「♪光の国から僕らのために〜」やってきたウルトラマンは、またたく間に子どもたちの心をつかんだ。彼の勇姿は40年以上経った今も色あせない。
文:唐沢俊一(作家)
『広辞苑』にはウルトラマンという項目がある(平成20年発売の第6版)。もはやウルトラマンという名称は、単なるヒーロー名にはとどまらず、日本の文化の中の一ジャンルとして確立していると言っても過言でない。エネルギーが3分間しかもたないという設定、ピンチを報せるカラータイマーの“ピコン、ピコン”という点滅音、技を決めるときの“ジュワッチ!”というかけ声など、50代までの人ならいちいち説明抜きで会話が成立する。
その「ウルトラマン」(TBS系)は、昭和41年(1966)7月、前作「ウルトラQ」の、平均視聴率30%という人気を受けて制作が決定した。子どもたちの間での怪獣ブームは、テレビの「ウルトラQ」、映画の東宝ゴジラ・シリーズに加え、大映が「大怪獣ガメラ」で参戦してきたことで過熱していたが、「ウルトラマン」の大ヒットは、それら全てを露払いにしてしまうほどのムーヴメントとして日本中を席巻した。
実は“日本初のカラー作品によるスーパーヒーローもの”という栄誉は、わずか13日の差で、ピープロ制作の「マグマ大使」(フジテレビ系)に奪われてしまっているのだが、この2作を現在の目で見比べてみると、「マグマ大使」がかなりレトロに見えてしまうのに対し、「ウルトラマン」は、合成など特撮シーンの見事さも、ストーリーのテンポも、まったくと言っていいほど経年劣化していないことに驚かされる。円谷英二がアメリカのオックスベリー社から買い入れたオプチカル映像合成機を駆使した(実はこの購入代金をTBSが肩代わりする交換条件として円谷プロが特撮番組を制作し、ウルトラ・シリーズを産むことになる)特撮の見事さばかりでなく、ストーリーのテンポの早さが段違いなのだ。
これは、「マグマ大使」が、昭和30年代の子ども番組の定型であった、“引き”(果たして主人公の運命やいかに? 次回をお楽しみに、というパターン)をそのまま引き継ぐ形で番組を作っていたのに比べ、アメリカの人気SF番組「トワイライトゾーン」をモデルに「ウルトラQ」を制作した円谷プロは、基本的に1話完結の形式をシリーズの基本としており、そのスピーディーさが、高度経済成長期の感覚にマッチしたわけである。
もちろん、この方式は制作スケジュールにも、また制作費用においても大きな負担がかかる。最高視聴率42.8%を誇った番組がわずか3クール(39話)で終了したのも、その番組形態が制作側に大きな負担となったためである。しかし、それが逆に、登場怪獣や小道具の数の圧倒的な豊富さという特長となって、後にキャラクターの商品化につながり、円谷プロダクションに巨大な利益をもたらすことになる。
「ウルトラマン」は、単に昭和特撮ドラマの傑作であるばかりでなく、日本のエンターテインメント・ビジネスが大きく変化していくきっかけをも作り上げた作品と言えるだろう。
昭和33年(1958)生まれ。カルト物件評論家、コラムニスト。著書に『裏モノ日記』『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』など。
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