2009年04月19日

「それでもいいじゃないか」は心をやすらげるひとつの方法

 だいたいどこのカトリック教会でも「教会黙想会」というのを行っている。わたしの教会ではクリスマス前の待降節と復活祭前の四旬節と年に2度行っている。
 ことしの四旬節黙想会の指導はイエズス会の三浦功神父だった。マイクの調子と声が合わずに聞きにくいところもあったが、かえってそれで聴衆が一生懸命に聴くということもあってか、なかなかいい講話がなされた。
 とくに午後からの話しはとても良かった。教会報に紹介した講話の内容を一部抜粋して紹介しよう。

 不安というのは「ちゅうぶらりんの状態」におこります。
 飛行機でグアムからハワイへ行ったときでした。飛行機の翼をみると大きなバンソーコーが貼ってありました。さらによく見ると羽から白い煙が帯状に出ているのです。どうしよう。マシントラブルです。アナウンスがありました。機内は不安を通り越してパニック状態です。
 でも、わたしは不思議と不安にはなりませんでした。落ち着いて祈れたのです。「別にこれで死んでもいいや。きっと天国の片隅にでも入れてもらえるだろう」そういう気持ちになれたのですね。
 神学生時代の哲学の試験はとても厳しいものでした。わたしは不安に襲われ、2〜3日前から眠れなくなり、鬱状態になってしまいました。イライラと不安が募り、このままだと神学も学べない、頭がおかしくなるのではないか、どうしよう、どうしようと思うとよけい眠れなくなりました。
 でもあるときふっと思ったんです。「どうしよう」と思っていることを「そうなってもいいじゃないか」と逆さまにまわすようにしたんです。ねむれなくてもいい、試験に落ちてもいい、神父になれなくてもいい、ちょうど指に絡まった紐を少しずつほどいていくときのように少しずつ自分の心をほどいていきました。コチコチになっていた神経がすこしずつほぐされていきました。そして少しずつ眠れるようになりました。結局完全に治るまでには1年くらいかかりました。でも薬も飲まずになおったんです。
 わたしは結核の薬害のために、耳が聞こえないという障害を負いました。そのために何度も不安に襲われました。そのたびにこの「いいじゃないか」を繰り返したのです。それによって心の安らかさを取り戻し、生きる自信のようなものを身につけたと思います。


 考えてみたら、この「眠れなくてもいいじゃあないか」「死んでもいいじゃあないか」というこの「あきらめ」とも「いなおり」とも「達観」とも見られるこの態度は、じつは信仰の本質とも言える要素をもっていると思う。
 三浦神父は話しの中ではいわれなかったが、「………してもいいじゃあないか。それが神さまの聖旨(みむね)であるならば」というように、「神の計画」「神の摂理」というものをうけいれることによって得られる「安らぎ」ということではないかと思うのである。
 
 
Posted by mrgoodnews at 23:27  |Comments(0) | 福音

2009年04月17日

「おもしろ科学たんけん工房」全体交流会の興奮

 昨年から「おもしろ科学たんけん工房」の会員となったことは前に報告した。ここは、子どもたちが科学のおもしろさを体験するためのNPOである。ここの1年に1度の「全体交流会」が4月12日南太田の男女共同参画センター南太田で行われた。
 ここが横浜市内や藤沢市の各地でおこなう子ども対象の教室は全部で300回を超すのではないかと思われる。そのくらい大規模に科学運動を展開している。
 今回は子ども対象ではなく、大人の会員対象の交流会である。たんけん工房の通常のクラスで子どもたちを前に実験工作をすることを、ここでは大人の会員対象に演示実験を行っている。参加者は100人を超えていた。


たんけん工房1 各ブースで演示しているメンバーは60代後半から70代男性が圧倒的に多い。その人たちがペーパープレーンやスターリングエンジンやICラジオや静電気実験やマックスウェルのコマ、ヘロンの噴水や草木染めや……などを説明している光景は、たぶんここ以外では見られないであろう。
 おじいちゃんと孫たちによばれているであろう方々が、ここで子どものように夢中になって熱っぽく説明しているという光景は感動的でさえある。
 女性は少ないが、それでもけっこういる。

