2001年度立命館大学産業社会学部
朝日新聞協力講座ニュースペーパーリテラシー

2001.11.8


 第6回
新聞に欠かせない校閲・チェック機能




大堀 泉 校閲部次長



 今、ご紹介に預かりました朝日新聞校閲部の大堀と申します。
 今日は私のお話を聞いて下さるということで、最後までご清聴いただけるとありがたいと思います。最初に自己紹介をしておきます。私は1983年4月に朝日新聞東京本社校閲部に入社いたしました。初任地は東京で3年と4ヶ月おりまして、名古屋本社に行きました、そこに2年間いまして、そのあとはずっと大阪本社の校閲部におります。校閲専門の記者というかたちで採用されましたので私の仕事はほとんど校閲オンリーです。出身地の大阪本社に戻ってきてから、95年の6月から1年10ヶ月、整理部の記者をやりました。そして、また校閲に戻りました。結局もう16年余りこの仕事をずっとやっております。

 校閲記者というのは何をしているのかということを言わせていただこうかなと思います。校閲部というのは一応編集局の中にあるのですが、何も記事を書かない部署です。ただ新聞を読んでいるだけの部署ですので、校閲部は新聞を読むだけでお給料がもらえるという非常に良い部署です。いかに新聞をうまく読むかということが私たちの課題だと思っています。とにかくはじめは紙面の形で出てきません。昔はゲラと言いましたけど、そういうものをきちんと線をひいて1字ずつ読む、読むときに中に出てくることはみんな調べる。もちろん取材した記者しか分らないことはありますけども、なかに出てくる有名人、地名、駅名、機械の名前などで調べられるものについてはなんでも調べます。要するにすべてを疑えと言うのが私たちの仕事です。
 やはり、新聞記事というのは非常にいそがしい時間の制約の中で書かれますので、こういっては悪いですが、勘違い、うろ覚え、書き誤りというミスはあります。それは間違えようと思って間違えているわけではなくて、うっかり間違えているものがほとんどなのです。例えば逮捕されたときの名前と裁判されているときの名前が違っていたりします。そういうときは逮捕されたときの記事を見れば違うと分ります。そういうことをしています。それから新聞の紙面というのは見ていただけたら分りますが、文字部分の記事、写真とか図も入っていますよね。それから見出し、写真説明などによって構成されていますので、全部読みます。漫画も読みます。この中に校閲部が見てないのは下にある広告だけです。朝日新聞の記事には色々な取り決めがあります。「赤本」と言ってどの字が適切か熟語などを規定したマニュアル、それから外国人名とか記事の扱い方を決めた黄本というマニュアルがあります。それ以外にも「事件報道の手引」といいまして事件の記事をどういう風に書くか、どこから匿名にして、どこから実名にするかというようなことを決めたマニュアルです。

 校閲部というのは、昔どうやって記事を書くかという細かい国語的な取り決めばかり言っている時代がありましたので、社会部などからいやがられた時期もありました。ただ、そういう取り決めがあるということは、誰の書く、どんな記事が、どの面に載るか、ということは書いたときにはわからないということなのですね。1面にはこう書いてあるけど、社会面にはこう書いてあるとか、この人はこういう風に書くけど、あの人はこういう風に書かないということをやり始めると、面ごとに取り決めが変わるというのは読者にとってすごく不都合なことになってしまいます。
 1面にはタリバンで、社会面にはタリバーンでは読者にとってうれしくないし、困ります。小さな記事から1面トップに至るまで同じルールで書いてもらうという決まりです。まず最初にゲラの格好になっているものの読み解きをします。その次に組み付けが始まります。組み付けというのは紙面そのものを作る作業です。

 紙面というのは記事を寄せ集めて作るわけですが、よほど決まったコラムとかでない限り、皆さんご存じのように、日本の新聞は1面に入るものを適当なところで切って、5面に続くとか、22面に続くとかそういう書き方はしません。ということは結局記事を書く段階ではどの面のどこに乗るということは書いている人は分っていないわけです。それを切ったり、くっつけたりして一つの面に入るようにするのが整理部の仕事なのですが、とにかく誰が書いたとかどこに載るかというのは校閲部は問題にしません。誰でも同じように読みます。長くても長いまま載るとは限りませんので、編集者が切ってしまうことがあります。短くても1面トップになることはありますし、長いからといっていいところに載るとは限らないのが新聞記事ですから、長いから一生懸命読み、短いから手抜きをしてよいということにはなりません。整理部のデスクというのはどの記事をどの面に載せるかというのを決めますし、大きさも決めたりします。書いた記事がまったく削られずに載るわけではありませんので、削ったところに実は大事なことが載っていてつじつまが合わなくなるときがありますので、そういうところに気をつけたりします。

