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記者の視点
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日本の「医療体制の遅れ」は政治の遅れ
2009.3.18
先日、「表皮水疱症」という難病と闘う男の子のドキュメント番組を見た。表皮水疱症とは、皮膚の表皮、真皮上層や粘膜に水疱やびらんを生じる遺伝性の疾患。正常な皮膚でも強い外力や摩擦によって“水ぶくれ”などを生じることがあるが、この病気は日常生活の中の非常に弱い外力でも水疱やびらんを形成する。重症の場合は、繰り返し形成される水疱やびらんのために手足の指趾の皮膚が癒着し、日常生活が困難となるケースもあるという。
番組で紹介されていた男児は重症型で、両手の指は完全に癒着していた。感染症の恐れがあるため、全身にできた水疱を穿刺排液する日々。火傷のように皮膚がただれ、寝ていても全身のかゆさと痛みに苦しむその小さな姿に、わが子でなくても胸が苦しくなった。
現在、表皮水疱症の根治療法はなく、対症療法として水疱を壊さないように内溶液を抜いた後、抗生物質の軟膏を張り付ける。全国推定患者数は500〜640人。国の「難治性疾患克服研究事業」として「特定疾患」に指定されているため、治療にかかる費用は全額公費で賄われるが、全身に張り付けるガーゼや包帯にかかる費用は全額自己負担。男の子の成長とともにその負担は増え、体型は小さいとはいえ、幼稚園入園時でその額は月4万円にのぼっていた。
世界各国の表皮水疱症患者が集まった患者会で、ニュージーランドの男性患者がこうした日本の医療体制を「まるで20年前のニュージーランド」と指摘した。その男性によると、ニュージーランドにおける同疾患の治療費は診療、薬代だけでなく、皮膚が張り付かない特殊なガーゼも公費で賄われているという。
●いまだ改正されない臓器移植法
医療体制の遅れ―取材の仕事をする中で、この言葉を何度聞いたことか。不慮の事故でも、ましてや自己責任でもない、ただ遺伝性という理由で生まれながらに背負うには、あまりにも大きい難病の負担。今の日本は、常に医療費の抑制という言葉がつきまとうが、果たしてその議論で必要な医療までを押さえ込んでよいものだろうか。必要な医療が納得のいく形で充実している海外の事例を知るにつけ、この国の「医療」に対する考え方に疑問を感じずにはいられない。
同様の事例に臓器移植法がある。3月12日に、日本移植学会と臓器移植患者団体連絡会が臓器移植法の今国会における改正審議についての要望書を提出した。改正案のポイントは、臓器提供の要件となっている「15歳以上」という年齢規定。国内の小児の重症心不全患者が巨額の費用を支払って渡航し、手術を受ける例が後を絶たないのは、この規定によって小児用の大きさの心臓が国内で得られないためだとされる。
臓器移植法改正議論が再燃した2006年当時、国会への提出をめぐって患者家族が国会議員に対して陳情する姿を目の当たりにする機会があった。
一般の市民が議員会館を訪れ、陳情するにまで至るその決意は生半可なものではなく、訴えるその姿は必死そのものだった。それを受けた議員の発言は、法改正に向けて非常に意欲的な印象で、患者家族らに対して「皆さんの痛みをしっかり受け取った」と伝えたことを覚えている。しかしそれは衆院解散のどたばたの最中、実質審議されることなく終わりを迎えた。
当時、臓器移植法改正案の国会提出に懸命に取り組んでいた河野太郎衆院議員は記者団に無念の顔をにじませていたが、それとは対極的に、常に「世論が高まっていない」といい続ける議員や、患者家族に期待を持たせて、それ以降は何の動きもとらなかった議員の姿も記憶に残った。
かたや、最近ニュース番組を常ににぎわせている政治献金の問題、その与野党の攻防、そして解散・総選挙―いまさら言うまでもない、まさに「国民不在」の議論一色。われわれが政策を託した国会議員、その政治力への1票は「権力争い」のためではなく、制度を変えるために渡したのだ、ということを肝に銘じていただきたい。(後藤 恭子)
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