殿
(この記事の正式タイトルは、「桜井淳所長から黒澤捜査第二課長へのお礼の手紙-2007.4-2007.7と2008.1-2008.4の対応に-」ですが、タイトルの入力文字数には制限があるために、略しました。)
私のように世の中に名前が出ていると、世の中の好ましくない職業のひとたちを初め、原子力界のひとたちや羨望やねたみを持っているひとたちから、脅迫・誹謗・中傷・金品の要求等の犯罪行為があり、その数は、約2500件にも達しており、対応に苦慮してきました(『桜井淳著作集第3巻と第4巻』参照)。水戸警察署には、過去、何度か、相談に行きました。顧問弁護士にも相談しました。そして、必要に応じて法的手続きも行いました(『桜井淳著作集第3巻と第4巻』参照)。最近、2007.4-2007.7と2008.1-2008.4の2回も対応いただき、まことにありがとうございました。2007.4-2007.7には、橋本巡査(名刺をいただいたために職位が分かりました)に対応していただきました。しかし、橋本巡査が長期入院し、結論らしき伝達が入院中のやり取りであり、橋本巡査が十分な対応をしていなかったため、私は、茨城県警に事情を説明したところ、県警から水戸警察署に連絡が行き、再検討ということになりました。そのため、改めて、黒澤課長から数回電話があり、指定された日に水戸警察署にうかがったところ、今度は、若い橋本巡査とは異なり、十分な人生経験と捜査能力を有する50歳台前半の課長のすぐ下くらいの職位の鈴木氏(名刺をいただいていないため職位が分かりませんでしたが、会話の中の「30年の経験」という言葉から推定できました)に対応していただきました。最初の日に調査室(水戸警察署には、2階の北側に大きな部屋があり、入口から向かって、一番奥の西側に捜査第一課、その手前に捜査第二課、そして、一番近くに捜査第三課があり、それぞれ、10名くらいの捜査員の机があったように記憶していますが・・・・・・、西側の手前奥には、鰻の寝床のように細長い取調室があり、東側手前奥には、同様の取調室が数室あり、廊下の一番奥には、他よりもひとまわり大きな調査室があり、私は、被疑者ではないために、取調室ではなく、調査室で対応していただきました)で鈴木氏と話している時、ごていねいにも、わざわざ、挨拶に来ていただきましたが、大変恐縮いたしました。私は鈴木氏に知り得ることをすべて話しました。その中には、目的の調査事項とは、直接的な関係はありませんでしたが、関連することとして、元原研企画室長が私の質問に答えて証言した犯罪内容の録音内容もありました。私のように水戸に住む一般市民は、犯罪と思えば、水戸警察署か茨城県警に申し出たり、それでも、十分な対策が立たない場合には、弁護士を介しての法的手続きに頼らざるを得ません。私の場合には、さらに、これまでの仕事内容と社会とのかかわりから、記者会見することもでき、知り合いの新聞記者やテレビ局の人達に問題提起することもできます。まだ、すべて解決したわけではありませんが、黒澤課長と鈴木氏には真正面から誠実に対応していただきましたので、ここに改めてお礼申し上げます。まことにありがとうございました。この問題にけじめをつけるにはあと2年くらいかかるでしょう。
取り急ぎお礼まで
桜井淳
2008年8月