 それから見出しを編集者がつけますが、慌てていたりとか、ミスのために妥当でない見出しというのも出てきますから、そういうのを指摘するのも仕事です。結局、記事を作る段階で見る校閲と、紙面を作る段階で見る校閲とを一緒にやっているわけです。あと、紙面を作るにあたっては、実際にコンピューターを操って紙面を組んだり、見出しを置いたりするオペレーターの方がいらっしゃいますが、この人たちもやはり人間なのでミスをすることがあります。たとえば、1本目と、2本目を逆に流して書き出しが真ん中から始まってしまったとか、同じ見出しが2カ所入っているというそういう製作上のミスがあります。どういう人がどういう作業をやっているかということをある程度、知っていないと対応できません。
 先ほど新聞を読んでいるだけでいいと言いましたが、実際はそう甘いものではなくて、どれだけおかしいところにひっかかることができるか、ということが大事です。新聞にはニュース面以外に家庭面とか文化面という特集版と称するものがあります。それともう一つは地方版があります。皆さんが持っている新聞にうしろのほうに京都版があると思いますが、これは結局地方ニュース専門で、朝日新聞では地方版を校閲部は今は見ておりません。作ってから時間があるものなので、支局さんのほうで、もう一回よく点検してくださいということになっています。以前はこれを全部見ていまして、「今日の天気」のところに間違いがあるということが結構ありました。単純に数字を並べているだけなので、見ている人が注意していないと間違いがすぐわかってしまう恐ろしいところですので、本当は要注意面なのですが。

 本日の朝刊の実物を見ながら昨日の紙面作りに、何があったのかお話ししたいと思います。
 13版と書いているものがほとんどだと思うのですが、新聞は今、統合版とセットという2種類あります。統合版は夕刊が入らないもので、セット版というのは夕刊とセットなのでセットと呼ばれています。新聞というのは電波メディアなどとは違って、ものにして運ばないといけません。そのためには、印刷した場所から販売店までが近ければ近いほど新しいニュースがお届けできるし、遠くなれば遠いほど早いうちに刷ったものしか届かないので、いわゆる本社から遠いところでは朝刊と夕刊の両方ともお届けすることは出来ません。それで朝刊だけという地域が、かなりの面積あります。
 本社にだんだん近づいていきますとサービス区域が細かく分かれてきます。皆さんの京都とか滋賀の大津くらいだと13版というのが入ります。もっと大阪に近いところに住んでおられる方は14版というのが入ります。私は本日14版を持っていまして、その中には阪神版が入っています。一応、朝刊で三つの版があるのを分っていただくのと、もう一つは言葉の説明で広い意味の編集というのは編集局全体を指すので、記事を書いている人、記事を組んでいる人、読んでいる人、この三つが全部編集局員ですが、編集者というときには、新聞では何をどこに載せるかということを決める整理部員、それと対峙して出稿部というのはみなさんがよく知っている新聞記者で、社会部、経済部、学芸部、写真部などなどです。つまり原稿とか写真とかいうものを作るところ。この人たちは作って、これを載せてくださいと言って整理部に渡します。整理部はそれをもらった後でこれは1面にもって行こうとかいうことを決めます。

 本日付13版の社会面では「昼間も東京直行バス」という風な見出しになっていると記事があると思います。その最初の原稿を見てもらいます。この文章の横に線が引っ張ってあるのは校閲マンが読んだ証拠です。我々は新聞読むときにも、モニターといわれている昔で言うゲラですが、それを読むときにも、必ず線をひいております。というのも一字、一字その字を間違いなく押さえているかどうか確認するためでもあり、途中で電話がかかってきたときにどこまで読んだかなということがわかるために、ということで教わりました。
 まず一番最初に、文の中で「西日本ジェイアールバス」というのは正しいかどうかというのを調べます。JRの時刻表とかを見れば分るのですが、ジェイアールバスというのはカタカナで書くのですが、それで良いのかということなどを確かめます。次に7日という日付が出てきます。これは昨日の日付ですね。発表された日ですね。まさかこんなものを間違えないだろうと思うかもしれませんが、これを間違える人は結構います。
 予定稿を書いていて日付が変わったのに直すのを忘れたとか、今日はいつかと言うことを頭にいれないで書いていると、とんでもない日付が入ることもあります。その次は「運賃は新幹線のぞみ(片道14720円)」というのも当然調べます。時刻表を見れば分りますので、つまり書いている人がのぞみの片道運賃を知らないはずはないのですね。だけど、どこかから資料をもらって書き写すときに14720円と自分では分っていながらうっかり間違えたりすることが容易に起こりえます。校閲部のほうではどうして間違えたとかいうことは推測がつきません。ですからいろんなことを考え合わせとかなければいけません。そういう意味で徹底的に調べます。ただ、記事の中で「両駅間を約7時間30分で結ぶ」とあります。これはこちらでは調べられません。

