桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 9-最も"根源的な学問"は何んでしょうか-
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ご子息が希望する都内の有名大学にみごと合格したとのこと、まことに慶賀すべきことです。親として、数多くある責任のうち、まだまだ、第一コーナーの目標でしょうが、ひとつの区切りができたことと思います。ご子息は、4月から東京暮らしになるのでしょうから、月1回の割合で帰ってくるとしても、これまでよりも寂しくなることでしょう。一生のうちで、大学生の時がいちばん自由に考えられ、あらゆる分野の本が読めて、吸収できますから、きっと大きく成長することでしょう。卒業して社会に出ても、競争と勉強の毎日で、一生、勉強になりますから、死ぬまで休めません。私は、もっと早く、大学から手を引けると思っていたのですが、新たな問題意識がつぎつぎを湧き上がり、それらを実現すべく、つぎつぎと学位論文をまとめ(理学、工学、社会学(まとめ中))、2004年から着手した東大大学院総合文化研究科での社会学の学位論文のまとめも最終段階に達し、いまは、打ち合わせのために、時々、駒場キャンパスに行く程度になりましたが、その代わり、4月から、本郷キャンパスの東大大学院人文社会系研究科の研究室にお世話になることになり、時々、通って、神学の分野で原著論文がまとめられるレベルに到達できるまで精進しなければなりません。最も"根源的な学問"は、ひとそれぞれでしょうが、私は、プラトンやヘーゲルやマルクスではなくて、聖書の歴史実証学や聖書解釈学に基づく神学と受け止めています。私は、高校1年生の時から英文の「新約聖書」を繰り返し、熟読吟味してきましたが、「旧約聖書」や仏教については、耳学問程度でしたから、実質的には、世の中の人達と同様に、何も知らないに等しく、まったくのゼロに近い状態からの出発でした。そのため、今年1月15日に、それまで長きにわたり構想していた最も"根源的な学問"を実現すべく、東大大学院人文社会系研究科の神学を専攻する先生に面会し、これまで神学について持っていた問題意識を中心に、質疑応答(本欄バックナンバー参照)する中で、意外と内容がよく分かり、自身が意外と適切な考え方を持っていたことに気づきましたが、その反面、部分的には、早急に内容を把握しなければならない分野と文献があることに気づき、徹夜に近い毎日でしたが、それでも2ヵ月かけて、これまで知らなかった分野、すなわち、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、イスラーム教の基礎的事項と経典(特に神学の場合には聖典)を読み、世界の民族宗教と世界宗教の現状と考察事項が分かるようになりました。比較宗教学の観点から、それらにかかわる全体的な知識を得なければなりませんが、研究の中心は、やはり、ヘブライ語の一次資料の解読による「旧約聖書」(聖書Bibbleの語源は"数冊の本"を意味するギシリャ語のビブリヤ)の歴史実証学と聖書解釈学に基礎においた研究になります。なお、参考までに記せば、「新約聖書」は、最初、ギリシャ語で書かれましたから、研究のためには、ギリシャ語の一次資料の解読に努めねばなりません。モーセの時代から約3300年経ったいまでも、「旧約聖書」の学問的中心をなすモーセによる「旧約聖書」の「出エジプト記」には、未解明な点が少なくありません。「新約聖書」の学問的中心をなす「福音書」も同様です。ヨハネ福音書のヨハネは、12使徒のいちばん弟子の元漁師のヨハネと考えられていますが、イエスに洗礼を与えた長老のヨハネという解釈もあり、前者の説が優位ですが、まだ、確実なことは言えない段階のようです(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、p.412(1963))。何が未解明で学問的な論点になっているかが分かれば、作業がしやすくなり、効率的なまとめができるようになるでしょう。東大大学院人文社会系研究科へのかかわりは、私の研究時間の一割くらいに留め、中心となる研究や作業は、これまでどおり、米国での講演・受託研究・共同研究、国内での講演・受託研究・共同研究・学術セミナー開催等になります。米東部大学(米トップ三大学のハーヴァード大とイェール大とプリンストン大は兄弟校であり、建学精神はキリスト教、校章はバイブルをデザインしたもので、いずれも大学院神学研究科が設置されています)との関係は、東大での神学の研究の延長から、必然的に、進展することでしょう。米国での2000年からの試行錯誤は、約10年にして、自身がなすべき教育・研究とビジネスの構造が確実に見えてきました。やはり10年が一区切りになります。
桜井淳
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