【4月16日 AFP】帝国の絶頂期にあったスペインに君臨したハプスブルク(Habsburg)王朝は、近親婚による遺伝性疾患が原因で断絶した可能性があるという研究結果が15日、米オンライン科学誌「PLoS ONE」に発表された。
スペインを174年間にわたり支配したハプスブルク家は、子どものいなかったカルロス2世(King Charles II)が39歳で亡くなった1700年に断絶。王位はフランス・ブルボン家(French Bourbons)に継承された。
ハプスブルク家は血筋を維持するために、世代が下るごとに近親婚が増えた。11の結婚のうち9組が「3等親以内の親族」との結婚だったという。
スペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ大学(University of Santiago de Compostela)とガリシア州ゲノム医療公益財団(Galician Public Foundation for Genomic Medicine)の研究者らは、ハプスブルク家の歴代の王の近親交配の程度を表す「近交係数」をコンピューターで計算した。
するとスペイン系ハプスブルク家の近交係数は、初代のフェリペ1世(King Philip I)では0.025だったのに対し、代を追うごとに上昇し、カルロス2世では0.254という数字に達した。0.20という高い数値を上回るメンバーが複数いたことも明らかになった。研究チームでは、近親者同士の度重なる結婚が、カルロス2世の遺伝性疾患の原因となった可能性があると結論付けた。
同研究によると、カルロス2世は身体に障害を持ち、心身喪失状態だった。当時の文献には、カルロス2世が話せるようになったのは4歳、歩けるようになったのは8歳になってからだったと記されている。また晩年は立ち上がることも困難で、幻覚に悩まされ、ひんぱんにけいれんを起こしていたという。また性的に不能でもあり、結局はこれがハプスブルク家の断絶を招いた。
研究は、カルロス2世のこのような複雑な病歴の大半は、下垂体ホルモン欠乏症と遠位尿細管性アシドーシスという2つの遺伝性疾患が同時に発症したと考えると説明しうると報告している。
また、スペイン・ハプスブルク一族内の乳幼児死亡率が、当時の戸籍から導かれる国内村落の平均よりも明らかに高かったという事実も、これを裏付けるものだと指摘している。(c)AFP
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