栄光の李氏朝鮮
『元、明、清に隷属し貢女(宮廷性奴隷)を献上、
両班の娘か妾以外を選んではならず、
朝鮮国王の妹や王女、王室や大臣の娘が好ましい--』
国王が娘を性奴隷として貢納した宗主国様は、こんなお方、
隋末期の武将、朱粲は人食い大魔王とでも言うべき人物だった。
当時、襄陽あたりは飢饉に見舞われ、六十㍑の米が一万銭でも買えない状態。
朱はこれに乗じて兵をおこし、言った。
「この世で人肉ほど美味い物があろうか。しかも国中何処でも人間が居る。兵糧の心配など何もない。」
朱は部下に命じて女・子供を捕まえさせ、蒸し肉に加工して兵糧として配給した。
また、城市を占領しては各部隊に男女を食糧として分け与えた。
のち、唐に投降したのちに唐の武将、段確に宴会の席で尋ねられた。
「人肉が好みだそうだが、どれほど美味な物かな?」
朱粲は答える。
「酒を飲んだ後の人間ならば、『粕漬け豚肉』ですな」
段確は怒って叫んだ。
「この恥知らずが!唐に降った囚われ人のくせにまだ人を喰らうつもりか!」
これを聞きつけた朱は部下に段確を殺させ、その肉を煮て喰った。
併合前の朝鮮は、毎年飢饉で餓死者が出ていた。飢饉は当たり前で、餓死する人数が違うだけの状態。
『明治9年朝鮮は大飢饉。海南では6千人中3千人が餓死し、60戸が12戸に減じた村もあった。
海南県監金演奎は、「昨年の如きは実に未曾有の大飢饉にして、今年は尋常の飢饉なり。」』
比較のために、北朝鮮
★
私は咸鏡南道北青市から来て、今年23歳です。4人兄弟で兄二人、妹一人でした。 ・・・・腸チブスとコレラで死んで行き、飢えで死んだ人々の死体が通り
のあちこちに散らばっていた。 都市地域の食糧配給は3余年前から途切れ、闇市場の価格はとてつもなく跳ね上がった。売払う物も・・・隠し貯えていた金も
無くなった。 私たち家族は、互いに離れて生きる道を探す事に合意した。・・・・・・・・・既に父は栄養失調で苦しんでおり、・・・・・・・・・兄と妹が
どうなっているか分からない。私の隣家では、餓死しないように自分の娘を殺して食べてしまった。・・・・・・
人々は放浪し始めた。・・・・・最近はあまりにも多くの人々が動き回るので、住民移動は統制不可能になってしまった。 そして私は、恵山に行く事を決心し
た。・・・・食べ物がここよりあるという話を聞いたからである。・・・・・毎日通っていたバスは週に1回しか通わず、また度々故障した。・・・・・それ
で、私は他の何千人もの人々のように、ただただ歩いた。北青から恵山まで行く間、大人や子供の死体が道の両側にころごろしていた。腹が膨らみ頭も大きな子
供たちとがりがりに痩せた人々もよく見かけた。
★人々は闇市で人肉を販売していることをみな知っている。公の場で言わないだけだ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/06/03/20030603000053.html
併合に関する、当時の知識人の意見 平理院裁判長 洪鐘宇
「韓国は今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の旧邦も今は断末魔に近づいている。一進会ならざるも 哀々たる庶民は此上塗炭の苦しみにまみれたくなかろう。むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の政にて一千二百国民が蘇生する事を得れば、国は亡んでも亡び甲斐がありと言わねばならない」
朝鮮土人の民度
★併合後、13年経った朝鮮では、迷信による残虐な 殺人・食人 が流行
『生肝取りが流行 癩患者の迷信から残虐な殺人をする朝鮮』 名古屋新聞 1923/8/11 〔〕 ・愛知 【】
★併合後、20年経ち、文明国の大日本帝国にやってきた、超賤土人。 わが子を殺して夫に食べさせる。
『吾子の腹を割き生肝を夫に食はす/亭主の長患ひに/鮮女凶行後に自首』 神戸新聞 1930/8/16 〔7/6〕 足柄下郡・神奈川 【社会】
併合を解消後、大韓民国政府は国民福祉を強力に推し進める。
慈悲深い大韓民国政府のおかげで、永遠にこの世の苦痛から解放された人々の数。 推定。
1948年 済州島「4.3事件」 30,000人 ?
