Fri, April 03, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から阪大大学院工学研究科のI先生への手紙-研究室からH先生のセミナー参加へのお礼-

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I先生



ご無沙汰しております。2月23日開催の「第27回モンテカルロ基礎理論セミナー」にH先生を参加させていただきまことにありがとうございました。当日は、あいにくのひどい雨でしたが、予定どおり実施することができました。H先生は、阪大OKTAVIANでの実験解析に連続エネルギーモンテカルロ計算コードMCNPを利用しているとのことで、会話の中から、かなりのレベルにあると感じましたが、それでも、改めて理論の深い理解と整理に努めている姿勢に好感が持てました。H先生は、最初から最後まで、大変熱心にレクチャを聞き、質問も多くしておりました。私のつたないレクチャでしたが、多少なりともお役に立てれば幸いです。取り急ぎお礼まで



桜井淳


(参加者の上司が知り合いの大学の先生のみ礼状を出しています。)


Fri, April 03, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -社会人になるに当たり読むべき数冊の本-

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R先生



再び、唐突ですが、駒場キャンパスに通ったこれまでの5年間のことを整理し、ひと区切りつけるために、ここに、"根源的な哲学"について記しておきます。世の中、ひとそれぞれですから、みな、考え方が異なることくらい、あえてここに記す必要もないでしょう。私は、昨年まで、"根源的な哲学"として、プラトン(B.C.427-B.C.347)とヘーゲル(1770-1831)とマルクス(1818-1883)について論じていましたが、今年から、歴史的に、プラトンよりも、さらに1000年遡って、B.C.1300年頃のモーセの旧約聖書「モーセ五書」、その中でも旧約聖書「出エジプト記」について論じるだけでなく、さらに、新約聖書「福音書」についても論じるようになりました。そのため、"根源的な哲学"として、「旧約聖書」「新約聖書」(本欄バックナンバー参照)と「資本論」を挙げるようにしています。「資本論」は、人間を中心とした社会学を基にした経済学の体系化だけでなく、文化論・芸術論等ばかりか、さらに、私の眼から見れば、技術論・安全論等(具体的には、「第一巻資本の生産過程 第四篇相対的余剰価値の生産 第13章機械装置と大工業」等)のよい教科書になるくらいいまでも十分に一般性のある記載があります。これから社会人になるひとには、ぜひ、それらに、もう一度(最終的には、いくら時間をかけてもよいから、「旧約聖書」はヘブライ語、「新約聖書」はギリシャ語、「資本論」はドイツ語で読むようにしてください)、目をとおしていただきたいと期待しています(できれば、実務書として、「小六法」も熟読吟味していただきたいものです)。それらを読むと、哲学の体系の大きさと深さをいやというほど認識でき、なおかつ、人間の尊厳が読み取れるからです。「旧約聖書」「新約聖書」と「資本論」には大きく分けてふたつの共通点があると認識しています。ひとつは、ユダヤ人による著作であること、もうひとつは、両書とも、歴史的な"人間革命"を遂げたことです。マルクスは、パリで過ごした25歳頃、ユダヤ人問題については、「人間の政治的解放ではなく人間的解放がなされなければならない」(マルクス『経済学・哲学草稿』、p.300、岩波文庫、1964)と主張していましたが(詳細はマルクス『ユダヤ問題について/ヘーゲル法哲学批判序説』、岩波文庫)、「資本論」の体系化の根底には、そのような考え方によって貫かれているのです。社会主義は、1980年代後半、ソ連邦の軍拡と米国との競争での軍事費の膨張にともなう敗北を契機に、一気に崩壊し、ソ連邦のみならず、東欧の同盟諸国の体制も崩壊し、一部の保守主義者によって、社会主義の終焉が論じられましたが、それからちょうど20年経って、今度は、必然的出来事であるかのように、一昨年9月に発覚した米低所得者対象高利子住宅ローンの焦げ付きを契機に、100年に一度ともいわれるほどの深刻な米国の金融危機が、連鎖的に、世界の資本主義を崩壊の危機に陥れました。米ナスダック元会長による2兆円の詐欺による金融不信、金融危機の中で株・投資信託等の評価価値半減し、経済新興国のブラジル・ロシア・インド・中国(いわゆるBRICS)等のそれらも同様の連鎖の中で、歴史的クラッシュに陥っており、短期的回復の手法がなく、自動車を初めとする輸出製品は、まったく売れない時代になり、資本主義の崩壊すら現実味をおびてきました(『週間ダイヤモンド』、2009.4.4特大号「大不況の経済学」、ダイヤモンド社)。「資本論」は、人間革命を実現した一般性のある永遠の学術書であって、「聖書」とともに、歴史的・世界的傑作と言えます。



