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諜報謀略講座 〜経営に活かすインテリジェンス〜

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第3講:厩戸皇子と遣隋使を巡るインテリジェンス

 厩戸皇子が大伴細人以外にも、服部氏族などの忍者を使っていた可能性は高い。そして服部氏族の末裔が伊賀忍者の源流に、大伴細人が甲賀忍者の源流に、それぞれなったという説がある。諜者や忍者の仕事はスパイ活動そのものである。スパイの重要性は古くから知られており、先に紹介した「孫子」は、丸ごと一章を当てて解説している。すなわち孫子は古代における諜報諜略のテキストブックであった。

 この錯綜した権力抗争は紆余曲折の末、決着を見た。厩戸皇子は蘇我氏につき、蘇我氏と共闘して物部氏を滅ぼした。こうして倭国は、当時のユニバーサルな価値観である仏教を基礎にして統一国家づくりに歩みだすこととなった。

 権力抗争の中で政敵の動向を把握することは、自分や一族の地位、権力、財産を守ることに直結した。飛鳥時代の日本は、貴族ではなく豪族によって政治が取り仕切られていた。豪族達は流血を伴う権力闘争を繰り返し、有力豪族である蘇我氏の親戚であった厩戸皇子でさえも寝首をかかれる可能性があった。

インテリジェンス活動としての遣隋使

 厩戸皇子の時代のインテリジェンス活動として、遣隋使を取り上げよう。遣隋使は5回以上派遣されているが、日本書紀には第1回目の記述がなく、なぜか第2回目からの記述になっている。遣隋使は国家使節であると同時に、当事の覇権国家である隋の情勢を探り、日本としてうまく立ち回るポジションを得る公的なインテリジェンス活動ととらえることができる。

 595年(推古三年)、高句麗の仏僧、恵慈が日本にやってきた。恵慈は厩戸皇子の師であると通説では言われるが、この人物は外交エージェントでもあった。当時、高句麗は朝鮮半島で新羅と主導権争いをしており、隋とも対立を深め、厳しい立場に置かれていた。高句麗は中国から見ると同じ「冊封国」に列せられていた日本と関係を深め、冊封国家同士の貿易関係を密にしようと考えていた。

 「冊封(さくほう)」とは、中華思想に基づく言葉であり、中国王朝の皇帝が周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結ぶこと意味する。中華思想では、野蛮な国々が中国皇帝の徳を慕い、礼を受け入れれば、「華」に近づけるとされる。中国から見て「夷狄」と呼ばれた周辺国は、冊封を受けることによって華の一員となり、その数が多いことは皇帝の徳が高い証になった。

 中華思想とは、中国が世界秩序の中心であり、その文化と思想が世界で最も高度で洗練されたものであり、漢民族以外の異民族はすべて野蛮な化外(けがい)の民とみなす思想である。もっと露骨に華夷思想ともいう。中華思想に基づく異民族への蔑称は、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)、南蛮(なんばん)があり、日本は東夷、つまり東の果ての野蛮な人々がたむろするところ、くらいにしか思われていなかった。ちなみに、中華思想は連綿と今日の中華人民共和国まで継承されており、中国の歴史思想を支える背骨になっている。背骨は外からは見えないが、背骨がなければ人間の体は成立しない。

 一方、冊封国側から見れば、冊封体制に組み込まれることにより、中国からの軍事的圧力を回避できるし、中国の権威を背景に、国内と周辺に対して有利な地位を築けることになる。周辺とどう付き合っていくかが、冊封国家にとって重大な戦略であった。

 [2009/04/14]
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