たんけん工房2 ブースでの展示以外に講演形式で行っているものもある。
 やはり圧倒的に物理系が多い。化学系もいくつかあるが、生物系はほとんどない。

 ふだんは、子ども相手にこれを展開しているので、ここが大人の会員だけで行われているのが、とてもものたりなくもったいないという感じがした。子どもにも来てもらって一緒に楽しめたら、子どもたちもきっと興奮するだろうと思った。科学少年・科学少女にはこんなに刺激的な所はそうそうあるものではない。
 一回一回のたんけん工房だけでもサープライズと発見、さらに工作を完成した喜びというのが体験できるのだが、ここではそのほとんどすべてを見ることができるのだから………。

 それにしてもこのグループはスゴイの一言に尽きるような気がする。私もとても興奮した一日であった。
 ぜひ子どもたちも参加できるものにしてほしいという望みがますます強くなった。きっといつか近いうちに実現できるであろう。

 以前、「たんけん工房」の代表を務める安田さんに、こういう科学運動はほかにもありますか?ときいたことがある。
「ないことはないけれどこれだけの規模で行われているところはないでしょうね。」
「ガリレオ工房やよねむらでんじろうさんのところもなかなかみごとだけれど、あそこは理科の先生が中心なんだよね」
 と話されていた。ここには理科の先生はほとんどいなくて、教育にはシロウトだけれどもと企業で技術畑を歩いてきた人たちが多いのだそうである。確かにそこがこの「たんけん工房」の特徴であるだろう。
 私も、理科の先生たちがするものよりも、ずっと価値があると思っている。

 私は元教員だが、理科系の教員ではなく、文科系の教員であったところが異彩(?)を放っているとひそかに自負しているのだが………。

 
 
 
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2009年04月16日

大岡川の桜の花びらの洪水

 4月12日の日曜日のこと。

大岡さくら1 大岡川の堰神社の近く、川面を見たらピンクのかたまりが見えた。しかもよく見るとそのかたまりは、川を少しずつ流れ出している。

 近くに寄ってみたら、それは桜の花びらであった。
 川を流れ出しているのは、たぶん潮が引いてきているからではないかといわれた。潮が満ちている間は川が下流に流れないから、花びらがここにたまる。

大岡さくら2 桜の満開は1週間前のこと、ということはそれからほとんど流れずにここに花びらがたまっていたのではないかとおもうくらいの花びらの量である。

 それにしてもなかなか壮観である。あまりきれいとは言えない川に、こんなに桜の花びらが美しくたまっているのが、みごとである。
 

2009年04月13日

辞書で「右」「左」を引いてみると………。

 国語辞典で「右」「左」「前」「後」などの言葉を引いてみると、辞書の編集者たちの苦労の跡がよく見えてくる。

 手元にあるいくつかの辞書を引いてみることにしよう。

 広辞苑 
 「みぎ(右)」南を向いた時、西にあたる方。

 旺文社標準国語辞典 重版 昭和45年 
 「みぎ(右)」東を向いたときに南に当たる方。

 旺文社国語辞典 重版 昭和38年刊
 「みぎ(右)」箸を持つ手の方

 新明解国語辞典 第4版 1989年
 「みぎ(右)」アナログ式時計の文字盤に向かったときに1時から5時まで表示のある側

 ようするに方角からいうのが定番となっていたのだが、さすが「新解さん」。
 でも右左のわからない人がアナログというのがわかるのかどうかという疑問をもつ。

 これは何の辞書だったか、不明だがこういうのが「傑作」だといわれている。

 「みぎ(右)」この辞書にむかって偶数ページのある方。


 ただし、右左のわからない人が、偶数奇数がわかるのかという根本的な疑問にぶちあたる。

 ちなみに「新解さん」で次の言葉を引いてみた。

 「まえ(前)」自然の状態で口・鼻の向いている方。人やサルの場合は目の向いている方向。

 「あいだ(間)」直接続かない二つの点・物の非連続的部分を満たす空間・時間など

 広辞苑では

 「まえ(前)」物の正面にあたるところ。

 「あいだ(間)」二つのものに挟まれた部分。物と物とに挟まれた空間・部分。

 である。
 こういうふうな、よく使われる言葉で辞書が定義するのにもっとも苦労することばというのはほかにあるだろうか?
 
Posted by mrgoodnews at 18:18  |Comments(0) | ことば

Happy Easter! この日に教会では「ご復活おめでとう」と挨拶します。

 わたしの義理の妹といとこたちの中にこのブログを愛読してくれる女性が何人かいるのだが、彼女たちはキリスト教関係の記事は読まずに飛ばすのだそうである。それがくやしくて、キリスト教関係のことを書くときは、何とか読ませてみせると意気込んで、細心の注意を払って書くのだが、この記事は読み飛ばされるだろうか?