1950年 朝鮮戦争 4,000,000人 ?
1950年 保導連盟事件 300,000人 ?
1951年 国民防衛軍事件 100,000人 ?
1951年 居昌事件 8,500人 ?
大韓民国政府は、この素晴らしい事業が外国に漏れ、
又自国民が不公平感を持つことを恐れたのか、事実を隠蔽したようです。
民主的で、慈悲深い大韓民国政府の高度な採用試験を通過した国家公務員=エリート兵士達。
↓↓ 心から大韓民国国民の幸福を願っています。 ↓↓
世界一民主的な大韓民国政府の施策を受け入れ、
↓↓ 楽しく愉快に天国で遊ぶ大韓民国国民(想像図)。 ↓↓
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ベトナム戦争時、米国の要請に応じて最前線で戦った韓国軍(1965年から1973年)が残忍で、
殺したばかりのベトナム人たちの内臓を取り出し、米兵などにもすすめながら
食べた行為は現地ではよく知られている。
http://72.14.253.104/search?q=cache:9HeGAqnC-2kJ:www1.doshisha.ac.jp/~twatanab/watanabe/sonota/sinpotokaikaku0206.html+%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E3%80%80%E6%85%B0%E5%AE%89%E9%9A%8A&hl=ja&ct=clnk&cd=14&gl=jp
・・・捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方
式で展開した. 生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦, 女性に対する強姦殺害,
家屋への放火などだ. 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる.
★住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
★住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.
★子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
★女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
★住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた. 老人たちの口にはタバコが
咥えられていた場合が多かった.
恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.
http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
大韓民国陸軍は、自由と民主主義を守るために、派兵したのでは??
それとも、ドルを手にするための派兵、元共産党員の大統領のアメリカの支持を取り付けるための、保身のための派兵、だったのでしょうか??
大韓民国国家公務員が、守るべき良民を虐殺して・食べる、これは何なのでしょうか?
しかし、国家公務員が、新鮮な死体を食べたというのは!?
軍隊のやることではありませんね。
ベトナム人の耳を集めて首飾り。御機嫌の大韓民国国家公務員たち
(参考)裏切りこそ我人生。言葉そのままの大統領。
朴正煕 親から貰った名前があるのに
創氏改名 岡本実 更に 通名 高木正男
先ず、教員になる。 -> これからは軍隊だと、満州国軍に転職。敗戦直前に中尉 -> 将校なのに敗戦すると、部下を捨てて軍より逃亡 -> これまで
敵だった光復軍に参加・北京地区第一中隊長になる -> 帰国・光復軍将校のまま、こっそり共産党入党・南労党軍事部長になる ->
共産党員のまま国防警備隊士官学校に入り、韓国陸軍大尉になる ->
粛軍(共産党狩り)で逮捕。軍内の共産党組織を売りその功績により助かる -> しぶとく、軍に文官として再就職 -> 粘り強く、軍に武官として復活
-> 夢が実現。クーデターを企画・政権奪取・大統領になる -> 共産党員だった負い目から、米にベトナム参戦を提案。政権維持のためにさまざまな犯罪
(誘拐・殺人等)を指示する。 -> 在職中に部下の政府職員(KCIA部長)により射殺
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その後、大韓民国に帰国したベトナム派遣軍司令官達は、この秘密の福祉政策を再開します。
1980年の大韓民国政府の、思いやり溢れる大規模な福祉施策
その実態
http://64.233.167.104/search?q=cache:hv5xxKYByHUJ:www.bangrang.org/history/kwangjuphoto.html+kwangjuphoto&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
楽しく愉快に天国で遊ぶ、若い大韓民国国民が大勢写っています。
一説では、光州市の3,000人が、この恩恵を受けたようです。
この事業は、1ドルも儲けは無いんですが。
辛い人生を送る国民への福祉政策だったのでしょう。
時は降って
世界の文明国=大韓民国
世界の文明国の政治家は、行動も魅力に溢れています。
島根県議会訪問のソウル市議、カッター出し取り押さえられる
「竹島の日」条例案に反対するために松江市の島根県議会を 訪れていた
韓国の崔在翼ソウル市議が16日午前8時50分ごろ、
議会棟の玄関付近でカッターナイフを取り出し、近くにいた警察官らに
取り押さえられた。
崔市議は竹島の韓国領有権を主張する団体「独島郷友会」の会長。 カッターと一緒に白い紙を取り出しており、自らの指を切って血で 声
明文を書くつもりだったと話しているという。けがはなく、警察官が 事情を聴いている。 県議会は、崔市議と同行していた独島郷友会の関係者1人を
傍聴させないことを決めた。 崔市議は同日午前8時20分ごろから議会棟前で「独島はわれわれの
領土」とハングルで記された旗を広げ、報道陣のインタビューに答えていた。 議会事務局に宮隅啓県議会議長への面会を求めたが断られ「侵略的行為を密室で決めている」と憤った直後だった。
大韓民国政府が試験をして採用し、教育をした大韓民国公務員が、
何の罪もない日本人を強盗・殺人しながら4,000人も誘拐。巨額身代金を奪った。
その舞台となった、竹島を侵略し話し合いにも応じないのは大韓民国政府なのだが!?
