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肉はどこから:いのちと向き合う/下 屠場の変遷見つめ

 ◇「牛との真剣勝負」から分業、機械化

 牛を引いてトラックから降りてくる男性、牛がいなくなった係留場を掃除する職人、水の中にひじまでつけて内臓を洗う女性たち……。大阪府中部に位置する松原市の屠場(とじょう)を撮影した写真家で映画監督の本橋成一さん(69)のモノクロプリントだ。本橋さんは、80年代と現在の屠場で働く人々を収めた写真集を今年出版する予定。屠場の撮影はいわばライフワークだ。

 本橋さんは東京で公開中の映画「バオバブの記憶」など、世界各地で自然や動植物と深くかかわる人々の暮らしを記録してきた。松原とのつながりは、86年公開のドキュメンタリー映画「人間の街」の製作時にスチールのカメラマンとして、松原市立と畜場(当時。現在は南大阪食肉市場に再編)の人たちを撮影したのが始まりだ。

 国内の屠場は現在、衛生上の理由や作業の効率化のために、オンライン方式で牛や豚を解体する。牛の場合、失神させた後、放血しながら、天井からつり下げられたレールに後ろ脚を引っかけ、一度も肉を床に触れさせることなく皮をはぎ、内臓を出して枝肉にする。職人が各工程を分担して作業にあたる。

 本橋さんが撮影した80年代半ばは、牛を床に寝かせた状態で皮をはいでいた。「当時は自分でハンマーみたいなもんで牛の眉間(みけん)をたたき、自分でむいた。今より過酷な仕事だった」と南大阪食肉市場の村上幸春社長(62)は振り返る。「入った当初、なんぼたたいても牛が倒れず、周りから『牛の耳かんだら倒れる』って(冗談を)言われて本当にかんだ。必死やったから」と話す一方、「5、6分あれば1人で1頭の皮をむけた」と職人時代の自負ものぞかせる。

 本橋さんの目にも、80年代の解体の現場は「人間と牛の真剣勝負」に映っていた。「肉を作る過程で今以上に機械化が進めば、外部から関心を持たれる機会がますます減って、一層いのちが見えなくなる」と危ぶむ。

 本橋さんが人間と動物のかかわり方を考える原点は、終戦直後の少年時代の体験だ。東京都内の焼け野原にバラックを建て生活を始めた一家は、常時十数羽の鶏を飼っていた。

 「月に1、2回鶏を絞める時、父親は必ず僕を立ち会わせ、解体の手伝いをさせた」。えさやりは本橋さんの仕事で、名前を付けて可愛がっていた鶏を可哀そうと思う。同時に、久しぶりに食べられる鶏肉は本当にうれしかった。本橋さんは「現代はいのちを学ぶことが難しい時代。柔軟性のある子どものうちに殺している現実を見せる荒療治も必要ではないか」と提案する。

    *

 「食と環境問題」というテーマの中に、牛肉が食卓に届くまでの過程を描いた本が3月に出版された。食料自給率や温暖化と食の関係性などを解説した「たべものがたり」(ダイヤモンド社、1995円)。トラックで屠場に運ばれた牛を休ませる場面や、解体、競りを経て店頭に並ぶまでを詳細なイラストと文章で説明する。

 本を作製したNPO法人「Think the Earth プロジェクト」(事務局・東京)は、環境破壊や富の偏在など地球規模の問題を見据え、これまで「いきものがたり」「みずものがたり」を出版。上田壮一プロデューサー(43)は「食と地球環境を考える時、農業の情報は多いが肉の情報は少ない。見えにくいからこそ、メッセージ性を強調せずにありのままを伝えたかった」という。「たべものがたり」は全国の小中高校4万5000校に寄贈され、書店でも扱っている。

 長年、食育の重要性を唱えてきた料理研究家の服部幸應(ゆきお)さん(63)は「食べるという行為の根幹は、いのちをつないでいくためにいのちをいただくということ。他の動物の親が子にえさの取り方を教えるように、人間も自分たちの食べるものの成り立ちを子どもたちに伝えることが重要だ」と語る。【手塚さや香】

毎日新聞 2009年4月8日 東京朝刊

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