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「新潮ジャーナリズム」という言葉がある。怖いものなし、容赦なし。興味にまかせて何にでも切り込む姿勢は、権力者や権威にとっては煙たい。土台を築いたのは「新潮社の天皇」と呼ばれた剛腕編集者、斎藤十一(じゅういち)氏である▼氏は「僕は俗物だ。俗物が興味を持つのは金と女と事件」と説いた。事件の裏でうごめく欲や人間模様を、しつこい取材で天下にさらしてみせる。大衆週刊誌の範となったその手法は、きちんとした裏づけが命だ。作り話でそそられるほど「俗物」は甘くない▼一連の朝日新聞襲撃事件の実行犯として、週刊新潮が「実名告白手記」を載せた男性が、「私は実行犯ではない」と手記の根幹を覆した。どうやら、あの世の斎藤氏もびっくりの虚報らしい▼新潮社は男性に90万円払っていた。取材の謝礼ではなく原稿料だという。フィクションの大型新人を発掘しようということか。男性はなおも「手下がやった」と語っているが、飛びつく雑誌はあるまい▼しっかり調べもせず、この人物の話を4週続けて字にした責任は重い。いい加減に語られたのは許し難い言論テロだ。仲間の悲運を稼ぎの種にされた者として、悲しい怒りを覚える。ご遺族はなおさらだろう▼本紙の記事を検索したところ、週刊新潮は08年以降、名誉棄損訴訟で少なくとも10回負け、計3千万円近い損害賠償を命じられた。次号で手記掲載のてんまつを説明するそうだが、最近の筆の甘さを鋭くえぐる力作を期待したい。やられました、というだけの「告白手記」なら、紙のムダである。