 昨日12日は、キリスト教ではイースターである。クリスマスとならんで、キリスト教の2大イベントであるが、こちらはクリスマスほど知られていない。キリスト教にとっては、むしろイースターの方が重要な祭りだといわれている。
 カトリック教会ではイースターのことを「ご復活祭」クリスマスのことを「ご聖誕祭」と呼んでいる。「ご」という敬語がつくのは過剰な尊敬語であって、わたしは好きではないのだが………。(こういう表現を使うといとこたちは飛ばしてしまうであろうから、使わないようにしている)

 イースターは毎年日にちが異なる。「春分後の最初の満月の次の日曜日」がイースターとなる決まりである。今年は金曜日が満月で、とてもきれいなお月様だった。昨年はイースターがえらく早かったように記憶しているが、今年は遅めである。
 キリシタン時代に「バスチアンの日めくり」という教会歴が、潜伏しているキリシタンの間に伝えられていた。この「教会歴」のなかでもっとも大事な情報は、このイースターがいつなのかということであったのだ。
 この日めくりが、平戸市生月の「島の館」に展示されていた。これはカクレキシタンの間で今も使われているものだそうである。

 土曜日のミサは、聖土曜日の典礼とご復活の主日の徹夜ミサとそして洗礼式があるので一年で最も長い典礼である。わたしの教会では2時間かかった。
 わたしの担当している「キリスト教入門講座」から久しぶりに洗礼を受けた人が出た。わたしの入門講座はなぜか長い間学んできたのに、洗礼は受けませんという人が多いのが問題であるが、彼は違った。うれしかった。

 彼のクリスチャンネーム(洗礼名)は、トマス・モアだった。あの「ユートピア」を書いた16世紀の人物である。わたしは入門講座担当者として彼のために洗礼名をいくつか用意したのだが、その2つ目にトマス・モアをあげたら、かれもそれがいいと決めていたのだそうである。奇しくも一致した。こんなことはめったにあるものではない。
 だいたい「ユートピア」でさんざんカトリック教会を皮肉ったトマス・モアがカトリック教会の聖人だなんてあまり知られていない。が、トマス・モアは、仕えていた国王ヘンリー8世が教会の忠告に従わずに離婚騒ぎを起こしたときに、トマス・モアはそれをいさめたために、ロンドン塔に幽閉され、ギロチンで殺される。
 ヘンリー8世はこのときにカトリック教会を批判して国教会を開き、みずから国教会の首長となった。そしてトマス・モアは聖人となった。

 洗礼を受けた彼は、イースターの時に配られるものを「これは何ですか?」と聞いてきた。
 「あ、それはまだ教えなかった。それはイースターエッグと呼ばれているゆで卵だよ。ゆで卵に色を塗ったり飾りを付けて配るという習慣がある。あたらしいいのちの誕生のシンボルなのかな」
 「食べてもいいのですか?」
 「もちろん食べるためのものだから。早めにたべたほうがいいよ」
 とそんなやりとりがあった。新クリスチャンの最初の質問だった。
 

 
 
Posted by mrgoodnews at 02:47  |Comments(0) | キリスト教の歴史

2009年04月11日

「念力のエクササイズ」を祈りの導入に

 中学3年生くらいの生徒の「宗教」の授業にこんなことができるといいなと思う実験を紹介しよう。

 まえに「きみは念力の存在を信じるか?」という話しを紹介したことがある。あれを実際に授業でしてみたらどうなるだろうか?

 サイコロをクラスの人数の半分用意する。
 二人でペアを作る。ひとりはサイコロを振る係、ひとりは出てきたさいの目を記録する係。
 ある目を決めて、その目を出すように念じてサイコロを振ること、記録係はその目を記録してどの目がいくつでたかの累計を記録する。
 ひとりひとつの目で100回くらいして、交替する。
 第2回目は違う目を指定して、それを出すように念じて、サイコロを振ること。
 すべての目で600回くらい行ったら、終了する。

 さて、その表を見て、念じた数がどのくらい出てきたのかを報告する。確率6分の1より高い人を紹介する。また低い人を紹介する。

 そもそも念力は存在するのか?

 念力パワーの強い人と弱い人がいるのか?

 どのように念じたら、念力パワーがよくでるのか? 「でろ!」「でますように」「でてくれ」「でるぞ、でるぞ」「でるな!」などと念じ方を変えてやってみる。

 よく祈っている人は、念力パワーが強い?