しかも、大韓民国政府はその大事な人質返還条約を隠して、嘘を捏造、日本を誹謗し、
謂れの無い金銭要求を繰り返している。
旧朝鮮の、もう一方の片割れは、
脅迫状:横浜市役所などに送付 朝鮮総連への課税に抗議
横浜市役所、東京都庁、埼玉県庁に18日、在日本朝鮮_人総連合会(朝鮮総連)の施設への課税に抗議し「職員を一匹づつ殺す」などと書かれた脅迫状が送りつけられていたことが分かった。横浜市役所には7月19日にも酷似した脅迫状が送られている。各警察本部は、脅迫容疑で捜査している。
調べでは、脅迫状はA4判に縦書きで「脅迫状
総連施設への課税行えば 職員を一匹づつ殺す」などと印字され、茶封筒に入っていた。差出人はなく、あて先は「横浜市役所御中」など役所あてだった。都庁と埼玉県庁に送られた脅迫状は千葉県市川市内で投かんされたとみられる。横浜市役所と埼玉県庁への脅迫状には、カッターナイフの刃が同封されていた。
横浜市の中田宏市長は7月12日、北朝鮮のミサイル発射に伴い、朝鮮総連関連の10施設に対して今年度の固定資産税と都市計画税を減免しないと発表した。同19日には「総連施設への課税に対し断固抗議する さもなければ職員を殺す」と書かれた
脅迫状とカッターナイフの刃が送りつけられた。神奈川県警は、今回の脅迫状と同一犯が送付したとみて調べている。
朝鮮総連埼玉県本部幹部は18日、「我々は減免措置に対する県内の行政の対応に不満を持っていない。課税権がない県へ送るなどあまりに茶番だ。総連へのイメージがただでさえ悪くなっている中、嫌がらせと感じる」と関与を否定した。【野口由紀、弘田恭子】
毎日新聞 2006年8月18日 20時11分
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「2児拉致」疑惑の会社、対韓テロを画策か
1973年に行方不明になった渡辺秀子さん(当時32歳)の子
ども2人が拉致されたとされる事件にからみ、渡辺さんの夫が勤務していた東京都品川区の貿易会社「ユニバーストレイディング」の当時の社員が、74年8月
の韓国・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領狙撃事件の後、北朝鮮本国からの指示として「あんな事件を起こせ」などと命じられていたことが、警察当局の調べで
わかった。 この社員は、日本人を多数、北朝鮮に送り込むようにという指示も受けていたという。 同社は78年ごろに活動を停止したが、警察当局がその後、活動停止前の社員などを調べた結果、社員の一人が、北朝鮮の工作機関からの指示として、「日本人と在日朝鮮*人の間に生まれ、日本国籍を持つ若者らを集めて、北朝鮮に送り込め」と命じられていたことがわかった。 朴大統領の狙撃事件の実行犯は、日本人名義の旅券で韓国に密入国した在日韓国人の男で、韓国の公判記録などによると、狙撃を指示したのは、当時の在日本朝鮮*人総連合会(朝鮮総連)幹
部だった。また、実行犯は、この時の旅券を、朝鮮総連を介して受け取っていたことも判明している。 北朝鮮はこの時期、韓国国内での工作活動を進めやすい
ように、日本国籍を持つ人物や在日韓国人を工作員に引き入れる動きを活発化させており、警察当局では、ユニバーストレイディングも、工作員の獲得や養成の
拠点になっていた可能性が高いとみている。
(2007年4月7日3時21分 読売新聞)
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人々は闇市で人肉を販売していることをみな知っている。公の場で言わないだけだ