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大本の近年の主張〜声明、見解、要望書

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 死刑廃止に賛同する教団見解を発表
亀井静香・死刑廃止議連会長へ見解文を提出


島本本部長は6月12日、東京都千代田区永田町の亀井議員事務所を訪問。亀井会長に大本教団としての考えを説明し、見解文を手渡した

超党派の議員122人でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香自民党前政調会長)が6月5日総会を開き、「終身刑導入および死刑制度調査会設置法案」をまとめ、与野党共同で今国会への提出をめざすことが発表されたため、教団本部では「『死刑廃止』に賛同する教団見解」を発表。6月12日、島本邦彦本部長が死刑廃止議連会長を務める亀井静香衆議院議員に同見解文を提出した。また同議連の全議員に対しても同文を送付した。
この死刑廃止問題については大本本部としてかねてから課題としていたものであり、人権上の観点からのみでなく、生命倫理上の問題としてもとらえ、教学委員会など本部内の専門委員会で検討が重ねられてきた。なお死刑制度は今日EU諸国を中心に先進国の多くがすでに廃止。日本は先進国中数少ない死刑制度存置国として、国連人権規約委員会からも「国際規約に違反しており、廃止に向けた措置をとるべきである」との勧告を受け(1993年11月)、日本政府の対応が世界的に注目されている。

平成15年6月12日

大 本 本 部

「死刑廃止」に賛同する教団見解

大本教団は、死刑廃止の理念に全面的賛意を表するものである。本国会において超党派の議員連盟(「死刑廃止を推進する議員連盟」)により「終身刑導入および死刑制度調査会設置法案」が提出され、日本では半世紀ぶりに死刑廃止に関する議論が国会の場で行われることに、重大な関心と期待を寄せている。 

死刑廃止問題については昭和5年(1930)、大本教祖出口王仁三郎師は死刑廃止を主張し、「死刑を廃止することは至極結構なことである。元来、刑法の目的は遷善悔悟にあるので、復讐的であってはならない。殺してしまっては改善の余地がなくなるではないか。人を殺したから殺してしまうというのは、復讐的で愛善の精神に背反するもので、実によろしくない」と述べている。

この主張は、大本の教えにもとづく人間観の立場にたつものである。

大本では、人間の生命の尊さについて「神より見れば一人の生命も大地より重しとなしたもう」と説き、人間とは大宇宙(大自然)の造物主(神)の分霊、分体を賦与された「神の子、神の宮」であり、一人ひとりは大宇宙に一人しかいないかけがえのない存在であるとみている。そしてこの世における人生の目的とは、自身の霊性を磨き高めつつ、社会の発展、公共の福祉のために奉仕し、この世において自己の完成をめざして日々精進することにある。自殺・他殺は神に対する重き罪悪であり、この世に生を受けてから天寿を全うするまで、善徳を積み、神の意志にもとづき理想世界を建設する尊い使命が与えられていると教えている。

大本における死刑廃止の理念は、各人が人生の真目的を悟り、現世において遷善悔悟(改心)することこそ、神の慈愛と赦しのもとに、万人が救われるという人類愛善の思想にもとづくものである。

死刑制度のもつ最大の欠陥は、冤罪による悲劇である。法治国家であるかぎり司法による裁きは当然であるが、裁判における誤判は不可避であり、死刑といえどもそれは例外ではない。これまでも冤罪の例は多く、この死刑制度が存続されるかぎり、誤判にもとづく無実の市民に対する殺人という基本的人権の侵害が、国家によって公然と行われることとなる。これは現代にあってはならない人道上の不正義であり、21世紀の文明社会において許されることではない。

大本は、第2次大戦前、日本の国家当局から2度にわたり弾圧をうけた教団である。特に、大正10年(1921)の「第1次大本事件」につづく「第2次大本事件」は昭和10年(1935)から10年間に及び、日本近代史上、最大の宗教弾圧であった。当時の日本は、超国家主義が異常に高揚した社会状況の中で、「人類愛善」「万教同根」を提唱し、平和主義、国際主義、普遍主義を説く大本の教義は、国家権力を強く刺激し、「大本を地上から抹殺する」との方針のもとに、治安維持法違反、不敬罪違反という治安上、思想上の違反容疑により、判決もないまま、教団の聖地は没収され、神殿など全国数百件にのぼる教団施設が強制的に破壊された。

人的被害はさらに甚大で、全国の信徒3000人余が検挙され、出口王仁三郎師をはじめ教団幹部多数が未決のまま長年拘留され、拷問を伴う苛酷な取り調べにより、獄死者が相次いだ。当時、唯一の女性被告人として6年4ヵ月獄中に過ごした二代教主・出口すみこ夫人は、警察署の取り調べで、「お前たちの一族は死刑は免れない」と言われ、警官から「末期の水」を手渡されている。

この事件は昭和17年(1942)、第二審で治安維持法違反は無罪となり、昭和20年(1945)大審院でその無罪判決が確定し、さらに終戦により、不敬罪も解消して、事件は全面解決した。いわば国家が意図的に引き起こした「冤罪」であったといえよう。

冤罪の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものである。拷問により身内を失った遺族の歎き、悲しみはもちろんのこと、無実の罪に問われた被疑者、またその家族が心におった傷は、一生涯をもってしてもぬぐえるものではない。大本を繰り返し邪教扱いしたマスコミの言論の暴力もあり、すべての大本信徒は周囲の白眼視に、身を隠すよう耐えねばならなかった。親族とは縁を切られ、差別によって地域での生活が困難に陥り、家を追われるものもあった。幼い子供たちは、大本信徒であるという理由だけで、教師に侮辱され、友達からは石を投げられ、いじめられた。

しかし、私たちはここで、大本事件の国家的暴力や、さまざまな迫害をうらみ、非難するつもりはない。過去の歴史がもたらした過ちを後世に正しく伝え、再び同様の地獄的悲劇が起こらないよう、現代を直視して、真の文明社会を構築したいとの悲願にもとづくものである。

死刑廃止をめぐる日本の現状は、国民世論が死刑廃止に否定的だといわれている。その背景には近年罪のない幼児が殺害されるなど凶悪犯罪が続発し、犯人への憤りと被害者への同情がある。しかし宗教者としてはその心情を理解してもなお、人間の生命を人間自身が恣意的に奪う死刑制度は、断じて認められるものではない。「人は人を殺してはならない」。今日この倫理の確立が切実に求められている。その意味で死刑の廃止は、あらゆる生命が尊ばれる理想社会へ向かう一里塚であろう。

また今日日本の死刑制度に関しては日本特有の問題が少なくないといわれている。その一つは、死刑に関する情報が外部に極秘にされていることである。死刑囚に対する処遇や死刑執行の残酷さなどについての客観的情報が、国民に全く知らされていない。さらに、警察や検察による人権を軽視した捜査方法や、裁判・監獄・恩赦を含めた司法制度全般にわたる構造的問題を指摘する声もある。

とりわけ重要な問題点は、遺族を含む被害者救済制度が欧米に比べて極めて不十分なことである。そのことが間接的に、死刑廃止に反対する国民世論を支えているとも思われる。したがって、死刑の廃止と同時に、被害にあった方々を物心両面であたたかく支援できる仕組みが必要であろう。

大本教団としては、これらの問題が今回の法案を機に、公の場で、またマスコミを通して広く国民に伝えられ、具体的改善がはかられることを希望するものである。そのことによって、死刑廃止に向かっての論議が進むことに大きな期待を寄せているところである。

以 上

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