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『ゆでたまご先生』 その1

「スターウォーズ」や「機動戦士ガンダム」など、歴史に残るエンターテインメント作品が多数登場した1979年に連載開始し、社会現象にまでなった大人気まんが『キン肉マン』。今回のまんがのチカラはその作者、ゆでたまご先生が登場します! 現在も続編『キン肉マンII世』を精力的に執筆されているゆでたまご先生に当時の舞台裏をこっそり教えていただきました!!

『ゆでたまご先生』 その2>>

浪速の中学生タッグが最年少デビュー!

――『キン肉マン』は、続編『キン肉マンII世』も好調で、非常に幅広いファンのいる作品だと思うのですが、若い読者には、「ゆでたまご」が、原作担当の嶋田隆司(しまだたかし)先生と、作画担当の中井義則(なかいよしのり)先生の合作ペンネームであることを知らない人も多いと思います。
 そこで、まずは、「ゆでたまご」結成に至るエピソードを教えていただけませんか?

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(写真左)嶋田隆司先生    (写真右)中井義則先生

中井:小学4年生のときに、僕が相棒のいる大阪の小学校に転校して、そこで知り合ったんです。家が近所だったので一緒に通学するようになり、すぐに仲良くなりましたね。

で、その時すでに相棒は『キン肉マン』の原形になるまんがを描いていたんですよ。それで僕も一緒に描くようになって……それが「ゆでたまご」誕生のきっかけです。

――なんと、『キン肉マン』の原形は「ゆでたまご」結成前に生まれていたんですね! ところで、中井先生はそれまでまんがを描いてなかったんですか?

中井:そうですね。そもそもまんがをあんまり読んでいませんでした。むしろ野球が好きでしたね。まんがを描き始めてからはどんどんまんがの方にのめり込んでいっちゃうんですけど。

――「野球」よりも「まんが」を選んだ理由は何でしょう?

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中井先生

中井:「どうしてまんがを選んだんですか?」という質問はよくされるんですが、自分でも不思議に思っています。でも、河原で「好きな石を1つ拾ってごらん」って言われて拾う石に大した理由ってないですよね。「形がきれいだったから」とか「近くに落ちてたから」とか、いろいろな理由がつけられますけど、それって全部後づけじゃないですか。

僕が「まんが」を選んだ理由もそんなものなんですよ。どうして「まんが」だったのかは、今でもよく分からないですね。ただ、拾ってみたらすごく気に入ってしまったんです。

――なるほど。では、嶋田先生はいかがでしょう? どうして「まんが」を選んだんですか?

嶋田:小学生のころ、親に買ってもらえる学習雑誌に載っていた藤子不二雄先生(『ドラえもん』『オバQ』『パーマン』など)のまんがが大好きだったんですよ。当時の僕が喘息もちで家に引きこもりがちな子供だったこともあり、次第に自分でも描き始めて……って感じですね。

もちろん最初はコマなんか割らずに、答案用紙の裏にイラストを描くような感じでした。 で、それを友達に見せる時に出鱈目なストーリーを付けたりしているうちに『キン肉マン』が生まれていくんですよ。

――そのアドリブ感覚が『キン肉マン』に活かされていくんですね! ところで、絵を描き始めたのは中井先生の方が遅かったんですよね。やはり最初の頃は嶋田先生の方が上手だったんですか?

嶋田:いや、相棒は最初から絵が上手かったですね。

中井:イラストをそのままトレースしていたこともあったからね。で、それを「これはオレが描いたんだ」って言っていたんですよ(笑)。

――そんなお2人が合作し始めたのはいつごろなんですか?

中井:小学生のころ、毎年大晦日にスティーブ・マックイーン主演の『大脱走』(ジョン・スタージェス監督)という映画をやっていたんですよ。それを見て、一緒にこれをまんが化しようって描いたのが最初の合作だったと思います。

嶋田:キャラクターごとに担当を決めて描き分けてやった記憶がありますね。そうやったな、たしかに、それが最初だった。

――その後、本格的に合作していくことになるんですね。

中井:その当時、ジャンプ誌上で「プロまんが家の半世紀」みたいな企画をやっていたんですよ。その中で、池沢さとし先生(『サーキットの狼』など、現在のペンネームは池沢早人師)が子供のころ、友達と分担して3ページずつ描いたという話が載っていて、僕らもこういう形でやってみようかって思ったんです。

――当時は、合作とは言え、2人とも絵を描いていたんですね。

中井:そうですね。リレー形式みたいな形でやっていた時期もありましたね。

嶋田:ただ、だんだん分担がはっきりしてきて、14歳のころ、近鉄漫画賞に『ラーメン屋のトンやん』を投稿したときには完全に分業してました。ペンネームはまだゆでたまごじゃなくて、2人の名前を組み合わせた「本山たかよし」でしたけど。

――中学生で分業という形をとられているまんが家さんって、かなり珍しいですよね?