桜井淳

Fri, April 03, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -東大科史・科哲の技術論研究の中身-

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R先生



唐突ですが、駒場キャンパスに通ったこれまでの5年間のことを整理し、ひと区切りつけるために、ここに、技術論について記しておきます。私は、最初に、指導教官から、学位審査までに、少なくとも3年、できれば6-7年かけてくださいと言われました。2年間かけた理学博士の取得経験からして、なぜ、社会科学の学位審査では、そのように時間をかけなければならないのか、良く分かりませんでした。東大大学院総合文化研究科の科史・科哲(東大の関係者は科学史・科学哲学のことをこのように略)の研究者は、広範囲な分野の研究を行っていますが、その中に、技術論の研究も含まれています。世界的に見ても、戦後に限定すれば、技術論の研究における際立った進展は、まったく、なかったように受け止めています。戦後、東大科史・科哲の研究者の果たした役割は、まことに残念ですが、まったく、ありませんでした。いま、武谷三男『弁証法の諸問題』(勁草書房、1968)の「技術論-迫害と戦いし知識人にささぐ-」(pp.125-141)(初出は『新生』、1946年2月号)を読み直してみると、世界(p.133の欄外)と日本の技術論の進展の歴史がよく分かり、特に、日本の技術論の分析をとおして、それまでの数名の研究者の技術概念と武谷の技術論の差異がみごとに対比されて論じられています(特に、時代背景や特高警察の調書であることに注意して読まなければなりません)。その論争は、唯物論研究会に集まったマルクス主義者を中心としたもので、武谷(当時、30歳台半ば)は、彼らの技術概念の問題点を指摘し、新たな技術概念(後に「武谷技術論」と呼ばれました)を提案しました。相川春喜は「過程しつつある手段」」(同、p.132)、三木清は「行為の形」」(同、p.132)、三枝博音は「過程としての手段」(同、p.136)としましたが、それらに対し、武谷は「客観的法則性の意識的適用」(同、p.137, p.139)としました。戦後、星野芳郎は、武谷の共同研究者として、「武谷技術論」の体系化に貢献しました(故・星野先生は私の技術論の先生でした)。星野は、まだ、20歳台後半の時、『技術論ノート』(真善美社、1948)を発表しました(後に、『星野芳郎著作集第1巻-技術論Ⅰ-』、pp.121-290、勁草書房、(1977)に収録)。いま読み直してみても、みごとな出来栄えで、技術論の基本的な文献のひとつとしての地位は、半世紀以上も経った現在でも、少しも揺るぎません。その内容は、序にかえて、第一部技術の論理(第1章生産的実践の構造、第2章生産的実践の三つのモメント-労働力・労働手段・労働対象-、第3章生産力と技術・技能、第4章ヘーゲルの目的についての覚え書)、第二部技術論争(第1章戸坂潤氏と相川春喜氏との対立、第2章「技術=労働手段の体系」の規定の矛盾、第3章武谷三男氏を中心とする終戦後の新展開)、あとがき、からなります。星野のこの貢献によって、「武谷技術論」は、「武谷・星野技術論」とも呼ばれています。その後、今日まで、世界の技術概念は、まったく、変更されていないように解釈できます(村上陽一郎『技術とは何か―技術と人間の視点から―』、p.15、NHK出版、1986)。三枝は、最終的には、横浜市大教授兼東大科史・科哲教授となり、一時期ですが東大技術論の看板となりました。三枝は、マルクス主義者でしたが、柔軟な思想の持ち主であったためか、横浜市大学長と日本科学学会会長の要職についていました。東大には三枝のあとに技術論がありません。そのため、私は、ここ5年間、科史・科哲の関係研究者に技術論についての話を聞きたいとも思いませんでした。