 発表がそういうふうに言っているわけなので、ここのところは常識で考えて大丈夫だろうと信じるわけです。後ろのほうに1日4往復を予定というところはこれからのことなので調べようがないので、書いてあることを信じてあげるという格好になります。記事を書いた後で記者が、やっぱり私のあの原稿を直したい、あるいはデスクが読んでここのところが分らないから補強しろ、という指示を出します。原稿を出した後でも常に直し作業を続けています。記事のすべてにわたって書いた後でも、載った後でも直しは出ます。
 さっき朝刊には三つ版があるといいましたが一番早い版は大阪では10版です。それが降版した後も改善の余地があるということになれば出稿部の記者は常に直してきます。次の13版の降版までに直しが間に合えば、13版ではそれが直ることになりますし、13版を降ろした後もさらに次の14版でも直しがきますので、やはり最終版が記事的にもよく出来ているということにどうしてもなってしまいます。早い版の人ほど余り上手くない記事を読まされる傾向にあるのですが、書いた以上直さなくて良い完璧な記事が書けるわけではありませんので、常に出稿部は直しをかけます。それを適当な時間で区切って、どこまでやっていくかということは整理部が決めます。

 校閲は常に新しく出てくる原稿を読みながら、かつ直しが入っているものもフォローしていかなければいけないわけですね。それをやりつづけていって、今度はまとめ刷りといって一枚一枚の原稿を新聞の活字にして並べたものが出てきます。この段階で今、原稿はどのような格好をしているのか、どれくらいの原稿が自分の面に出ているのかを見るために編集者が使うものです。囲み記事になっているものがあります。これは別のルートで先に作っていまして、囲み記事にするのか、まとめ刷りで並べるのかということは編集者が決めます。囲み記事になっているのは比較的お話ものが多くて、ストレートニュースは囲み記事にしないことになっています。この段階で編集者は囲み記事になっているものと、まとめ刷りを手に持って紙面を組もうということになります。
 いくつか入らないものや、どういう風にそこを埋めようかまだ決まっていない途中段階の刷り、中刷りというものが出てきます。次は見出しや写真や地図そういうものを載せた上で新聞の刷りが出来てくるわけですが、分量というというのは初めから決まっていて、記事がそれにあわせて書かれるわけではありませんので、どうしてもはみ出してしまうわけですね。ないものを膨らませるのは難しいですが、はみ出したものを切るのは比較的簡単です。文章をはずしたり、復活させたりの指示を編集者は次々に出していきます。

 編集者は口だけで指示を出すことは絶対にありません。というのは口だけだと問題が起きたときに言った、言わなかった、の話になるので、必ず紙に書いて指示を出すということになっています。オペレーターはその紙に書いてある通りに直しますし、また校閲部はそれを見て何が起こったのかを類推できないと困ります。そうやって切ったり張ったりをしながらようやく皆さんが見ているような紙面になるわけです。はじめ考えていたときは、新聞というのは淡々と作られるものかと思っていたのですが、実は直前までドタバタしています。
 編集者は削りをする、社会部は直しを入れてくるという作業を降版時間という限界の時間までやり続けるので、色々な直しが殺到してきます。そうすると必ず見直していないとミスがたくさん出てきますので、そういうミスを校閲が拾います。直しに間違いがあるとか、編集者の削りは適切か、を降版時間まで言い続けるわけです。それでようやく商品として皆さんに読んでいただける紙面が出来ます。実は昨日13版と14版の間ではかなり色々なやりとりがありました。一つには13版には「住宅焼け子供4人死亡」という記事があまり大きく扱われていませんでした。というのは情報があまり入ってきていなかったからです。14版では写真入りで掲載されています。要するにこれはこの記事が大きくなっていて、編集者がこちらのほうが大事だというふうに判断したからです。
 また、写真とかも間に合ってきて大きく扱うことができるということです。このように各版ごとにいろいろ編集者の判断は変わりますので、1面に出て行くものもありますし、逆に、1面から中の面に入ってくるものもあります。そういうことは、よほど何もない日以外は必ず最終版まで行われますし、一回つけた見出しには二度と触らないということはありません。編集者が最後まで見出しを触りつづけますので、触った結果良くなるとは限りませんが、とにかく直しは延々とでてきますからフォローしていかなければなりません。

