2008/12/28
「創造性のネメシス(むくい)」
人間が死せる自我を踏み石にして
より高い境地に登って行くように
<テニソン・インメモリアル>
ということが真実であるとするならば,死せる自我を踏み石としてではなく,台座として扱う誤りをおかす偶像崇拝者は,仲間の生活から離れ,ただ一人柱の上で暮らす柱行者(Stylite)と同じようにはっきりと,人生から孤立することになる。
これからこのブログはより難解になりアクセスが限りなくゼロになることを祈りつつ記事を書いてゆきます。従ってより高い精神性が必要になります。
Exterior view of Kever Binyamin (Tomb of Benjamin), located outside Kfar Saba, Israel
幸いの子ベニヤミン参照
新約聖書のドラマの中では,キリストはユダヤ民族のメシア待望を真の意味で成就するために地上に顕現したにもかかわらず,わずか,二,三世代前に,破竹の勢いで進行するヘレニズム化に対する,壮烈なユダヤ人の反抗の先頭に立って名を挙げた法律学者とパリサイ人の一党に拒否される。以前の危機において法律学者とパリサイ人に頭角を現させた明察と高潔さは,さらに重大な危機に臨んだいま,かれらのもとを去り,応戦するユダヤ人は「取税人や遊女」である。メシア自身は『異邦人のガリラヤ』の出身であるし,メシアの最大の衣鉢継承者は,昔から”約束の地”とみなされてきた"地域の外”にある,ヘレニズム化した,異教の都市,タルソス生まれのユダヤ人(パウロ)である。
レンブラントの描いた獄中書簡のパウロ。<シュトウットガルト国立美術館蔵>
このドラマをやや異なった角度から眺めると,パリサイ人の役割を,第四福音書(ヨハネ福音書)がそうしているように,ユダヤ人全体に振り当て,取税人と遊女の役割を,ユダヤ人の受け入れない聖パウロの教えを受け入れる,異邦人に振り当てることができる。同じ"役割逆転”のモチーフが,福音書の中で述べられている数多くのたとえ話や副次的な事件のテーマになっている。金持ちとラザロの話(ルカ福音書16・19〜31),パリサイ人と取税人の話(ルカ福音書18・9〜14),祭司やレビ人に対する,よいサマリア人の話(ルカ福音書10・25〜37),品行方正の兄に対する放蕩息子の話(ルカ福音書15・11〜32)の要点がいずれもそうであるし,また,イエスとローマの百卒長との出会い(マタイ福音書8・5〜13)や,スロ・フェニキアの女との出会い(マタイ福音書15・21〜28)のうちにも,同じテーマが姿を現す。
新約と旧約の両方を同じ視野に入れて眺めると,旧約聖書のエサウがその生得権をヤコブに譲る物語(創世記25・29〜34)に対応する,新約聖書で述べられている,キリストを拒否したために,今度はヤコブの子孫(ユダヤ人)が生得権を失う話が,”役割逆転”の例に挙げられる。同じモチーフが,イエスの言葉のうちに始終姿を現す。「誰でも自分を高くする者は低くされる」(マタイ福音書23・12),「あとの者は先になり,先の者はあとになるであろう」(マタイ福音書20・16),「心を入れかえて幼な子のようにならなければ,天国にはいることはできないであろう」(マタイ福音書18・3)などがその例である。
さらにイエスは,詩篇118の中の次の節を引用していて,この教訓をかれ自身の使命に当てはめている.........『家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった』
同じ思想がギリシャ文学の偉大な作品を貫いており,ヒュプリスーアテーつまり"傲慢は破滅のもと”という表現によって簡潔に言い表されている。創造性のネメシスとはこのようなものである。ある一つの段階で成功した創業者が次の段階でもう一度創造的な役割を演じようとするとき,前に成功したこと自体が大きなハンディキャップとなり,いつも形勢が"本命”に不利に,”ダークホース”に有利になるということが事実であるとすれば,明らかにわれわれは文明衰退のきわめて有力な原因を突き止めたことになる。
この一時的な自我の偶像化のもっとも有名な歴史的事例は,新約聖書の中で暴露されているユダヤ人の犯した過ちである。その歴史の,シリア文明の揺籃時代に始まり,預言者時代において絶頂に達した期間に,イスラエルとユダの民は,一神教の思想に到達することによって,周囲のシリア諸民族の中で断然頭角を現すようになった。自分たちの発見した宗教思想の価値を強く意識し,当然のことながらそれを誇りとしたかれらは,かれらの精神的成長のこの注目すべき,しかしながら過渡的な段階を偶像化する過ちに陥った。かれらは確かに比類のない精神的洞察力に恵まれていた。しかしかれらは,絶対的な永遠の真理を発見したのちに,相対的で一時的な半真理のとりこになってしまったのである。かれらは,イスラエルの”ただひとりの,まことの神”の発見が,イスラエル自体が"神の選民”であることを明らかにしたというふうに思い込んだ。そして,この半真理にあざむかれて,苦労の末にやっと到達した一時的な精神的卓越を,神が永遠の契約によってかれらに与えた特権とみなす致命的な過ちを犯すようになった。与えられたタラントを愚かにも地の中に隠しておき,それを活用することを知らなかった(マタイ福音書25・14〜30)。かれらは,神がナザレのイエスの出現という事実によってかれらに与えた,さらに大きな宝を拒否した。イスラエルは,自己を”選民”として偶像化することによって,創造性のネメシスに屈服したのである。<Study of Historyサマヴェル縮小版より要約。訳者が予言者としたのを預言者と訂正した>
窓の外はイスラエル市街
キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュペレとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する。キリスト教の開祖者はヘーゲルの祖ヘラクレイトス(Herakleitos)と断定していいだろう。
e-nu-ma e-liš la na-bu-ú šá-ma-mu
上にある天は名づけられておらず、
šap-lish am-ma-tum šu-ma la zak-rat
下にある地にもまた名がなかった時のこと。
ZU.AB-ma reš-tu-ú za-ru-šu-un
はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。
mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-šú-un
混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。
A.MEŠ-šú-nu iš-te-niš i-ḫi-qu-ú-šú-un
水はたがいに混ざり合っており、
gi-pa-ra la ki-is-su-ru su-sa-a la she-'u-ú
野は形がなく、湿った場所も見られなかった。
e-nu-ma DINGIR.DINGIR la šu-pu-u ma-na-ma
神々の中で、生まれているものは誰もいなかった。
When on high heaven was not named,
And the earth beneath did not yet bear a name,
And the primeval Apsû, who begat them,
And chaos, Tiamat, the mother of them both,
Their waters were mingled together,
And no field was formed, no marsh was to be seen;
When of the gods none had been called into being
バビロンあるいは,バビロニアはバグダッドの南方約90キロの地点にユーフラテスをまたいで広がる。長谷川三千子氏はこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである。
イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである。これが聖地を取り違えた根本的な問題。ダヴィデとゴリアテの決闘の物語は今度書きましょうか。
OBAMA:ISRAEL in "all-out WAR"with HAMAS
The Strategic price of Israel's GAZA ASSAULTは2026年メギドの丘でのハルマゲドンに通じるのかもしれません。
エ・テメン・アンキ参照
アラム語を話す村参照
アラム語とは?
ところで日本へキリスト教が入ってきたのは中国の景教経由ですが日本の牧師さまで一体何人がアラム語を話せるでしょうか?おそらく皆無ではないかと思います。日本語でいくらイエス・キリストに話しかけ祈っても通じないのでは!それはサンスクリット語の音漢訳をした日本の仏教も同じです。ですから写経などは全く意味のないことなのです。
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