「養父母に引き取られた時、私は1カ月寝たきりでした。近所の井戸に水をくみに行くたびに『小日本鬼子』と言われ、石を投げられました」。昨年11月、尼崎市で中国残留孤児が演じた朗読劇。下平朋好さん(76)=同市=が、観客の前で日本語で語った。長女の鳳子さん(46)にとってそれは、初めて聞く父の体験だった。
朋好さんは、戦時中、両親らとともに長野県から開拓団として旧満州(中国東北部)へ渡り、12歳の時に敗戦。厳しい寒さと飢えで両親と弟が死んだ。朋好さんもひどく衰弱していたが、養父母に引き取られ、一命を取りとめた。
朋好さんは、周囲の中国人から「侵略者の子」として差別を受けた。鉄工所の工員となり、29歳の時に鳳子さんを授かった。90年に永住帰国し、尼崎市内の食肉加工工場で働いた。退職後は夜間中学に6年間通い、日本語を取り戻した。
一方、鳳子さんは92年に来日。鳳子さんの長女が小学3年のころ、学校で「中国へ帰れ」といじめられた。長女は「学校に行きたくない」と泣いて帰って来た。日本語がうまく話せなかった鳳子さんがどうすればいいのか分からず困っていると、朋好さんが長女を連れて学校に行ってくれた。鳳子さんは「父は勇気があった」と思う。
戦後63年経っても、肉親を失い差別を受けた体験を話せない残留孤児は多い。朋好さんもかつては語ることはなかった。だが、国の責任を追及する裁判などを経て、「子や孫たちが戦争を起こさないように」と、朗読劇で語るようになった。
「戦争があり、その中で父が生き延びたからこそ、私がここにいる。それを子どもたちにも伝えたい」。朋好さんの背中を見ながら、鳳子さんはそう心に決めている。
〔阪神版〕
毎日新聞 2009年3月12日 地方版