桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 21-
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比較宗教論の視点から、仏教についても基本的なことは、勉強しています。最近、啓蒙書ですが、久しぶりに、瀬戸内寂聴『般若心経』(中央公論社、1991)を読み直してみました。これは、寂聴尼僧の京都にある私設のお寺である寂庵での11回の般若心経法話をまとめたものです。寂聴尼僧の法話を聞くために、考えられないくらい多くのひとたちが集まっています。東北の山奥の天台寺での法話には、午前中2000名、午後3000名も集まるのですから、奇跡的な数です。これほどひとを集められる著名人はいないのではないでしょうか。これを読むとその意味がよく分かります。寂聴尼僧の法話の魅力を一言で言えば、①寂聴尼僧の人間としての魅力、②生き方の魅力、③知識の豊富さ、④話し方のうまさ、⑤内容の面白さ、⑥ただ面白いだけでなく、その中に、ほんの少しですが、人生の本質が散りばめられており、参加者は、いつ飛び出すか分からないその本質を聞き逃すまいと、注意を集中して、耳を傾けているのです。各法話では、最初の8割くらいの時間は、世の中のことや自身の人生、さらに、釈迦の人生や仏教についてであって、残り2割くらいの時間で、本来の目的である「般若心経」について、解説しています。仏教をこれほど面白く話せるひとはいないのではないでしょうか。感心しました。しかし、釈迦や仏教について、私の知らないことは、ひとつもありませんでした。「般若心経」は、本文266字の非常に短いお経であるために、誰にでもよく分かる内容ですが、解釈の仕方によっては、無限に深い意味が含まれているのでしょう。その内容は、一言で言えば、仏教の本質であるところの"人間いかに生きるべきか"、その指針、すなわち、"好ましい考え方と行い"について、説いたものです。
桜井淳