南アフリカで急拡大しつつある、黒人社会における格差を取材しました。
サッカー・ワールドカップ開催を2010年に迎えた南アフリカは、人口のおよそ8割を黒人が占め、その多くが貧しい生活を強いられています。
南アフリカで急拡大しつつある、黒人社会における格差を取材しました。
サッカーパブは早くも盛り上がりを見せていて、皆、サッカーをつまみに歌い、酒をあおる。
客は「サッカーは好きっていうもんじゃないわよ。愛しているのよ」、「2010年、すごく楽しみにしているよ」と話した。
南アフリカでは、サッカー・ワールドカップを2010年に控え、スタジアムの建設が着々と進んでいる。
しかし、スタジアムのすぐそばでは、貧しい人々の住まいが連なり、飢えと闘っていた。
南アフリカ最大の都市、ヨハネスブルク。
高級店が立ち並ぶ広場のカフェでは、優雅に時を過ごす人々がいた。
しかし、ひとたび車を走らせると、厳しい現実が広がっている。
アパルトヘイト時代、黒人居住区とされたスラムの数は、今も増え続けている。
数千人の貧しい人が集まるスラムで、15年もの間、生活しているリベレーションさん一家を訪ねた。
リベレーションさんは「生活はかなり厳しいです」と話した。
トタンの屋根からは光が漏れ、雨漏りが絶えず、電気がないこの家に、11人で身を寄せ合い暮らしている。
リベレーションさんは「スペースも不十分です。わたしたちは、くっつくように寝ないといけません。苦しいですよ」と話した。
政府から食事の支援があるものの、それもわずかなもので、リべレーションさんは、自宅の裏庭で野菜を育てて飢えをしのいでいる。
貧しい生活を強いられている彼らに、来る祭典は果たしてどう映るのか。
スラムで暮らす人は「(ワールドカップで状況はよくなると思いますか?)わたしはそう思いません。ここでの状況は、どんどん悪くなるでしょう」と話した。
黒人差別が撤廃された今、なぜ彼らは今も貧しさに苦しむのか。
「人類に対する犯罪」と呼ばれたアパルトヘイト(人種隔離政策)。
白人は、黒人らを安い労働力として虐げ、差別した。
しかし、黒人は組織をつくり、戦いを挑んだ。
1994年、マンデラ大統領(当時)は「多くの犠牲を払ってきた人々の夢がかないました。自由こそがその報酬です」と述べた。
1994年、ネルソン・マンデラ氏が黒人として初めて大統領に就任し、アパルトヘイトを完全撤廃に導いた。
これによって黒人は解き放たれたが、行政能力の低下や権力を持った組織の腐敗が指摘されはじめ、大多数の黒人はいまだ貧困の中にいる。
皮肉にも、アパルトヘイト撤廃と同時に、黒人社会の中に格差が生まれた。
南アフリカは、金などの鉱山資源で経済発展を遂げた。
しかし、世界的な金融危機のあおりを受け、失業率は23%以上となり、5人に1人は職を得られないでいる。
街の中心部には空きビルが目立ち、ホームレスが住み着いている。
ヨハネスブルク駅前の広場では、民間警備会社に就職を望む人たちが、訓練を行っている。
トレーナーは「訓練では、精神と肉体の両方を鍛えます」と話した。
犯罪率が極めて高いこの国ならではの職業か、皆、ワールドカップ効果にあやかろうと、必死にビジネスチャンスをつかもうとしている。
メーンスタジアムから5kmほど離れた場所では、自宅を改造し、ゲストハウスを始めようとしている男性がいた。
ゲストハウスを始めるタンボさんは「(客室は全部でいくつある?)1、2、3...、外に1つあるので、4つです」と話した。
普段は観光の仕事をしているというタンボさんは、キングサイズのベッドに広いダイニングルームを用意し、外壁には防犯設備も取りつけた。
あとは、客を待つばかりとなっている。
タンボさんは、アパルトヘイトが撤廃された現在も、不当な扱いを受けることがあると話した。
タンボさんは「(現在働いていても)逮捕や、罰金を命令されることもあります」と話した。
遅れた法整備や行政が、常に黒人の前に立ちはだかるという。
ワールドカップ組織委員会最高責任者は、雇用の創出と国のイメージアップを期待する。
ワールドカップ組織委員会最高責任者のダニー・ジョーダン氏は「わたしたちは、2010年までに1,000万人以上の観光客が訪れると予想しています。また、雇用も創出できました。インフラを構築することで、40万人もの雇用を生み出すことができました」と話した。
自由を得ても、いまだ残る黒人社会の格差。
来るべき祭典は、この国にどのような恩恵をもたらすのだろうか。
(04/23 00:11)