 朝起きたときと昼間と夜寝る前とでは、いつが念力が強いのか?

 などなど適当な仮説を設定して検証してみるのがいい。
 これはひとりでもできる。回数を多くすればするほど、正確なデータとなる。
 ぜひやってみて、このブログのコメント欄に結果を報告してほしい。
 
 実はわたしもまだこの実験をしたことがない。やってみるのが少し恐ろしいような気もするのだが……。

 
 
 
 
Posted by mrgoodnews at 00:34  |Comments(0) | 詩、歌、祈り , 宗教教育

2009年04月10日

α波とバイオ・フィードバック装置

 アルファ波を意図的に流せるように訓練するために役立つものがあるそうです。「バイオフィードバック装置」と呼ばれるもので、ここにその能書きがあります。かつてもといた学校の倫理科で購入しようと提起したのですが、却下されました。
 これは、ちょっとあやしい「偽科学」っぽいところがありますので、学校で購入するにはやはりムリあるかと思いますが…………。

 これはようするに自分の脳波の状態を、ディスプレイや音などで検知することができるわけです。つまり自分の脳波をフィードバックして、アルファ波のでる状態を把握し、意図的にそういう脳波の状態になるように訓練できるものです。

 もう20年以上前に、友人のイエズス会士(かれは工学部出身でした)が神学生時代にこの装置を何かの展示会で試したそうです。そうしたらなんとα波だらけ。かれは「ひょっとしてあなたは禅の高僧ですか?」て聞かれたそうです。
 かれは「いや、自分は神学生で『イグナチオの霊操』で瞑想になれているので」と応えたとか。
 よもやこのイエズス会士はウソを言う人物ではないので、この話は充分に信頼できる話しだと思います。

 それで、わたしも15年ほど前に、やはりあるコンピューター関係の展示会で試したことがあるのです。わたしも「イグナチオの霊操」はすこしはやりなれているので、彼と同じように瞑想の心理状態になりましたが、いっこうにα波は流れませんでした。流れているかどうかなどということを気にする雑念が生じるとダメなのでしょう。「無心の境地」にならないとダメなようです。
 でも、この装置はインチキだと思うよりも、このイエズス会士の霊性の深さに、敬意を表したくなたのであります。
 
Posted by mrgoodnews at 18:08  |Comments(1) | 詩、歌、祈り

2009年04月09日

α波の流れるとき

 脳波には、α波、β波、γ波、δ波、θ波があるという。
 弛緩した状態の時に流れるのがα(アルファ)波である。
 緊張したときに流れるのがβ(ベータ)波である。
 興奮したときに流れるのがγ(ガンマ)波である。
 眠気の状態に流れるのがθ(シータ)波である。
 そして深い眠りの状態に流れるのがδ(デルタ)波である。

 この中で興味あるのはα波。この脳波が流れるときは他にもある。

1.喜びや感動を覚えたとき
2.子どもほどα波が豊富である。
3.今やまさに眠ろうとしているときに(スローα)
4.無我夢中の時、我を忘れている状態(ファーストα)
5.音楽家がうっとりとして楽器を弾いている(ミッドα)
6.想像力や独創性と関係ある。
7.虫の知らせ、胸騒ぎ、インスピレーションが湧いたとき
8.火事場のバカ力
9.エネルギーを補給していつでも出発できる状態
10.緊張の伴わない平常時の思考集中状態
11.なにかを楽しみにしてワクワクしながら待ちこがれている状態
12.物思いにふけっている
13.白昼夢
14.「勝手にしやがれ」「ケセラセラ」と居直るとき、背水の陣
15.詰め将棋ができたとき
16.禅の無我の境地、祈りと瞑想の状態
17.リラックスしていて心の安らぎがある。
18.念力,透視などの ESP 状態
19.朝起きて快く目覚めた
20.酒によっていい気持ち
21.深呼吸
22.得意満面
23.プラセボ効果であっても
24.自由でのびのび、こだわりがない。
25.胸のときめき、恋する心

 このα波が流れているときというのは、とてもおもしろいですね。このα波が意図的に流れるように訓練できたら、結構おもしろいのではないかと思うのです。
 そしてそのために「祈りと瞑想」は「α波の意図的な訓練」のために役立ちそうな気がします。
 
