2000/9/10 第79号

無実の青年の名誉回復はまだ不十分

警察取材に対しても批判続出

―道頓堀川ホームレス投げ込み事件―

 

人権と報道の関西の会例会が七月二十二日、大阪市北区西天満の第五弁護士会館・プロボノセンターで開かれた。一九九五年に起きた道頓堀でのホームレス投げ込み水死事件について、無罪となった男性の弁護を担当した莚井順子弁護士が冤罪を生み出す構造と、それを社会的な事実として増幅、伝達するマスコミのあり方について問題提起した。九五年十月、大阪・ミナミの野宿していた男性が若者に道頓堀川で落とされて死亡した事件で、共犯として逮捕、起訴された男性二人のうち、一人は有罪となり服役(すでに出所)、一人は無罪が確定した。当初は無抵抗の野宿者を複数の若者が川に投げ込み死なせたと報道され、若者の心の荒廃が生んだ事件と解説されるなど、大きな反響を呼んだ。しかし、犯人視された一人の無罪が確定したことについての報道の扱いは最初の報道に比較して小さく、莚井弁護士は「無罪を勝ち取った青年の名誉回復は十分されていない」と訴えた。(彦)

莚井弁護士は事件の経過と問題点を次のように説明した。

 

◇事件の経過◇

事件発生は1995年10月18日朝で、その日の夕刊の報道では若い男3人がホームレスを投げ込んだという報道だった。翌19日、既に有罪が確定しているSさんと、今回無罪になったTさんの2人の逮捕状が請求されて、「殺人」で広域指名手配された。3人目のYさんは指名手配されず、重要参考人として扱われていた。3人は東京に逃げていたが、このうち、TさんとYさんは「僕らはやっていない」と大阪に帰ってきた。そこで、指名手配されていたTさんが逮捕された。当初は、2人とも「やっていない」と言っていたが、取り調べの過程で、20日の深夜、Tさんが「2人でやりました」との「自白」に導かれた。筵井弁護士は21日に当番弁護士として接見した。その日の朝刊では、「自白している」との報道だったが、本人はそうではないというので、これは「冤罪事件だ」ということになった。

◇裁判の経緯◇

裁判では、罪名は殺人から傷害致死に切り替えて起訴された。救助しようという行動があったということで、殺人から罪名が変わったようだ。その後は、1998年Sさん、二人で事件実行したという認定で有罪判決。Sさんは控訴。1999年Tさんが一審無罪判決。1999年6月Sさんが一人で実行したという認定で懲役4年の有罪判決。確定。2000年3月Tさん2審無罪判決−という経過をたどった。

 

◇ 食い違う 目撃証言

戎橋という繁華街で、朝八時半の事件で、出勤途上の人など通行人も多く目撃証言も多いなど通常の殺人事件とはかなり異なった様相を示した。ただ、証言内容はそれぞれが大きく食い違っていた。そんな中、野宿男性が落ちるところを見た人として公判で証人請求されたのは六人で、内訳は検察側は四人、弁護側は二人だった。検察側の一人は、参考人として警察に"拘束"されたYさんだ。十日間にわたって警察に寝泊りさせられていた。その中で、「二人が投げ入れたところを見ただろう」と繰り返し聞かれ、最初は「見ていない」と主張したが、結局、「見ました」と証言することになった。

もう一人は三人の知合いの女性で、当時見ていた。視力裸眼で0・1以下であるにも関わらず、二十m離れているところから見たという証言内容は非常に細かい。ただし、その内容は混乱していた。

あとの二人は、北から難波に向かっていた主婦で、戎橋の南詰の交番に通報した通報者でもある。二人は観光で近くに宿泊、付近で朝食をとるため喫茶店を探していた。二人とも落とす瞬間だけを見たようだが、一人は「背中から」もう一人は「頭からうつ伏せに」と証言している。

弁護側証人は南から北に歩いていた通勤途中の人だ。一人は橋の中ほど、一人は橋の南側で、野宿男性が落ちる場面を見た。二人とも「(落としたのは)一人でした」と証言した。近い位置で見ていた人は、通り過ぎた後で、公衆電話から一一〇番した。

◇自白内容の変遷

Sさんが東京・新宿で捕まった時には「一人でやった」と証言していた。そのまま二十四日まで、「一人で」と供述していたが、警察が執拗に「二人でやったやろう」と追及したので、二十五日には「二人でした」という"自白"に追い込まれた。しかし、一回目の拘留満了時には検察官に「一人で」と言っている。この時は検察官は調書をとっていない。その後、警察に帰って「二人で」といい、拘留理由開示で「一人で」と述べた。再び警察で「何で翻した」と責められて「二人で」に戻るなど再三変わった。

Sさんは自身の裁判でも最初の公判では、「二人でやった」と述べた。しかし、弁護側の目撃証言で「自分の記憶は間違っていなかった」と確信したという。それまでは、「警察が二人でやったのやろう、と決め付けられ、警察がウソをつくことはないやろう。自分の記憶が違うのかも知れない、との思いがあった」と話した。弁護側の目撃証言が記憶に自らの記憶にも合致するので、公判の二回目から「一人でやった」と証言した。

