【北陸発】耕作地半減 就農1割に 公費300億円投入 農業振興生まず2009年3月21日
能登島投資、道路橋などに偏る半世紀近くにわたり三百億円以上の農業関連の土木事業が行われた石川県七尾市の能登島で、耕作地が最盛期から半減し、農業就業者は十分の一に衰退していることが本紙の調べで分かった。事業の大半は、能登半島と結ぶ二本目の橋、農道、土地改良など。多額の税金投入が農業振興に結び付かない戦後農政のムダを象徴している。(「農は国の本なり」取材班) 北陸農政局によると、能登島の耕作地は二〇〇五年で約四百十ヘクタール。一九六〇年から、石川県立野球場(金沢市)百八十六個分に相当する約三百七十三ヘクタール(47・6%)が減った。国勢調査によると、農業就業者は六〇年の二千四百六十二人から、〇五年には百七十七人に激減した。 現地の農協職員は「農家の七、八割は六十五歳以上の高齢者で、耕作地、農業人口とも今後さらに減る」という。 非耕作地のうち、百七十ヘクタール余は既に非農地化し、かなりの割合で山林などに戻っている。大半は公費で用・排水路を整備したが放置され、壊れて使えなくなった個所も多い。 農林水産省は六〇年代から、島内を走る総延長四十キロの農道整備や水田干拓、土地改良事業などを次々と実施。石川県が把握しているだけでも、農業関連の土木事業は六二年から〇五年までの四十三年間で三百億円余りになる。 人口約三千人の同島では、建設省(現国土交通省)予算を使った建設費五十五億円の橋が一九八二年にできたが、農水省が「農業振興に欠かせない」として九九年、六十三億円で二本目の中能登農道橋(六百二十メートル)建設を強行した。 能登島はコメ以外に、かつては葉タバコの産地として知られ、最盛期には百軒を超える専業農家があった。投下した三百億円のうち二百億円は島内の農業衰退が明白になった八〇年代以降に集中しており、国の無計画な農業投資が続いてきた。 地方の活力を奪う碇山(いかりやま)洋金沢大経済学類教授(財政学)の話 能登島で農道や橋に使った予算を営農指導や新規就農者の支援などに回していたら、事情は全く異なっていたはずだ。公共事業に偏った戦後農政は中央依存の体質を助長し、地方の想像力や意欲を奪った。小泉改革で地方が疲弊した最大の理由もここにある。 一概に無駄でない内村重昭北陸農政局長の話 農業振興だけでなく、農村や住民の環境を整えるという意味もあり、三百億円が一概に無駄だったといえない。二本目の橋は、地元から農道として造ってほしいという要望があった。 能登島 面積約4700ヘクタールのうち、山林が60%を占め、農地の9割を占める水田は2ヘクタール以下が大半。人口はピーク時に約6000人いたが約半分に減少し、65歳以上がほぼ3人に1人。2004年、能登島町から七尾市に合併した。ゴルフ場や水族館を誘致し観光に力を入れる。
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