UNCORK

COLUMNIST
堀 賢一


Once in a lifetime 一生に一度の夜

 アカデミー・デュ・ヴァン東京校の講座の一環として、渋谷のフランス料理店ロアラブッシュにおいて、「ワンス・イン・ナ・ライフタイム」という食事会を開催しました。これは、「2008年12月5日の夜に世界が終わるとしたら、誰とどこでなにを飲みますか?」という発想で企画したもので、私の自宅のセラーにある、購入したものの、抜栓する機会がないまま熟成のピークを迎えているワインを飲み干す夜となりました。高級レストランでのディナー料金込みではあるものの、21万円という高額な参加費のため、本当に募集定員の8名が集まるかどうか心配だったのですが、8月17日日曜日の朝10時の募集開始から数時間で定員の2倍に達し、出席者は抽選で選ばれることとなりました。当選した8名には、会社経営者や医師、外資証券会社のトレーダーなど、予想した通りの富裕者層が含まれていた一方、地方公務員も3名含まれていました。

 12月5日当日、午前中は快晴だったものの、知の巨人、加藤周一先生が亡くなられた前後から東京には突風が吹きすさび、嵐のような驟雨が大気を洗い流しました。羽田空港は一時、離発着を取りやめ、地方からの出席者は会場となるロアラブッシュにたどり着けないことを覚悟したそうです。しかしながら、夕方6時には雨も上がり、東京の空気は澄んで、美しい12月の宵となりました。ロアラブッシュの車寄せからドアマンに導かれて石のステップを上がると、奥のダイニングのドアのすきまから、女性ピアニストの弾くミスティの切なげなメロディーが漏れ出てきました。
 2階のメンバー専用のバーで、ベル・エポック1996年を飲みながら、全員が集まるのを待ちました。薄暗いバーの照明に見え隠れするエミール・ガレの描いたマグナムボトルは、遠くに聞こえるピアノの音と相まって、幻想的な雰囲気を醸し出していました。デゴルジュマンからまだ2年しか経っていないため、ロースト香はほとんど感じられず、フレッシュかつイースティで、この夜の口開けとして最適でした。

 1階のダイニングの、庭に面した個室に移って、ボランジェ・ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズ1989年が抜栓されました。ブラン・ド・ノワールであることを考えても、異常なほど濃い色調で、光の関係で一瞬、シャンパーニュ生産者が薄いロゼの色を表わすのに用いる“マœil de perdrix”(いわしゃこの目)という言葉が思い浮かびました。こちらはデゴルジュマンから6年経っているため、ローストしたナッツやコーヒーのような香りで、口に含むと、シャンパンというよりはブルゴーニュの赤を飲んでいるような、濃厚な味わいでした。出席者からは、「こんなシャンパンは飲んだことがない」という溜息が洩れました。
 ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズ1989年に合わせて中嶋シェフが準備したのは、「牡蠣のムニエル イチゴ風味のブール・ノアゼット」で、「身がプリプリに詰まったカキのムニエルの濃厚な味わいは、シャンパンには重すぎるのではないか?」と心配したのですが、実際のところ、ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズはその上を行く濃厚さで、ちょうど良いハーモニーを奏でていました。

 ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズをひとくち飲んで、「これは困った」と感じました。というのは、このシャンパンが濃厚すぎて、次に出てくる2種類の白ワインの味わいが薄く感じられてしまうと確信したからです。
 コシュ=デュリのコルトン・シャルルマーニュ 1989年は深い黄色の液体で、グラスに鼻を近づけた瞬間に意識が飛んでしまうような、複雑で不思議な香りでした。もっとも特徴的なのは、ローストされたような、香ばしい香りでした。「内側をきつめに焦がしたオーク樽のニュアンスだろうか?」と考えたのですが、コシュ=デュリの新樽比率が高くないことや、リリースされたばかりのコルトン・シャルルマーニュからこうした香りがみつからないことを考えても、これはメイラード反応によるものだろうと想像しました。つまり、デゴルジュマン後に長期ボトル熟成させたシャンパンと同じく、アルコール発酵後も1リットルあたり3グラム程度残留する還元糖が白ワイン中のアミノ酸と反応して生まれる、ワインに焦げたようなニュアンスを与える化合物のためだろうと想像しました。ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズが非常に濃厚で、ねっとりとしていた一方、コルトン・シャルルマーニュは華やかで、グラスから無数の香りが噴き出しているような状態であったため、コルトン・シャルルマーニュが薄く感じられることはありませんでした。
 1本目の白ワインに合わせて供出された料理は「三陸産鮑の温製フラン トマト風味のバターソース」で、アワビの繊細な味わいがとても上品でした。

 コルトン・シャルルマーニュが深い黄色であった一方、コント・ラフォンのモンラッシェ 1988年は、もっと熟成を感じさせる黄金色でした。香りもコルトン・シャルルマーニュのようにあからさまなところがなく、香道のようにゆっくりと向き合って香りを探して初めて、複雑な香りがグラスの底に輝いていました。白い花やシトラスなどの香りの裏に、おそらくボトリティス(貴腐菌)に由来すると思われる、アカシアのはちみつのような香りがみつかりました。味わいはコルトン・シャルルマーニュよりもねっとりとしていて、余韻も長く感じられました。
 モンラッシェに合わせてサービスされた料理は「ヴァンデ産鴨のフォアグラのポワレ シャンピニオンのクリームソース」で、フォアグラの濃厚な味わいとモンラッシェのねっとりとした舌触りが絶妙でした。