Posted by mrgoodnews at 21:08  |Comments(0) | 詩、歌、祈り

2009年04月07日

生月の山田教会と虫めずる神父の「蝶の羽根のステンドグラス」


山田1 カクレキリシタンの地である生月島にあるカトリック山田教会にいって、とてもおどろいた。こういう教会は世界でもここにしかないであろう。





山田2 この教会も、多くの長崎の教会群を建築した鉄川与助の作品である。外観も中の木造コウモリ天井もとても美しい。
 しかし、それ以上に美しいものがあった。モスクにあるような美しい幾何学紋様をさしてガイドの方が、あれはなんでできていると思いますか?と質問をされた。「あれは蝶の羽根でつくったステンドグラス」なのである。この教会の主任司祭である烏山神父が、外国から送ってもらった蝶の羽根を使って作ったものであるという。確かにようくみると蝶の羽根でできているようだ。ふしぎな輝きをもっている。


山田3 なんでも「7つの秘跡」を描いたものであるということであるが、どれが何の秘跡なのかは正確にはわからなかった。解説もない。
 それにしてもこの烏山神父さんはすごいというか、変わっているというか、虫好きの神父さんで、年中網をもって昆虫採集をしていたらしい。

 この教会は、1987年に列聖されたトマス・西神父とその父親で昨年列福された殉教者ガスパル西玄可ゆかりの教会である。
 祭壇にかかっている十字架は、ガスパル様の墓に生えていた木で作ったものであるという。
 そういう殉教者の教会にこの「蝶の羽根のステンドグラス」の取り合わせは絶妙というか奇妙というか。
 
Posted by mrgoodnews at 22:10  |Comments(0) | 全国教会めぐり

平戸の紐差教会の美しさ


紐差3 平戸島の紐差教会を訪れるのは今回で3度目である。とても美しい教会である。

 修学旅行で最初に訪れたとき、夕方であった。ステンドグラスをとおして床に映し出される夕日がはっとするほど美しかった。
 そしてこの教会にはパイプオルガンがあった。私たちを案内した主任司祭の神父さんは「もし良かったらあのパイプオルガンを引いてみなで聖歌を歌ってはいかがですか」といわれていた。もう一度訪れたときに生徒たちにパイプオルガンで歌を歌わないかと提案したのだが、実現しなかった。


紐差2 2度目に訪れるとき、司祭館を訪ねたら「神父様はお昼寝中です」といわれて、やむなく先に根獅子の浜を訪ねてその後に教会によろうということにした。
 あの時神父さんは、女子生徒の前でしきりに「結婚式はこの教会で挙げなさい」とすすめておられた。




紐差3 あの神父さんが平戸の観光ポスターに登場していた。しかもスルタンという服(昔神父さんが来ていた服、今ではほとんど見かけない)を着て教会をバックにほほえみながら招いている写真が載っていた。わたしはこのポスターをJRの鶴見駅で発見した。
 今はこの神父さんは転勤でこの教会にはおられなかった。

 今回の訪問で出会ったのは、その教会の信徒の婦人であった。そのかたは嫁いだ家の先祖が集団改宗をした話しをしてくれた。

 明治の10年頃、ある先祖のかたが重い病で伏せっていた。その病気を治そうとして祈祷師やお坊さんに加持祈祷を頼んだそうである。ところがそれでも治らない。そこで教会の神父さんにも頼んでみた。
 ところが神父さんの祈りが効いたせいか、病気はけろっと治ってしまった。それを見て一族だけでなく村の人が集団で改宗したのだそうである。

 このあたりの教会の信徒はキリシタンの末裔である場合がほとんどであるのだが、この教会は実は明治期以降になって集団改宗した信徒が多いのだそうである。

 もう一つ、教会の前には神社があった。この教会を建てるときに、この神社にはずいぶん気を遣ったというはなしもしてくれた。「神社と教会の見える風景」というわけである。
 
Posted by mrgoodnews at 01:04  |Comments(0) | 全国教会めぐり

2009年04月06日

小椋桂作曲 佐藤春夫作詞「海辺の恋」のものがたり

 小椋桂の歌に「海辺の恋」という美しい歌がある。1975年のNHKドラマ「黄色い涙」の主題歌になった歌である。
 作詞は佐藤春夫である。歌を聴きたい方はこちらでどうぞ。心にしみる歌である。 

