泡瀬干潟・辺野古沖を視察して

No.04


振興の証とその原因「辺野古沖」

宜野座村から目的地の辺野古に向かう前方にも次々と振興の証が登場する。まずは北部振興製の国際海洋環境情報センターと、その隣の名護市マルチメディア館(こちらは島田懇談会製)双方ともとてもモダンなデザインの建物で、畑の真ん中でまさに浮き上がっている。マルティメディアというだけあってさぞかし綺麗なWebSiteを期待したのだが・・・。名護の住人のホームページには、訪問記が書かれている、どうやらISDNは使えるらしい。困ったモノである。

その次に見えてくるのは、一昔前の万博の科学館のような建物。沖縄工業高等専門学校。こちらもまさしく北部振興製、ホームページにはなかなか面白いネタが散逸している、まずは写真館、クリックして是非大きな写真を見て欲しい、夜景もお勧めだ。情報公開のページを見ると「無線LANを使って廊下でプリントアウトする学生」という写真がある。廊下においてあるプリンターの隣で無線LANを使うことを奨励しているようだ。つっこみどころ満載だ。高専に至る道もまた凄い、高速道路と見まがうほど立派な一般道、バイパスである。それは島の至る所にある。小さな谷の上、曲がりくねった道の脇、海岸線沿いの細い道、その傍らには必ず直線のバイパスが待ち受けている。そんな小さいところまで税金を使わなくても...まさに土建体質万歳だ。もう沢山。

手前が国際海洋環境情報センター、奥に見えるのが名護市マルチメディア館

しかし、本番はこれからだ、前置きがだいぶ長くなってしまったが、いよいよ北部振興の言い訳の源、辺野古の米軍海上基地建設予定地の視察である。(所轄の防衛施設庁のホームページでは具体的な資料を見つけられない。)O氏は特別な場所を知っているらしく港とは別の方向に車を走らせる。しばらく行くと辺野古区長名で閉鎖されているゴミ捨て場にたどり着く。どうやら不燃ゴミの廃棄場だったらしくガラスや鉄くずなどが散乱し、その上に雑草が生えていて危なくて歩きにくい。しばらく行くと辺野古の海が見えてきた。崖のギリギリまで歩を進めて見渡してみる、左には辺野古の港と米軍基地、右側は宜野座村を覆う広大なリーフが広がっている。午前中の淡い太陽にキラキラ躍動するリーフは美しいの一言に尽きる。

あのラムズフェルドをして「美しい海だ」と言わせた辺野古のリーフ。廃棄物だらけの崖を注意深く降りていって、ようやく波打ち際に立つことが出来た。足下にはガラスや鉄の破片が散乱している。昔から自然環境に対する配慮に欠けた政治決定がされてきたことを示している。磯場まで行くとそういった目につく物は無くなって小魚やカニ、イソギンチャクに巻き貝、夏ならシュノーケルで是非潜ってみたい!と思わせる自然に満ちている。こんな美しい海を埋め立ててしまったら、二度と取り戻すことは出来ないのに、人殺しをする施設のために潰さないといけないのか...10年以上前、リオの地球サミットの折、カナダ人の12才の少女が放った言葉を思いだす。

「どうやって直すのかわからないものを、
こわしつづけるのはもうやめてください。※」

辺野古のリーフ。奥に米軍のキャンプ シュワブが見える。正面から右側は全部埋め立てられてしまう計画だ。

※出展「あなたが世界を変える日」なまけもの倶楽部訳:原文はIf you don't know how to fix it, please stop breaking it ! by Severn Cullis-Suzuki

12才の子どもにも分かることが土建国家の政治家には理解できない。辺野古のこぢんまりとしてバランスの取れた漁港では数人の人が座り込みを続けている。沖に目をやると海上に立てられたボーリング調査のやぐらに人の影が見える。調査が始まっているのですか?警備の人に聞いてみると、あれは反対派の人達だと教えられた。環境省の調査船は漁港に隣接する米軍基地キャンプ・シュワブから出航するのだそうだ。今日はまだ姿が見えない。この前日2004年12月21日、辺野古の海では村の漁船が総出で大規模な反対行動が行われた。沖縄の新聞2誌では一面で大々的に報道したが、本州ではどれだけのメディアが取り上げたのだろうか。

米軍を日本から追い出してしまったら誰が日本を守るんですか?自民党の議員が吠えまくる番組がある。その為にも、沖縄には基地が必要だし、その基地を住民に受容させる飴として、公共工事をして便宜を計って何が悪いのか?そりゃあ悪いでしょう、まず言葉で説得しなさいよ!住民にちゃんと説明して議論すべきでしょう。それをやらずに金をまく、なんでも選挙と同じだと思われてはこちらが困る。

平成8年(1996年)9月、沖縄では日米地位協定の見直しと米軍基地の整理縮小の賛否を問う県民投票が行われた、結果は見直し縮小賛成が89.09%。その翌年、平成9年(1997年)12月名護市では辺野古への基地移転の是非を問う住民投票が行われた。賛成する者は37.19%しかおらず、住民の過半数は反対に投じた。

先に説明した島田懇談会の設立は平成8年(1996年)8月、驚いたことにその年の11月、県民投票の2ヶ月後には提言書が提出されている。それでも足りないと見て、北部振興は平成15年(2003年)から開始された。1,000億円という税金で飴を与えて黙らせてしまおうという作戦だ。しかし、税金の大部分は族議員と土建屋の懐に消えたはず。

この流れを率いている自民党議員達、平成9年(1997年)あたりからの略歴を示すと、鈴木宗男 その後、野中広務 青木幹雄 福田康夫 橋本龍太郎 尾身幸次(参照URL)と大物と言われる(いわゆるお金持ちの)自民党員が名を連ねる。中でも尾身幸次の動向は興味深い。尾身は平成9年(1997年)経済企画庁長官であった、この時の首相は1億円という大金を貰っても忘れてしまう橋本龍太郎。興味深いのはこの経済企画庁、平成13年(2001年)の省庁再編で内閣府となるのである。(内閣府は沖縄振興開発特別措置や北部振興を担当する首相直下の組織である)ちょうどその年の4月、小泉政権誕生に合わせて計ったように尾身は沖縄及び北方対策担当大臣に就任する。見事なシナリオである。国の未来はイメージできなくても、自分の私腹を肥やす算段はきっちりと出来上がっているのだ。

静かで穏やかな辺野古の漁港。手前の船には「警戒船」という文字が書かれている。

沖に展開する3基のボーリング調査用のやぐらの足下には小さな漁船が集まっている。調査船の接近を阻止する構えだ。

住民投票から7年目の2004年12月21日、漁船27隻、約350人が参加し、海上基地建設反対をアピールしたことを1面で伝える新聞記事。