Tさんの裁判の争点も二人で投げ入れたのか、一人なのかだった。裁判所の認定では、「有罪とするには証拠が足りない」ということで無罪が確定した。現実には「一人で」という証人がいなければ、無罪にはならなかっただろうというのが率直な感想だ。

◇弁護側の確認した事実

Sさんらがその日、野宿男性が台車の上に寝ているのを見て、「死んでいるのではないか」と起こしにいったのがきっかけだった。そう思ったのは、台車の横に寝ているという状況はよくあるけれど、上に寝ているというのは、珍しかったからだ。最初、頬をたたいたり、棒でつついたりしていた。そうこうしているうちに野宿男性が起き、Sさんは男を起こそうとTさんに声をかけてきたが、Tさんは関わりもしないで見ていた。

そこでSさんが一人で起きた野宿男性を欄干に乗せたところ、びっくりしたホームレスがSさん君に抱きついてきた。今度はSさんが驚いて、振り払ったら落ちた。Tさんは起きたところまでしか見ていなかったと話した。水音を聞いたTさんが水面を見ると、ホームレスがおぼれていたので、二人で助けた。

ただ、二人の記憶に微妙に違いがあり、実際はどうだったのかという点については、良く分からない部分もある。

◇報道の問題点

事件をめぐる報道の問題点について莚井弁護士は次のように総括した。

◇◆◇◆◇

事件後の十月二十三日に記者会見を開いて、警察の言い分ばかりを聞かずに「Tさんはやっていない」という内容のことを言ったが、実際にはあまり広まらなかった。論調としては「やったのに認めない」という内容だった。

朝日新聞、十一月二十七日付の論説は、起訴されたことが有罪を前提にしたものだった。無罪判決後、訂正記事を出したいとの申し入れがあった。そこで、「訂正ではなく、同じインパクトを持った記事にして欲しい」と要求したところ、天声人語の形で掲載された。そこで、論説委員に「書くに当って取材はしなかったのか」と聞いたところ、「取材はした」という。では、なぜ弁護士には取材しなかったのか、と重ねて聞くと、「思いつかなかった」と答えた。朝日新聞は、そういう形で、訂正をしたが、他の新聞は書きっぱなしだ。訂正を求めたけれど、産経新聞や読売新聞は「無罪にはなったが、証拠不十分という理由ではないか」という態度だった。判決文は確かにそういう内容だけれど、真実をちゃんと見て欲しい。毎日放送は、当初、警察発表を追認する形で、「命を軽視する若者たち」という論調の追跡番組を企画した。弁護側の目撃者などと接触するうち「冤罪事件」としての確信を強め、企画の方針を変更して丁寧な取材をしてくれた。ただ、放送エリアは関西だけだ。だから全国的な印象は若者二人が、ホームレスの人を投げ込んだという印象は変わっていない。

◇◆◇◆◇

これを受けた参加者の討論では、警察発表だけで足れりとする報道側の体制に疑問が集中した。特に、事件取材のノウハウを警察取材の過程で体得する現在の記者教育と、警察情報を入手することに主眼を置いた取材体制の中で、逮捕者された人=犯人という決め付け報道に陥ってしまっている現状への批判が相次いだ。

この点について莚井弁護士は、「速報の重要性が説かれるが、警察情報を一刻も速く流すことが本当に重要な速報になるのだろうか」と話した。さらに、仮に警察から情報を得たとしても、その情報の確かさを確認する「裏取り作業」が重要なはずだが、当該の弁護士のところに取材に来る記者があまりに少ないと批判した。その上で「マス・メディアはあまりに警察の言うことを信じすぎる。我々は公判の過程などを通じて、警察がいかにつじつま合わせのウソをつくかを知っている」と指摘、真実の追究のために手間隙を惜しむべきではないと主張した。 

一方で参加者から、「弁護士側も公判中の内容についてあまり話したがらない人が多いのではないか」との問題点も寄せられた。莚井弁護士自身、「記者会見などを開いた場合は、売名行為と指摘されたこともあった」と述べ、被疑者の人権を守るための報道対応のノウハウが確立していないとに課題があることも確認された。また、裁判そのものの問題点として、無罪を争ったTさんは、事件発生以来約三年半、未決拘留されていたが、これは、有罪となったSさんが未決拘留期間を加えた懲役四年の服役期間よりも長くなっている。多くの事件で、有罪を認めた方が、権力に拘束される期間が短かったり、罰金だけですんだりするような事態が相次いでおり、「無実」を訴えて権力と争えば、「損」といった状況がある。警察は、こうした状況を逆手にとって「いつまでも争うより、有罪を認めた方が、早く出られる」などといった言葉で自白を促すことも少なくなく、無実の人の泣き寝入りを助長する伏線になっているとの危険性が改めて認識された。


赤いかざぐるまが風に吹かれてからからと回っていた。数えきれないほどの童顔の地蔵が同じ方向を向いて、無表情で立っている。外は焼け付くような日差しなのに、そこだけは周りから切り放されたように、暗くひんやりとしていた。聞こえるのはせみの声と、かざぐるまの音と、洞窟の天井から滴り落ちる、ぴちゃん、という水音だけだ。

