4月8日の記事である。

どなたであれ敬称略で記載しています。


と書いている。重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、役職名や職名を名前の最後に付ける場合、「さん」や「様」などを付ける必要はない。なぜならば、役職名職名が敬称の役割をしているからだ。
 その意味で、この一文は嘘である。私がこの前の日記で指摘したとおり日本語を大切にというなら、このことも当然知っていてしかるべきだが、ご存じないらしい。

 これまでに指摘してきたのだが、そのブログの筆者はどうにも、確たる認証がなくても、自分の中で筋書きを構築できるストーリーテラーな才能があるようで、実に偏った判断と結論を導き出している。

 かれが問題にしている教会の牧師が、被害を訴える人たちに当てて、内容証明郵便を送ったらしい。被害は事実無根であり、事案の発言を撤回するよう要求し、さらに謝罪も要求しているわけだ。
 この事実は、被害者代表のサイトFOEで公表されており、誰でも見ることのできる情報名わけだが。
 それに関して、彼は自分の考えを書いている。

 (前略)被害者らは当然、これに反発することになり、(中略)○がこうした通知書を彼女たちに送ることで今後、いったい、何をどうしていきたいのか、どうしていく予定であるのか、さっぱりわからない。


自分が無実だというなら、これは当然の処置で、当たり前のことをしたとしか思えないのだが、彼は牧師が黒以外ありえないという判断をし、中立の立場にいないからの発言だろう。
 だから、こうも言うのである。

 被害者の元信徒に謝罪し、罪を悔いる機会を自ら捨てて無理に被害者と裁判などで敵対した結果、最後には謝罪することそれ自体が完全に不能な状況に自分で自分を追い込むことになった。


この、筆者は自分がしていないことでも、被害者だという人が訴えれば、自分は謝罪するとでも言うのだろうか?
 ありえないはずである。現に名誉毀損で訴えられたとき、本人も戦ったのだから。

 さらに、コメント読んでみると、牧師なのに裁判とか、クリスチャンのすることじゃないとか書き込んでいる方もいるが、ちゃんちゃらおかしいぜ。である。
 自分たちのシテイルことは何なのだ?
 自分たちで、公のマスコミにまで公表し、牧師を訪ね歩いて一方的な噂を広め、件の牧師とちょっと接触があっただけで、同じ穴の狢扱いし、冷静に考えれば、どうということのないことまでも、外道扱いある。

 それが、クリスチャンのすることだと、真剣に思っているなら、そんな彼らこそ、聖書をいちから勉強しなおすべきだろう。