最終更新: 2009/04/01 06:38

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4人の救急医が全員辞職することになった大学病院の救命救急センターを取材しました。

4人の救急医が全員辞職することになった大学病院の救命救急センターを取材しました。
4人の救急医が全員辞職することになった大学病院の救命救急センターを取材しました。

鳥取・米子市にある鳥取大学付属病院・救命救急センターに、時速100kmで交通事故を起こしたドライバーが運び込まれた。
山陰地方の救急医療を支えているセンターの救急医たち。
彼らの決断は、全国の注目を集めた。
鳥取大学付属病院・整形外科教授の豊島良太院長は2月4日、「救命救急センター常勤医が4人。そのうち、4人がお辞めになります」と話した。
救急医4人全員が3月いっぱいで一斉に辞職し、残りはほかの科の応援医師3人になるという。
鳥取大学付属病院・救命救急センターの八木啓一教授は「もう少し一緒にやってくれというふうなことは、もう自分自身、自信を持って言えなくなったというのが、夢を持てなくなった。救急医を辞めます」と語った。
なぜ、救急医の4人は同時に辞めることになったのか。
記者会見で語ることのなかった本音を聞くため、八木教授を訪ねた。
八木教授は「一番の問題は、やっぱり一番最初に言った、『この病院全体で救急医療をやっていくんだ』というコンセプトが作ってもらえなかったと」と話した。
八木教授はまず、病院内に点在する救急医療の施設を案内してくれた。
八木教授は「エレベーターがすぐに来ないんですが、急患が来るとここを駆け下りないといけないんですよ」と話した。
救急医たちが待機している医局は5階。
センターとは別の建物で、移動に1分半以上かかるという。
また、重傷患者の診断に欠かせないCT(コンピューター断層撮影)は、エレベーターを使って2階に移動する。
八木教授は位置の変更を求めたが、今も変わりはない。
2004年にスタートした鳥取大の救命救急センター。
八木教授は初代責任者として選ばれ、着任当初、救急医は8人体制と説明されたという。
八木教授は「結局、確実にやったのは4つだけです。籍としては、もらったのは。『8つ出すって言っていたじゃないですか』って言って、その当時の院長と交渉しましたけど、それはもうどうしようもないと」と語った。
そこで、八木教授は各科に応援を要請したが大半が拒否し、整形外科と消化器外科だけが3人の医師を応援に出した。
それでは間に合わず、2008年12月には八木教授が自ら4回の当直を担当した。
八木教授は「4回のうち1回は30日ですしね。1回は25日ですからね。クリスマス(当直)を若い人がやらないように」と話した。
大学病院という組織の中で、孤立感を深めていった八木教授。
その背景には、医師にしか理解できない救急医に対する特別な見方があると、豊島院長は語った。
豊島院長は「医療というのはその救急、分秒争う疾患が最も重要であるという認識がなかったわけですよ。やはり救急医療というものを、あるランクより1つの下に見る傾向があるんですね、日本の医療は」と語った。
命を救う重要な救急医療を、ほかの専門分野より格下に見るという不可解な思考回路。
実は、大学病院にこうした考えの医師が多いと、八木教授は指摘する。
八木教授は「救急疾患来て、救急医が診た。各臓器別に診療科が当然、そのあとの治療をやらないといけないと思うんですけれども、それは救急医に協力してあげてるんだという、逆だと思うんですけどね。みんなでやるところの一番最初のところは、われわれが受け持っているだけで」と話した。
突発的な症状を救急医が処置し、あとは専門分野の科が対応する。
それが当然と思っていた八木教授。
しかし、救急医は夜間の番人のように扱われていたという。
八木教授は「全国どこに行っても、同じような問題抱えていますから、救急医は」と語った。
悩みながらも、年間およそ900件の救急患者を受け入れてきた八木教授。
しかし、いつまでたっても変わらない現実に、抗議と警告の意味を込めて、八木教授は鳥取大を辞職する決断を下した。
気さくな人柄で慕われてきた八木教授。
最後の当直を一緒に過ごしたいと、医学生たちが集まってきた。
鳥取大医学部の4年生は「先生が最後の当直をやるので、僕もちょっと見学したいなと」と話した。
八木教授は「わたしが残っていたら、彼らに臨床実習を教えてあげることができたんですけれども、まあ、申し訳ないですね」と語った。
苦い思いを残して、八木教授は鳥取の地をあとにした。
4月から新たにスタートする神奈川・横浜市の救命救急センター。
そこに救急医・八木啓一の姿があった。
八木氏は「ここなら、考えていたような救急医療できるかなと。熱心に働いている研修医の先生方もいらっしゃいますし。わたしが今まで身につけてきたことを伝えることも、少しずつでも伝えることができるのかなと」と語った。
再び最前線に立つ覚悟を決めた救急医・八木氏。
一方、鳥取大の救命救急センターは、4月1日から応援の医師を集め、10人体制で臨むという。

(04/01 00:45)


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