桜井淳

Fri, April 03, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 10-最も"根源的な学問"は何んでしょうか-

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X先生



ご子息が希望する都内の有名大学にみごと合格したとのこと、まことに慶賀すべきことです。親として、数多くある責任のうち、まだまだ、第一コーナーの目標でしょうが、ひとつの区切りができたことと思います。ご子息は、4月から東京暮らしになるのでしょうから、月1回の割合で帰ってくるとしても、これまでよりも寂しくなることでしょう。一生のうちで、大学生の時がいちばん自由に考えられ、あらゆる分野の本が読めて、吸収できますから、きっと大きく成長することでしょう。卒業して社会に出ても、競争と勉強の毎日で、一生、勉強になりますから、死ぬまで休めません。私は、もっと早く、大学から手を引けると思っていたのですが、新たな問題意識がつぎつぎを湧き上がり、それらを実現すべく、つぎつぎと学位論文をまとめ(理学、工学、社会学(まとめ中))、2004年から着手した東大大学院総合文化研究科での社会学の学位論文のまとめも最終段階に達し、いまは、打ち合わせのために、時々、駒場キャンパスに行く程度になりましたが、その代わり、4月から、本郷キャンパスの東大大学院人文社会系研究科の研究室にお世話になることになり、時々、通って、神学の分野で原著論文がまとめられるレベルに到達できるまで精進しなければなりません。最も"根源的な学問"は、ひとそれぞれでしょうが、私は、プラトンやヘーゲルやマルクスではなくて、聖書の歴史実証学や聖書解釈学に基づく神学と受け止めています。私は、高校1年生の時から英文の「新約聖書」を繰り返し、熟読吟味してきましたが、「旧約聖書」や仏教については、耳学問程度でしたから、実質的には、世の中の人達と同様に、何も知らないに等しく、まったくのゼロに近い状態からの出発でした。そのため、今年1月15日に、それまで長きにわたり構想していた最も"根源的な学問"を実現すべく、東大大学院人文社会系研究科の神学を専攻する先生に面会し、これまで神学について持っていた問題意識を中心に、質疑応答(本欄バックナンバー参照)する中で、意外と内容がよく分かり、自身が意外と適切な考え方を持っていたことに気づきましたが、その反面、部分的には、早急に内容を把握しなければならない分野と文献があることに気づき、徹夜に近い毎日でしたが、それでも2ヵ月かけて、これまで知らなかった分野、すなわち、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、イスラーム教の基礎的事項と経典(特に神学の場合には聖典)を読み、世界の民族宗教と世界宗教の現状と考察事項が分かるようになりました。比較宗教学の観点から、それらにかかわる全体的な知識を得なければなりませんが、研究の中心は、やはり、ヘブライ語の一次資料の解読による「旧約聖書」(聖書Bibbleの語源は"数冊の本"を意味するギシリャ語のビブリヤ)の歴史実証学と聖書解釈学に基礎においた研究になります。なお、参考までに記せば、「新約聖書」は、最初、ギリシャ語で書かれましたから、研究のためには、ギリシャ語の一次資料の解読に努めねばなりません。モーセの時代から約3300年経ったいまでも、「旧約聖書」の学問的中心をなすモーセによる「旧約聖書」の「出エジプト記」には、未解明な点が少なくありません。「新約聖書」の学問的中心をなす「福音書」も同様です。ヨハネ福音書のヨハネは、12使徒のいちばん弟子の元漁師のヨハネと考えられていますが、イエスに洗礼を与えた長老のヨハネという解釈もあり、前者の説が優位ですが、まだ、確実なことは言えない段階のようです(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、p.412(1963))。何が未解明で学問的な論点になっているかが分かれば、作業がしやすくなり、効率的なまとめができるようになるでしょう。東大大学院人文社会系研究科へのかかわりは、私の研究時間の一割くらいに留め、中心となる研究や作業は、これまでどおり、米国での講演・受託研究・共同研究、国内での講演・受託研究・共同研究・学術セミナー開催等になります。米東部大学(米トップ三大学のハーヴァード大とイェール大とプリンストン大は兄弟校であり、建学精神はキリスト教、校章はバイブルをデザインしたもので、いずれも大学院神学研究科が設置されています)との関係は、東大での神学の研究の延長から、必然的に、進展することでしょう。米国での2000年からの試行錯誤は、約10年にして、自身がなすべき教育・研究とビジネスの構造が確実に見えてきました。やはり10年が一区切りになります。



