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社説

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追加経済対策―規模の大きさを追うな

 麻生首相が政府・与党に新たな経済対策をまとめるよう指示した。かつてない不況下で政府として何ができるのか、大いに知恵を絞ってもらいたい。

 だがそれにしても、政府・与党内では「100年に1度の経済危機」を大義名分に、一見、経済効果がありそうな策なら「何でもあり」という空気に流れすぎていないか。

 検討中のメニューには整備新幹線や高速道路網、空港、港湾の整備、自動車の買い替えや省エネ住宅への助成など、平時なら簡単には認められない巨額の予算項目がずらりと並ぶ。

 輸出の激減が内需へも波及して、多くの生産設備や労働力が余っている。その余剰規模は20兆円超という。与党内からは「それを財政支出で穴埋めする」と言わんばかりに、10兆円超の財政支出を求める意見が強い。麻生首相は「赤字国債も辞さない」とそれを容認するような姿勢だ。

 しかし、需要追加策の役割は急降下する景気を下支えし、需要喚起へ向けて刺激することにある。冷え込んだ需要を財政がすべて穴埋めすることはできない。それを肝に銘じてほしい。

 昨秋以来、政府は財政支出規模で12兆円、事業規模で75兆円にのぼる景気対策をまとめた。09年度予算も成立し、当面必要な公共事業は十分に確保できている。すぐに公共事業の息切れを心配する状態にはない。

 現実には、対策を検討している官庁の中からさえ「予算をつける先がなかなか見つからない」と嘆く声が出ている。いまは、失職した非正社員の就労・生活支援など、急場の対策に全力を注いだらどうか。規模の大きさを競うような方法は避けるべきだ。

 むやみに財政支出を膨らませれば、それだけ次世代の税負担が増える。それが将来の不安を増幅し、いまの消費まで抑え込んでしまう逆効果も考えられる。そもそもバブル崩壊後の「失われた10年」に政府は総額130兆円の景気対策を打ったが経済を立て直すことができず、巨額の借金が残った。財政だけで成長率を高めることはできない。そういう教訓を得たはずだ。

 与謝野財務相も「賢い使い方が必要」と強調している。将来世代にとっても本当に必要な政策を選ばねばならない。その点で大切なのは「不安」を取り除く政策ではないか。いざという時の安全網となる雇用や医療、介護、年金など社会保障の充実である。

 いずれも長期的な視野に立って制度設計すべきものばかりだ。それを設計し直すには、麻生政権に残された半年の任期では足りなかろう。長期にわたる制度だけに、野党と腹を割って協議していくことも欠かせない。

 だとすれば衆院を早期に解散して、こちらの制度づくりは民意に支えられた選挙後の政権にゆだねるべきだ。

朝日襲撃事件―「虚言」報じた新潮の責任

 未解決の殺人事件で、「真犯人」がメディアに名乗り出てきた。その証言を報道するにあたっては当然、真偽を詳しく吟味するのがメディアの責任だ。だが、週刊新潮にとってはそうではないらしい。

 87年5月3日、憲法記念日に記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件をめぐり、週刊新潮は実行犯を自称する島村征憲氏の手記を1月から4回にわたって掲載した。

 ――在日米国大使館職員から襲撃を頼まれ、多額の現金と散弾銃を渡された。その銃で阪神支局を襲って2人を殺傷し、名古屋本社寮襲撃や静岡支局爆破未遂事件も自分がやった。

 「犯行の指示役」とされたのは米国大使館を昨年退職した男性だ。島村証言が真実ならば事件の核心を握るキーパーソンである。

 ところが、元職員は新潮社に「手記はまったくの虚偽」と抗議し、訂正と謝罪を求めた。これに対し、新潮社は先月、現金を支払うことで和解した。金銭で解決を図ったのは、誤報を認めたと考えざるを得ない。

 だが、新潮社は和解内容を明らかにせず、取材の経緯も説明しようとしない。報道に携わる出版社の責任を意識しているとは言えない。

 そもそも週刊新潮が島村証言の裏付けをとろうとしたのかすら疑わしい。犯行声明を書いたと島村氏が名指しした右翼活動家の周辺など、関係者に取材をした形跡がほとんどないからだ。

 当然なすべき取材をしていれば、島村氏の主張が「虚言」であることはわかったはずだ。実際、朝日新聞社が島村証言の裏付け取材をしたところ、事実と異なる点が数多く含まれていた。

 捜査当局の努力にもかかわらず、一連の事件はすべて時効になった。だが朝日新聞社は、今も真相解明に努めている。それは同僚の記者が殺されたからというだけの理由ではない。言論を暴力で封じ込めようとする、成熟した民主主義社会には決してあってはならぬ犯罪への怒りからだ。

 「虚報」は事件の真相を追及しようとする努力をさまたげ、混乱させるものだ。伝統ある週刊誌の一つがこうした報道をし、過ちを一向に認めないのは残念というよりも悲しい。

 このところ、週刊誌の記事で名誉を傷つけられたと訴えた裁判で、週刊誌側に賠償を命じる判決が相次いでいる。いずれも取材が十分に尽くされていなかったことが指摘された。

 週刊誌報道が、不正の告発や重要な問題提起をした例は数多い。だからこそ、根拠の薄いうわさや危うい証言に頼らない、慎重な取材による事実の発掘という基本はゆるがせにできない。

 今回の週刊新潮の報道は、メディアの信用を著しく傷つけた。新潮社は、その責任を明確にすべきである。

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