現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 特集
  4. ノーベル賞
  5. 記事

ノーベル賞に「父」あり 名大・平田研究室の放任主義

2008年10月10日17時1分

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真平田義正さん(山田静之・名古屋大名誉教授提供)

 ノーベル化学賞受賞が決まった下村脩さん(80)が「一番の恩師」と慕う故平田義正氏(元名古屋大名誉教授)。下村さんにウミホタル研究を勧め、のちにライフワークとなる「光る生物の謎」と引き合わせた。01年ノーベル化学賞の野依良治・理化学研究所理事長を、29歳で京都大助手から名大助教授に引き抜いたのも平田さん。いま改めて脚光を浴びている名大の有機化学研究の伝統は、名伯楽の「いい意味の放任主義」なくしては語れない。

 平田さんは1915年、山口県生まれ。東京帝国大理学部を卒業し、54年に名古屋大教授として研究室を構えた。動植物から特異な働きを持つ天然物質を高純度で取り出す技術に優れ、フグ毒テトロドトキシンの大量抽出の成功で64年度朝日賞が贈られた。

 研究に使ったフグの卵巣は、大阪の料亭などから残り物をドラム缶単位で取り寄せた。その処理をよく手伝った妻久子さん(91)は「においがひどくて、着替えても帰りの電車に乗るのが後ろめたかった」と思い出す。

 そうやって夫妻が取り出したフグ毒は、分子構造を調べる学生に惜しみなく使わせた。「学部生も教員も対等な研究者として付き合う雰囲気があった。それに、平田先生は本当に抽出や分析機にかける実験が好きだったんですよ」と、平田さん退官時に論文集をまとめた山田静之・名大名誉教授(75)はほほえむ。

 平田さんはよく、研究室前の廊下にござを敷き、採取した植物や木の実を選別していた。泥のついたズボン、腰には手ぬぐい。「お客さんから『おじさん、平田教授はどちらに』と尋ねられ、ニヤニヤしながら『私です』と答えることもあった」

 口べたで、学内政治には関心を持たず、純粋に研究に打ち込んだ。「ストイックでシャイなところは下村さんも同じ。2人は気が合ったと思う」と山田さん。

 下村さんにウミホタル研究を指示したように、いったん学生にテーマを与えたら、その後はあまり干渉せず「いい意味の放任主義」(山田さん)だった。

 下村さんはこんな風に振り返る。「先生は朝真っ先に来て、会議や講義以外のときはいつも大部屋で実験していた。何を教えてもらったというよりも、環境がいいと、学生たちは自然に習うんだ」

 平田研究室で助教授を務めた米コロンビア大名誉教授・中西香爾さん(83)は「新しい学生に与えるテーマが、ビッシリ書かれたノートがあったと聞いている。テーマが面白かったから、学生も全力を尽くして伸びたんでしょう。ただ、人を見る目は鋭かった。野依さんを引き抜いたのも、眼力でしょう」と話す。

 先進的技術で天然物質の構造を次々と明らかにした中西さんも、米ハーバード大名誉教授で、平田研究室でのフグ毒研究で活躍し、イソギンチャク類の猛毒パリトキシンの人工合成などで知られる岸義人さん(71)も、毎年ノーベル賞の季節に名前が挙がる。

 「お弟子さんたちは本当に立派。私が察するに、平田はたいしてお世話をしなかったと思うけれど」と妻久子さんは謙遜(けんそん)する。受賞直後で多忙な下村さん夫妻を気遣って、まだ電話もかけていない。落ち着いたら、お祝いの手紙を送るつもりだ。(冨岡史穂)

PR情報
検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内