嶋田:珍しいという自覚はあまりなかったですけど、これが自分たちのスタイルだと思っていたので、違和感はなかったですね。

――描かれる作品はやはりヒーローものが中心だったんですか?

嶋田:いや、いろいろ描いてましたね。格闘まんがはもちろん、アクション、料理まんが……自伝も描いてました(笑)。『まんが道』(藤子不二雄A先生)が大好きで、ああいうまんがを描きたかったんですよ。

自分たちがプロになってお金持ちになる、みたいな妄想話も描いてたよな(笑)。

――合作の良さって何でしょう?

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嶋田先生

嶋田:1人だとなかなか投稿までは踏み切れないと思うんですよ。それが2人いると、約束した以上描かなあかん、とそういう良さがありますね。特に僕は性格上、合作の方が向いていましたね。

――そんな2人がプロのまんが家になろうと本気で考え始めたのはいつごろですか?

嶋田:実は、当時から高校を卒業するまでにまんが家になるんや、という明確な目標があったんですよ。僕らは2人とも母子家庭なので、高校を卒業したら就職してまんがを描けなくなることが分かってましたから。

――なるほど。かなり早い時期からプロを志していたんですね。さて、その後、有言実行で高校生のうちに1回、賞を獲られていますが……。

中井:その前、16歳の時にジャンプの赤塚賞に応募して最終選考に残ったんですよ。

嶋田:それで、2度目の赤塚賞への応募のとき、手塚賞にも送ったんだよな。ただ、両方とも結局、選外になっちゃった。

キン肉マン

中井:それで三度目の正直で「次こそは!」ということもあって、子供のころに描いていた『キン肉マン』はどうだろうって話になったんですよ。

――それは長い間暖めてきたキャラクターで勝負をかけるという決意で?

嶋田:いや、ぜんぜん暖めていたわけじゃなくて(笑)、ここで出したら面白いんじゃないかとか、それくらいの気持ちでしたね。

――それが第9回赤塚賞(1978年)準入選となるわけですね。

嶋田:そうですね。それで、卒業したらすぐに連載デビューしようという話になったんです。たぶん、ジャンプでは最年少だったんじゃないかな。

――親御さんは反対されなかったんですか?

嶋田:母子家庭だったんですごく反対されましたね。

中井:「そんなもので飯が食えると思っているのか!」ってさんざん言われました。

――やはり、時代的に「まんが家なんてまともな職業じゃない」という風潮があったんですか?

嶋田:そうですね。あと、本当に原稿料が安かったんですよ。しかも僕らはそれを折半しないといけない(笑)。折半しなければ、普通の高卒よりよかったんですけど、半分にしちゃうと全然生活できない。

中井:けっこうキツかったですよ、あれは。

嶋田:だから僕は『キン肉マン』連載中に3ヶ月くらいバイトしてましたよ。社内販売のお兄さんになって牛乳とかパンとか売ってました(笑)。

――それじゃあ親御さんは心配ですよね。結局、どうやって説得されたんですか?

嶋田:当時の編集長である西村さんと、「アデランスの中野さん」のモデルにもなった担当の中野さんが大阪までスカウトに来てくれて、親を説得してくれたんですよ。

結局、「もしまんががダメになったら、東京で就職の世話をする」って条件をつけてもらって、親が折れましたね。

――編集長と担当さんがわざわざ大阪まで来てくれるというのは異例だと思うんですが、やはり「ゆでたまご」に光るものがあったということでしょうね。

中井:この間、相棒の結婚式の主賓挨拶で西村さんがおっしゃっていましたが、当時、どうしてもジャンプに低学年向けのギャグまんがが欲しかったらしいんですよ。「ゆでたまご」は、分かりやすいのがいい、絵はヘタだけど、って(笑)。

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(写真左)嶋田先生      (写真右)中井先生

ゆでたまごプロフィール

嶋田隆司(しまだたかし) 1960年、大阪府生まれ
中井義則(なかいよしのり) 1961年、大阪府生まれ

1978年、『キン肉マン』が第9回赤塚賞準入選。その後、週刊少年ジャンプで同作品を連載(1987年まで)し、社会現象にまで発展するヒットを記録する。アニメ、映画、グッズ、ゲームなど積極的なマルチメディア展開も行なわれた。特に登場超人を模した「キン消し」は当時の子供たちの間で大流行となる。現在は、週刊プレイボーイ誌上で、続編『キン肉マン2世』を連載中。


「まんがのチカラ」次回予告
次回(2008年2月15日頃掲載予定)は、皆さんお待ちかね! 『キン肉マン』の話をたっぷりとお届けします! 高校を卒業したゆでたまご先生が、いよいよ連載を開始した『キン肉マン』が、どのようにしてその人気を不動のものにしていくのか。その過程を、連載開始当初の苦労話や、制作の上での裏話を交えつつ、嶋田先生と中井先生が当時を振り返り語ってくださいました。お楽しみに!

2008年02月09日