     海辺の恋

  こぼれ松葉をかきあつめ
  おとめのごとき君なりき、
  こぼれ松葉に火をはなち
  わらべのごときわれなりき。

  わらべとおとめよりそひぬ
  ただたまゆらの火をかこみ、
  うれしくふたり手をとりぬ
  かひなきことをただ夢み、

  入り日のなかに立つけぶり
  ありやなしやとただほのか、
  海辺の恋のはかなさは
  こぼれ松葉の火なりけむ。


 この歌はそのまま聞くと、少年と少女の初恋の歌かなという感じだけれど、よく読んでみると「おとめのごとききみなりき」「わらべのごときわれなりき」が暗示しているように、これは大人の恋しかも不倫の恋を詠っているという。
 この詩の背景にあったできごとは、佐藤春夫が谷崎潤一郎の妻千代を恋するという事件なのである。大正10年、佐藤春夫が29歳の時のことである。結局谷崎は妻を佐藤春夫に「譲った」。昭和5年二人は結婚する。

 佐藤春夫には「秋刀魚の歌」という詩もある。「さんま苦いか塩つぱいか。」というセリフをどこかで聞いたことがあるだろう。この詩のことばである。こちらの詩はもっとなまなましい。

   秋刀魚の歌

あはれ
秋風よ
情(こころ)あれば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼子とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


 この歌のきっかけは、谷崎が妻千代の妹に心引かれ、しだいに千代に冷たくなっていくのを同情した佐藤春夫が今度は千代に引かれていく。谷崎は一度は二人の仲を認めるが、急変し再び千代のもとに帰って来て千代との生活を再開する。春夫は激怒して谷崎と絶交してこの詩を作ったという。
 「海辺の恋」は美しい純愛の物語であるような、愛欲の渦巻くどろどろとした愛憎劇というか。それにしては美しいメロディである。
 
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2009年04月04日

「わが友フロイス」はいかにも井上ひさしらしい。


わが友 「わが友フロイス」(井上ひさし著 ネスコ/文藝春秋刊)を読んだ。
 フロイスについては以前紹介したことがある。

 この書は、井上ひさしが戦国時代にキリスト教の布教活動にたずさわりながら、折々に書かれたであろうフロイスの書簡を想像して書いたものである。そんなに長い本ではないが、フロイスという人物のホンネや性格が井上ひさしらしく愛着を持ってよく描かれていると思う。

 たとえば、フロイス27歳の時インドのゴアのコレジオの院長がローマのイエズス会総長にあてた手紙には、フロイスについてこう書かれている。

 ゴアの修道院に在籍するイエズス会修道士の成績評定。1位、ルイス・フロイス。27歳。生まれついての文才と語学的才能あり。記憶力も豊富であって、あらゆる文筆の仕事に長ず。また、言葉をたくさん知っており、「歩く字引」というあだ名があるくらいなので、将来よい説教家にもなれるだろう。欠点、饒舌すぎること。2位、ガスパル・クェリョ、28歳、正直で大声の持ち主、統率能力あり。

 戦乱の続く京都を逃れて、堺にいたフロイスから、長崎にいる管区長ビレラにあてた手紙では「ここはなんと奇妙な国なのか」と嘆いている。

 ここは「鏡のなかの国、ヨーロッパとはすべてあべこべの国、こんな奇妙な国にキリストの福音の根付く日がいったいくるのでしょうか。
 ………ヨーロッパでは手で蠅を殺すのは不潔とされているが、あべこべに日本では公方や殿までがひょいと蠅を捕まえて羽をむしって投げ捨てる…………ヨーロッパ人は鼻が高くて大きいので拇指か人指し指で鼻の穴をきれいにするが、あべこべに日本人はそれを小指で行う…………われわれは女性の名前を聖人からとるが、あべこべに日本では鍋、鶴、亀、筆、茶などとさまざまなものからとる。われわれはわずか22文字で書くが、あべこべに日本人はほとんど無限にある文字を使って書く。…………われわれは便所で座り、あべこべに日本人はしゃがむ。

 オルガンチノからの手紙には、日本人をもって司祭にすべきであると書かれているのに対して、フロイスは「これは絵に描いた餅である」と応えています。
 この問題は当時の日本のイエズス会を2つに分けた大きな対立点でした。ビレラ、カブラルなどのポルトガル人たちはどこか日本人を蔑視する傾向を持ち日本人を司祭にすることには否定的でした。またヴァリニヤーノやオルガンチノなどイタリア人たちは積極的であったのですが、フロイスはどちらかというと前者だったようです。
 
