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【古典個展】立命館大教授・加地伸行 教員は幼稚園に学べ

2009.3.29 03:19
このニュースのトピックス言語・語学

 幼稚園児の孫の卒園式に出席した。ジジ馬鹿丸出しである。

 式典が進行し、ハイライトの在園児送辞、卒園児答辞となる。もういけません。眼頭が熱くなってきました。そして終盤に、園児全員の斉唱がはじまった。スクリーンにさまざまな情景が次々と映るなか、「思い出のアルバム」の歌声が流れる。

 この唱歌、私は大好きである。「いつのことだか、思いだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう」にはじまり、「春のことです…夏のことです…」と歌い継ぎ、最後に心を揺さぶる名句が現れる。「もうすぐ、みんなは1年生」−涙があふれた。彼らの希望に輝く門出を祝わずにおれようか。

 幼稚園には教育の原点がある。いや、人生の原点があると言っていい。この子たちは、これから人生を自分の力で切り開いてゆくことになるが、それを大きく受け止めて協力するのが、われわれ大人の役目である。

 全国の新小学校1年生の中から、天下の大秀才が、他者の幸福のために生きる逸材が、高い志を抱いた教養人が登場することであろう。頼もしいかぎりである。

 それに比べて、教員にはお粗末なのがいる。例えば大阪の門真市立第三中学校の教員ども。昨年の同校卒業式において、国旗に対して起立表敬をせず、国歌も唱和しなかった。理由は自分の良心に反するからだと。彼らの扇動があったのだろう。生徒も起立しなかった。1人をのぞいて。

 彼らの愚劣な行為の中で、たった1人で起立した生徒はお美事(みごと)。

 そして今年、なんと教員も生徒も全員が起立したと伝えられている。

 おかしいではないか。去年、起立しなかった教員は処分を受けたとのことであるが、それが怖くて今年は起立したのか。己の良心に反するから起立しなかったと言うのであるのならば、今年も起立すべきではない。

 なぜなら、良心は法律よりも上だからである。たとい処分を何度受けようとも、信念を持って良心に従って生きるべきである。

 ところが処分が怖くて起立したと言うのならば、その良心など口先だけの吹けば飛ぶような代物である。

 大学の教員にもおかしなのがいる。例えば浅井基文なる者が毎日新聞3月10日付「新聞時評」にこう書いている。「特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公正性、中立性が高いとみられている」と。

 思わず嗤(わら)ってしまった。毎日、朝日といえば、左翼的であることは周知の事実。それを「公正性、中立性が高い」とは、見識のかけらもない。こういうのをチンドン屋と言う。

 学校の種類を問わず、この種(て)の教員はいくらでもいる。教員として劣化しているわけである。彼らは教育を職業とする以上、研修させる必要がある。

 では、何を研修させればよいかといえば、教育のこころ、教育の原点であろう。人の子を教えるのなら、人間や社会や世界をまともに見ることができるように研修させねばなるまい。その研修の場としては幼稚園が最善。そこには教育のこころや原点すなわち教育の根本がある。『論語』学而(がくじ)篇に曰(いわ)く「本(もと)立(た)ちて道(みち)生(しょう)ず」と。(かじ のぶゆき)

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