 あと、校閲記者の目についてですが、校閲記者というのは新聞を読んでお給料をもらっているわけですが、校閲というのは最初の読者なわけです。新聞の記事を原稿で読むのは出稿部のデスクなのですが、紙面の形になってはじめて読むのは編集者と校閲です。新聞を誰よりも早く読めるのですが、その代わり記事を書かないわけですから、書いた人や紙面を組んだ人に遠慮はありません。従って、これはちょっとまずいなというものはどんどん言っていかないといけません。第三者の目というものが必要だと思います。
 ご存じのように朝日新聞の読者というのは非常に多岐にわたります。私たちとしては高校生くらいが理解できる記事を載せて欲しいと思っていますが、読むのは高校生だけではありません。いろいろな専門家からド素人まで同じ記事を読んでいただくわけなので、専門家が読んでもおかしいと思われないように書いていないといけませんし、かといって素人が読んで意味が分らないというのでは用をなしません。

 新聞に書くということは記者が読者にこういうことがありましたよ、ということを伝えたいわけですから、確実に読者に伝わらないといけない。そういう意味で校閲部では伝える道具である日本語がきちんとしているかどうか、ということがまず一番大事かなと思ったりします。これは要するに5W1Hがさっと読めるかどうかということですね。私はこう読んだが、誰かはそう読まなかったということは、論評の場合はともかく、事実を書いている記事であっては困ります。誰が、どこで、いつ、何を、それを誰が読んでもわかるようになっていないといけません。必ず読者の目というものを恐れていないといけません。意外なことを知っている人はたくさんいます。一度シベリアの街の写真を載せたところ「むかし私はその街にいたが、その写真はその街のものではない」という電話が社にかかってきたことがあります。校閲部としてはそうした読者すべてを代表する目を持ちたいと思っていますので、これは日々紙面を読むだけではなくて、自分なりに色々な勉強をしないといけません。

 机の上での勉強だけでなくて、街に出るのも勉強だし、全然知らないで読むと何のことだかわかりませんので、とにかく紙面に載ることはなんでも勉強するべきだと思います。社会面の一番下に死亡記事というものがあります。誰が、どこで、なぜ、どうした、ということが一番簡明に書かれている記事です。これは5W1Hしか書いていないわけですから校閲部としては必死で調べます。いつ、どこで、なぜは分らないにしても、名前やお葬式の会場や喪主さんの名前も調べます。この8行くらいしかない記事でも調べなければいけないことはたくさんあります。だから一人一面しか担当しませんが、一つの面の記事を全部読みこなし、噛み砕くには非常に時間がかかります。
 しかも、調べ終わったところでいっぱい直しが入ってくるので、それをフォローしなければいけないということで、常に追っかけながら、しかも、読者が読んでこれをどう感じるのだろうということを必ず考えながら読まなければならないという仕事をしているのが校閲です。一応色々なことがあったり、直しを入れたりということ以外にも原稿が遅い、つまり、降版時間が夜中の12時だとしますと、社会面の頭の記事が11時50分ごろに出てきたりします。その行数が60とか70とかなのです。そんなもの10分間で調べられるわけありません。とにかく工程上の時間の遅れを校閲部は帳尻あわせをしないといけないわけです。校閲としては待ってくれとはいえません。
 そうなると全部出来ないのですが、整理部が「校閲さん行きますよ」と言うと、途中までしかいってなくても、あとでもう一回調べるという厳しい仕事を日々やっています。逆にいうとゲームのようなものでもあります。いかに早く間違いを見つけるかにかかっています。時間をかければ見つかったけれども、この時間では見つからなかったというものがたくさんあります。調べるといってもどうやったら早く見つけられるということを考えなければいけません。

 最後に、朝刊は夜中に作られます。夕刊は朝の10時ごろから作っています。だから私たちの仕事は大半が夜です。夜の3時ごろまで仕事をしております。夕刊のときには朝から始まって、昼過ぎには終わるのですが、そういう格好なので皆さんがご飯を食べて、テレビを見ている時間に非常に忙しく働いています。
 朝刊の「きょう」というのは、書いている時には必ず明日なわけです。日付が変わるころ大変忙しく仕事をしておりますので、夜勤ばかりというふうになってしまう職業です。とにかく新聞を読むのが好きで飽きないという人はぜひこの仕事を考えて欲しいなと思います。「『事実は小説よりも奇なり』が私のライバルだ」ということを西村京太郎さんが言っていたと思いますけど、それぐらい新聞は面白いものだと思いますし、どんな小さな記事でも必ずそこで5W1Hがあって人間ってこういうことしているのかということが分るわけで、新聞を読んでいただくと社会が分るというよりも、その社会の中にいる色々な人が分るという意味でヒューマンストーリーとして新聞を読んでいただくと面白いものではないかと思います。
 あるいは自分で興味を持つジャンルを決めて切り抜きをするとか、そういう読み方も良いのではないかと思います。私も今でも時々、切り抜きをします。自分なりに関心のあるものについては毎日、新聞を読んで、どこかに書きとめるか、切りぬくかをして読み飛ばすことはありません。もっともっと新聞を活用して欲しいなと思います。