 またフロイスは、巡察師ヴァリニヤーノにあてて、こんなブッソーな提案をしています。

 我等が、巡察師よ。わたしはあえて提案します。適当なキリシタン大名を選び、彼に対してイエズス会とポルトガル艦隊とが全面的に支援してはどうでしょうか。ゴアの兵器敞から大砲、鉄砲、そして火薬を取り寄せて、われわれの支援する大名に提供するのです。彼を実務化に天下人に仕立て上げるのです。もちろん彼に対しては口を酸っぱくして「あなたが天下人になれるとしたら、それはすべてデウス様のおかげですよ」と教え続ける必要がありますが、さもないともうひとり、日本式デウスができてしまいますから。なにとぞ深い洞察をもってこの提案をご検討くださいますように。


 これにたいするヴァリニヤーノの返書。

 提案は却下された。提案書は火にくべられ、ただの灰になった。却下理由。われわれはこの国に冒険をしに来たのではない。戦ごっこをしに来たのではない、キリストの福音を伝えに来たのである。以上。


 もちろん、この手紙は実際にはなかったであろう。が、いかにもフロイスならこういう提案をしそうな感じの人物である。ちょっと軽率で見かけだけ勇ましくて……………。

 ヴァリニヤーノの叱責にもかかわらず、フロイスはまた、秀吉の禁教令の後にバリニヤーノにあてて「小西行長の領土に要塞を築いてここをキリシタンの拠点とする」ことを提案し、さらに「正当ななすべき戦争の基準」について明示しています。
 その返書でヴァリニヤーノは、フロイスの書いた「日本史」を長すぎるとして「こんなものはすでに原稿でも書物でもあり得ない。これはよくできた紙くずである。きみはもっと簡潔に書く修業をせねばならない。ローマのイエズス会総長もきみの「日本史」を待っておいでである。早急に、少なくてもこの十分の一以下に書き改めてもらいたい」といい、さらに

 きみの思想は過激すぎる。…………相手は世界一やせ我慢の強い日本人なのだよ。…………あの「チャ」と称する苦くてまずい飲み物をやせ我慢をはってうまそうにのみ、またあの「セイザ」と称する窮屈きわまりない座り方を半日続けても弱音を吐かない連中を相手に戦って、いったいどこの軍隊がかてるだろうか。


 と書いている。いかにも井上ひさしらしいヴァリニヤーノ観だなとおもわず感心してしまうのである。
 フロイスは、更にヴァリニヤーノに食い下がる手紙を書いてついにマカオに転勤を命じられ、その間に「日本人が常用する褌よりも長ったらしい彼の『日本史』を、日本人の背の高さぐらいまで短く書き改めなければならない」と命じられる。
 マカオに左遷されたフロイスはついにイエズス会総長に泣き言の手紙を書く。そして棄教した千々石ミゲルとの往復書簡があり、そして「日本26聖人殉教」の報告でもってこの書簡集は終わる。

 真面目な顔してかたるフロイス像やヴァリニヤーノ像が実に個性的で、ユーモラスなのである。しかもあの時のキリシタンの置かれた歴史的な位置や宣教方針の違いなども読み込んでいる。井上ひさし文学の面目躍如というところだと思う。
 

2009年04月03日

松浦静山が引用した横井也有の老いを詠んだ狂歌

 松浦静山は『甲子夜話』続編に次のような狂歌を引用した。自戒と自嘲をこめて「自ら恥じる所なり」と述べながら。

・皺がよるホクロが出来る背がかがむ 頭は禿げる毛は白くなる
・手はふるう足はひょろつく歯は抜ける 耳は聞こえず目は疎くなる
・身にあうは頭巾襟巻杖めがね たんぽ温石しびん孫の手
・くどくなる気短になる愚痴になる 思いつくこと皆古くなる
・聞きたがる死にともながる淋しがる 出しゃばりたがる世話焼きたがる
・又しても同じ話に孫ほめる 達者自慢に人をあなどる

 この狂歌の原作は、尾張藩士で俳文集「鶉衣』の著者として知られる横井也有(1702〜83)である。この人もまた興味深い人物である。
 で、調べてみた。

 武士として武術に優れ、また儒学を中心とした学問も究め、大番頭や寺社奉行などの要職を務めた。その一方、也有は若い頃から俳人としても名をなし、俳文家でもあった。『鶉衣』(うずらごろも)は、彼の最も名高い俳文集である。
 也有の死後(天明3年(1783)82歳で亡くなる)、天明の狂歌師大田蜀山人が、たまたまその写本の一部を読んで感激し、『鶉衣』として世に出ることとなった。
 也友の句としては次のようなものがある。

