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肉はどこから:いのちと向き合う/中 タブー越え「知りたい」

 ◇屠畜・解体現場と職人たちを映画に

 真っ黒な牛が柵の中から顔を出す。画面が切り替わり、放血が終わって片脚をつるされた牛は解体ラインに乗り列になって流れ始め、職人たちは大きな牛の皮をはいでいく。

 ドキュメンタリー映画「にくのひと」冒頭の一コマだ。07年にこの映画を製作したのは、当時、大阪芸術大3年生だった満若(みつわか)勇咲(ゆうさく)さん(22)=東京在住。作品は学内上映会で最高の賞を受賞し、その後アムネスティ映画祭(09年1月、東京)や人権学習会などさまざまな場所で上映されている。

 撮影のきっかけは、牛丼チェーン店で3年間アルバイトをしたことだった。カットされた肉を連日、目にする中で芽生えた疑問。「この肉はどうやってできたんだろう」

 牛などを解体する屠場(とじょう)を撮影しようと、首都圏や関西の数カ所に接触したが、どこも人権問題や衛生上の理由で断られた。そこで「ホルモン奉行」などの著書があるフリーライターで食肉産業に詳しい角岡伸彦さん(45)を頼り、連れて行かれたのが兵庫県加古川市の加古川食肉センターだった。ガラス越しに牛の解体工程を見られるブースがあり、学校や農協が主催する消費者グループの見学も受け入れている。

 センターを運営する加古川食肉産業協同組合の中尾政国理事長(56)は「こんなにオープンなところは全国的にも珍しいでしょう」と話す。公開するのは「ショックを受け忌避する人がいるかもという不安はある。でも自分で見て感じてもらった方が理解が深まる」と考えるからだ。

 満若さんは週1回センターに通って下調べや取材を重ね、約半年間で撮影した約35時間の映像を55分に編集した。「肉のことを知りたい」という興味から生まれた企画だが、完成した作品は、牛の屠畜・解体方法に関する部分が約半分。残りは屠場に対する差別、偏見や被差別部落についての中尾理事長や職人たちへのインタビューで、多様な価値観を浮かび上がらせた。

 撮影前、映画の構想を話すと、周囲の反応は世代によって異なった。「同級生は『なかなか見られない場所だから見たい』などと興味を持ってくれたが、40代以上は『部落差別の問題は大丈夫か』『それはタブーじゃないのか』という反応が多かった」と振り返る。

 「映画が評判になったのは、肉ができる過程を見たい人がいるから。そういう人たちが自分の目で見られるようになればいい」と満若さん。ただ、観客からの「いのちの大切さ」をめぐる問いかけには困惑を隠さない。「牛がどうやって肉になるかは理解できたが、半年間撮影したくらいで『いのちの大切さ』なんて分からない」というのが実感だからだ。「生き物の死をどうとらえるかは人によって違う。簡単に答えは出せない」と語る。

   *

 2月下旬、NPO法人「シブヤ大学」(東京都渋谷区)の授業コーディネーター、加藤丈晴さん(43)ら4人は埼玉県和光市の食肉解体・加工業「アグリス・ワン」のミートセンターを訪れた。

 シブヤ大学は、環境問題などさまざまな分野の講師を招き授業を行っている。加藤さんの関心は食といのち。山形県での1年間の農業体験を通して、「どこから来たか分からないものを食べる生活は、生きる力を失う」との思いを強め、自分も含めて都会で暮らす人たちの食のあり方への疑問が深まった。理想は、いざとなったら自分の食べ物は自分で調達できるという確信を持てる暮らしだ。

 センターを訪れたのは、家畜が肉になる現場について学ぶことで、いのちを食べて生きていることを実感したいという思いをセンター側に伝え、学びの方法について意見を聞くためだ。加藤さんは「自分たちの生が他の生き物の上に成り立っていることを理解するには、体感するしかない」と考える。

 一方、吉田安夫センター長(58)は「食肉生産の現場はまだ学びの場として外部に開く心構えができていない」と戸惑う。「牛や豚が、生き物から食べ物に切り替わるところを消費者が普通のこととして受け止められるか。そうなるまでには相当の準備が必要だろう」と指摘する。

 加藤さんたちは、講座参加者と一緒に屠場を見学したいと思うが、まずは講演や映像を使って段階的に学習しようと計画中だ。肉についてどう学び、参加者とどう理解し合うか模索は続く。【手塚さや香】

 ◇食肉の世界描く話題作次々

 消費者が知る機会の少ない食肉の世界だが、近年、映画や書籍で話題作が続いている。

 07年秋から順次公開された映画「いのちの食べかた」(05年、ドイツ・オーストリア合作)は、工業化された食の現場を淡々と描写。ドキュメンタリーとしては異例のヒットを記録した。イラストルポライター、内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」(解放出版社)は、モンゴル、イスラム圏などの食肉文化の豊かさや、屠畜に対する認識を描いた。昨年公開の邦画「ブタがいた教室」、エッセー「ぼくは猟師になった」(千松信也著、リトルモア)など食といのちを考える作品も注目された。

毎日新聞 2009年4月7日 東京朝刊

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