 ラ・ターシュ 1985年は予想よりも色調が薄めで、熟成のピークを越えかかっている印象でした。やや過熟気味のピノ・ノワールに由来するイチゴのような香りや、除梗を行わない、全房発酵に由来するスパイシーなニュアンスが感じられ、DRCのスタイルはそのままなのですが、期待が大きすぎたせいか、少し拍子抜けしました。信頼できるルートから購入したボトルで、アレッジ(ヘッド・スペース)が小さく、液面も高かったことから、コンディションの問題ではないとは考えていたのですが、あとでBurghound.comで確認したところ、ブルゴーニュワイン専門家のアレン・メドウズも同様のテイスティングコメントでした。
 料理は「宮崎沖で揚がったオオモンハタのヴァプール 百合根のクリームとソース・ペリグー」で、ハタをソース・ペリグーにつけて食べた後でラ・ターシュを口に含むと、トリュフの香りとDRC特有の香りが相まって、絶妙でした。

 シャトー・ラトゥール 1982年は予想以上に若い色調で、ポイヤックの河沿いの畑らしい、熟したカベルネ・ソーヴィニョンに由来する味わいでした。ボトル熟成に由来する複雑な香りはまだあまり感じられない一方、味わいは非常に滑らかで、ひとりで軽く1本飲めてしまうようなおいしさでした。
 シャトー・ラトゥールに合わせた料理は「丹波篠山産猪肉 腿肉のロティ ソーセージのパイ包み焼き マデイラソース」で、野趣あふれる猪肉の肉汁とシャトー・ラトゥールの熟れたカベルネ・ソーヴィニョンの味わいが、食卓の全員を笑顔にしました。

 チーズとともに供出されたのはスタッグス・リープ・ワイン・セラーズのカベルネ・ソーヴィニョン 1973年で、パリのアカデミー・デュ・ヴァンで1976年に行われた「パリスの審判」において、赤ワインの第一位に輝いた、歴史的なワインです。「一生に一度の夜」の主役的なワインでもあるため、今回準備した9本のワインのなかでも、もっともコンディションが心配だったのですが、ワインはとてもよい状態でした。やはり、完熟したカベルネ・ソーヴィニョンに由来するカシスのような風味があり、ボルドーを想起させる、やや植物的なハーブ様のニュアンスが奥行を与えていました。1976年に、なぜ9名のフランス人ワイン専門家がこのワインをボルドーのトップ・シャトーのものだと考えたのか、分かるような気がしました。この、「ピーマンのような」とも表現される未成熟なカベルネに由来する香りが、「完熟したカベルネ・ソーヴィニョンのニュアンス」が感じられるワインにみつかるというのは、矛盾しているようですが、このワインを生んだ葡萄樹の樹齢がたった3年であったことを考えれば、理解できます。つまり、樹勢が過剰であったために、一本の葡萄樹のなかで完熟した果房と未成熟な果房が混在した一方、世界的にワイン醸造現場ではまだターブル・ド・トリアージュ(選果台)が導入されておらず、選果が不十分であったため、このように矛盾するふたつの香りがみつかるのだと考えます。味わいはシャトー・ラトゥール1982年よりもタンニン分が豊かに感じられ、飲みごろのピークを過ぎつつあるものの、現在飲んでもおいしいワインでした。

 デザートのコレクション・ドゥ・ショコラとともに供出されたのはキンタ・ド・ノヴァル1963年で、熟成のピークにある、強さから繊細さに味わいの重心を移したヴィンテージ・ポートでした。4種類のチョコレートケーキと一緒に、少しずつ口に含んだのですが、おいしさのあまり多くの人がお代りをし、ポートは飲み干されました。

 最後に供出されたのはオリヴェイラス社のヴィンテージ・マデイラ、モスカテル 1900年で、2005年に瓶詰めされたものです。これは、ダイニング・テーブルに着席すると同時にデキャンタをしてもらっていたので、すでに3時間が経過していました。アルコール発酵が終わった時点ではほぼ無色透明な白ワインであったことが想像できないほど、真っ黒に近い琥珀色で、グラスからはドライフルーツやナッツの香りが噴き出していました。1リットルあたり80グラム程度の残糖があるのですが、酒石酸換算で10グラムを超えるような豊かな酸のためにそれほど甘くは感じず、陶然として飲みました。
出席者にもっとも印象に残ったワインを尋ねたところ、ボランジェ・ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズやコシュ=デュリのコルトン・シャルルマーニュ、スタッグス・リープのカベルネ・ソーヴィニョンとともに、このマデイラを挙げたひとが複数いました。

 ひとり1本以上のワインを飲んだのですが、酔って乱れるひともでず、楽しく会話も弾みました。ロアラブッシュのワインセラーや建物内を案内していただいた後、2階のバーに戻ってコーヒーとプティ・フールを楽しみ、イベントは終了したのですが、ほぼ全員がそのままバーに居残ってコニャックを楽しみ、学生時代に戻ったかのように、深夜1時過ぎまで恋愛話で盛り上がりました。おいしいワインは、ひとを若返らせるようです。

 

ONCE IN A LIFETIME
December 5th, 2008
l'Eau à la Bouche, Museum 1999

Champagne La Belle Epoc 1996 Magnum
Bollinger Vieille Vignes Françises 1989
Corton-Charlemagne 1989 Coche-Dury
Montrachet 1988 Comtes Lafon
La Tâhe 1985
Château Latour 1982
Stag's Leap Wine Cellars Cabernet Sauvignon 1973
Quinta do Noval Vintage 1963
D'Oliveiras Madeira Moscatel 1900