 蝶々や花盗人をつけてゆく
 しからるる子の手に光る蛍かな
 柿一つ落ちてつぶれて秋の暮

など人間味あふれる温かいユーモラスな句を詠んでいる。

 化物の正体見たり枯尾花

というのも也有の句である。
 
Posted by mrgoodnews at 00:42  |Comments(0) | 詩、歌、祈り , 人、生き方、思想

2009年04月02日

松浦静山はわたしみたいな人だと言われた。

 平戸城と松浦資料館にいって松浦静山という人物の紹介文を読んだ MAGIS 氏が「ツッチー(わたしのこと)みたいな人がいるよ」とわたしに教えてくれた。何がわたしみたいなのか、紹介文をよく読んでみると、この人は松浦藩の藩主、日本初の雑誌を発行した人で、「発信型」のひとだったところがわたしみたいだというのである。

 そこで改めて調べてみたら、なるほどこの人の生き方もおもしろい。

 松浦静山(1760〜1841)は、1775年15歳にして家督を継ぎ平戸藩藩主となる。財政改革や藩政改革を断行し、藩校維新館をつくるなどして実績を上げた。
 しかし1806年には家督を次男に譲り、隠居生活に入る。隠居して何をしていたかというと、文筆活動なのである。随筆集『甲子夜話』や剣術書『剣談』などを著した。とくに『甲子夜話』正編100巻、続編100巻、三編78巻に及ぶ大規模なものであり、内容は田沼意次時代から寛政の改革時代頃にかけての政治、諸大名や旗本、民衆の暮らしや風俗を知る上で貴重な史料となっている。
 また。剣道にも長けていて、心形刀流の奥儀を極めていた。静山が老中・水野越前守忠邦に頼まれて、柳原の土手によく出没した辻斬りを退治するために、夜パトロールをしていたという話しも残っている。
 名君として誉れ高い松浦静山は、川柳のよき理解者でもあった。川柳人松山又流水としての立場で暮らすことのできた希代の大名でもある。

 更に驚くことは、このひとは17男16女に恵まれている。(いったい何人の妻がいたんだ。)
 そのうちの11女・愛子は公家の中山忠能と結婚して慶子を産み、この慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入って孝明天皇と結婚し、明治天皇を産んでいる。つまり、明治天皇の曾祖父にあたることになり、現在の天皇家には、この松浦静山の血も少なからず受け継がれているのである。
 ここは、わたしとはまったく異なっている。

 平戸城で松浦静山の肖像画を撮影したのだが、iPhone 水死となってあえなく消失。残念。
 

2009年04月01日

壱岐の「鬼凧(おんだこ)」と五島の「バラモン凧」

 平戸で壱岐の「鬼凧」と五島の「バラモン凧」を買いました。といっても「鬼凧」のほうは「豆凧」でたて8センチくらいの小さなものでした。これでホントに飛ぶのかどうか、まだ試していません。
 なんでこういう図柄になっているのかは、壱岐の鬼凧の説明を読んでわかりました。

 
鬼凧昔、昔その昔,壱岐の島に多くの鬼が住んでいて悪事の限りを尽くしていました。そのうわさは都まで伝わり、百合若大臣という立派な武者が鬼退治に立ち上がりました。壱岐に上陸した百合若大臣は噂に違わぬ強さで、とうとう鬼の首を切ってしまいました。その首は空高くに舞い上がり、落ちてきて、百合若大臣の兜にかみつき、息絶えたとつたえられており、これらの伝説を図案化した凧が「鬼凧」となりました。壱岐では今でも「鬼凧」をあげて百合若大臣の強さを思い出し、島に鬼が戻ってこないように願っているのです。


 ところで五島の「バラモン凧」についてはこう説明がありました。

 
バラモン凧バラモン凧は五島に古くから伝わる大凧の名称で、バラモンとは地元の表現で「活発で元気のいい」とか「荒々しく向こう見ず」という意味があります。絵柄には鬼に立ち向かう武士の兜の後ろ姿が描かれており、「裏兜」と呼ばれるもので、敵に背中を向けない勇者の姿を表しているといわれております。バラモン凧は遣唐使や倭寇にゆかりのある地域に限られているところから、倭寇がもたらした可能性が強く、距離を測ったり、風向きを調べたり、なにかの合図のために掲げられたものではないかといわれております。

 という説明がありました。微妙に違っているところがまたおもしろい。
 ところがこれを作ったのは、いずれも「福祉の里 松浦作業所」という松浦市の福祉作業所でした。これを買ったところが、平戸観光協会直営のおみやげ店であったからかもしれません。