8月のはじめに佐渡島にある賽の河原に行った。ここは、幼くして死んでしまった子供が成仏できずに、三洲の河原で、石を積んで両親の幸せを祈り続けている、という伝説を持つ。そのせいか、水子供養に来る人も多いという。ごく最近にもお参りに来た人がいるのだろう、真新しい女の子の人形が目についた。側においてある絵馬には、「産んであげられなくてごめんね、みんなを見守ってね。お父さん、お母さんより。」の文字。 幼くして死んでしまった、あるいは生まれてくることのできなかった子供たちの命は、こんなふうに、両親の心の中で、大切にされ、生き続けていく。子供たちは、今もたしかに存在している。生まれてこなくても、早くに亡くなってしまっても、生を受けたのには、ちゃんとした価値があったのだ。地蔵の側におかれた、お供え物の、人形やお菓子の数が、両親にとって、いかに子供たちが大切であるかを如実に表しているような気がした。そして、二十二歳になる自分が、今までいかに両親の愛情を受けて育ってきたのかということを、つくづく考えさせられた。

かわって、保険金のためにわが子を殺す親もいる。児童虐待に関する相談は年々増え続けている。子供に対する親の愛情は一様ではない。しかし、子供は親を選ぶことができない。どんな親の元に生まれてくるのかということは、運命のようなものだ。だからこそ、国全体で子供たちの幸せを、命の尊さを、守っていかなければならないのではないだろうか。(F)


次回例会は9月30日(土)午後4時〜

テーマは「京都・男性水死事故をめぐる冤罪問題」

 

□次回のテーマは、前回会報でも触れましたが、改めて簡略に紹介します。1990年7月、京都府宮津市・由良海岸の海水浴場に団体で泳ぎに来ていた男性(当時48歳)が水死しました。当初、事故死とされていたのですが、その2年後の1992年9月20日に突然、今度例会の講師に招く鈴村昌彦さんをはじめとした男性8人が殺人容疑で逮捕されました。新聞報道などによれば、「信者への集団リンチとして、海中で殺害した」という容疑でした。

鈴村さんの話によれば、亡くなった男性を含めた9人はもともと、宗教法人「法友之会」のメンバーで、この海水浴は仲間同士のレエクリエーションとして、自由参加で行っていたもので、あきらかな事故であるにも関わらず、わずかな人間の非常に曖昧な(内容を読むと、なんらかの誘導があった事を匂わせる)供述と「共犯者だ」と自供している人物Aさんの警察出頭により、殺人の容疑をかけられたということです。

検察は「密室の宗教団体でリンチ殺人」というタッチで新聞・マスコミ報道を煽り、センセーショナルな事件として取り上げるように仕向け、本来なら部外者以外立ち入り禁止である警察の構内までマスコミを引き入れ、世論を煽る事により、強引に傷害致死に罪状を変え起訴に踏み切りました。逮捕され起訴された8名の内、元幹部の1人とAさんを含む3人は、罪状を認めたため、わずかな拘留の後、すぐに保釈されましたが、完全な無罪を主張し、否認した5人のうち4人が保釈されたのは1年3か月後であり、主犯格とされた男性は、一審判決が終了するまでに4年もの間拘留されました。

 

冤罪を作る捜査機関、真実を見ない司法の問題

□京都地裁での公判では、物証もなく、わずかな人間の供述のみでこの事件を起訴している点を訴え、検察側の言う犯行などどこにも認められない当時の写真を提出したり、死因についても法医学者の中で溺死研究の一人者の方が「溺死の兆候はまったく認められない。完全な事故死である」とした鑑定などをもとに反証してきましたが、今年5月に有罪判決が下されてしまいました。5人は即時に控訴し、大阪高裁で闘うことにしています。 

 鈴村さんたちは、一審の際には、検察側がどのような酷い捜査をして虚像を作り上げても、裁判所と言う所は、本当に真実を見極めてくれる所であると信じて、これまでの法廷闘争も当事者だけで行い、メディアに対しても沈黙してきました。ところが今回の有罪判決により、「我々が信じてきた司法と言う物はこれほどまでに信頼できないものなのか。この司法の現状を公に訴えて行き、自身の無罪とともに二度と同じ冤罪に人々が巻き込まれないように闘いたい」という思いを固めています。不当な事件報道の背景には、何が何でも犯人に仕立て上げようとする警察・検察、そして裁判所の体質が巨大な暗闇としてそびえています。次回例会では、報道とあわせて司法の問題を改めて考えていきたいと思います。

 

会場は京都・同志社大学弘風館です!

次回例会は、9月30日(土)午後4時から開催します。  

今回は当事者が京都の方々であること、またより広範な市民の方々に輪を広げ、できれば初めての学生さんにも参加いただこうと、同志社大学今出川キャンパス(京都市営地下鉄・今出川駅下車)内の弘風館5Fで開催します。参加費は500円。会員でなくても、どなたでも参加できます。(小和田 侃)


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