桜井淳

Fri, April 03, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 9-著作から読み取れる五木寛之氏の宗教の認識-

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X先生



私は、神学や宗教については、「旧約聖書」「新約聖書」の原典や「ナザレのイエス」「ユダヤ教の精神構造」等の研究学術書だけでなく、「新約聖書物語」「神の発見」「世界の宗教」「梅原猛著作集第9巻」「般若心経について」「チベットのモーツアルト」等の啓蒙書も読んでいます(本欄バックナンバー参照)。キリスト教や仏教についての表現で特におもしろくて分かりやすいと感じたのは、梅原猛・中沢新一・犬養道子・瀬戸内寂聴・五木寛之等の解説です。表現法や内容が受け入れられるか否かにかかわりなく、非常に冷静で淡々と語っているのは、作家の五木寛之氏です。五木氏は、1932年生まれですから、77歳になります。五木氏は、早大文学部露文科卒後、若くしてベストセラー作家となり、代表作として、34歳で「さらばモスクワ愚連隊」(第6回小説現代新人賞)、35歳で「蒼ざめた馬を見よ」(第56回直木賞)、35歳で「青年は荒野をめざす」、36歳で「風に吹かれて」、44歳で「青春の門 筑豊篇」(第10回吉川英治文学賞)(このシリーズは総数2000万部の歴史的ベストセラーとなりました)、49歳で一時休筆して、京都にある浄土真宗(親鸞)の龍谷大で仏教を学び、その後、文壇に復帰、その後、仏教については、「蓮如-われ深き淵より-」「生きるヒント」「大河の一滴」「人生の目的」「運命の足音「不安の力」「元気」「気の発見」「神の発見」「人生の覚悟」等の作品があります。読んで感じることは、五木氏は、人間的に、大変真面目で、誠実で、勤勉で、しかも、がまん強く、常に冷静で、淡々と語り続けており、読者に、人間としての価値・魅力・能力・主張がよく伝わるような表現をしており、希に見る人生への積極的な姿勢が読み取れる作家のひとりのように思えました。特に、ベストセラー作家が、49歳で大学に入り直し、しかも、仏教を学ぶということは、誰にでもできることではなく、人生について特に感じることがあってのことでしょうが、その年齢は、人生の一区切りというだけでなく、同時に、迷いが生じ、人生の最終的な目標は何かについて考えるようになり、仏教を学ぼうとした心境については、私は神学ですが、マクロに見れば、私自身の経験からも、よく分かるように思えます。読者の中には、五木氏のように、腰が低くて本音で悟りきったような哲学の展開に、違和感どころか、揶揄すらする者がいますが、私は、どちらかというと、積極的に受け入れる立場にあり、学問や人生に対する積極的な姿勢には、なお、学ぶべきことが多くあるように感じています。五木氏は、全作品をとおして、人間とは、人生とは、について、問いかけているのです。



桜井淳

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