大阪は名物通天閣のお膝元、恵美須町に12年の歴史を築いたエディタウンゼントジムが昨年秋に高槻市へ移転してから早半年になる。
恵美須町での12年間で輩出した選手は、元OPBF東洋太平洋フライ級王者の小松則幸を始め、当時の王者洲鎌(尼崎)の持つ日本タイトルへあと一歩と迫ったフェザー級の奥田春彦に藤原直人、小熊坂(新日本木村)とミニマム級のタイトルを争った正藤秀明など、特色ある選手をこれまで数多く送り出してきた。
先日、新井田豊とのWBAミニマム級統一王座決定戦で敗れた高山勝成も、かつてはエディジムで全日本新人王を獲得している。
しかし、そのエディジムも少子高齢化による時代の流れには逆らうことが出来ず、特に東京への人口流出により過疎化の激しい大阪にあって、近年は練習生の減少に歯止めがかからなくなっていた。 練習生の減少は、次第にジム経営にまで支障をきたす様になり、エディジムの村田英次郎会長は昨年10月、新天地を求めてジムの移転を決断した。
実際大阪は梅田を始め一部の市街地こそ賑わいを取り戻しているが、一歩離れるとその閑散振りはひどく、ジムのあった浪速区も通天閣のある新世界の商店街などは,平日にもかかわらず昼間からシャッターが閉まっている店が数多く見受けられる有様だった。
村田会長がジムの移転先に選んだ場所は、かつてのジムからは電車と徒歩でおよそ1時間の距離にある大阪府高槻市。
大阪府の北東部に位置するこの高槻市は、人口およそ36万人の中堅都市で、JRと阪急が大阪と京都を繋いでいる事もあって非常に交通の便が良い。また、ジムの近隣に小・中・高校がいくつか位置することもあって、ジムを担う若手を発掘するには最適な場所に思われた。
実際、移転後のジムには小学生、中学生らを始め、10代の練習生の顔が数多く見られるようになった。
毎日午後の3時、4時頃になると、学校を終えた若い子らがジムの扉を叩き、元気よく挨拶を交わし練習を始める。ボクシングの練習は決して楽なものではないが、きつい練習もたくさんの仲間がいるせいか、皆で競い合って練習し、気持ちよさそうに汗を流して帰って行く。以前のジムには決して見られない光景であった。
しかし、一方で移転の決定は、かつてのジムの選手達に大きな影響を与えてもいた。
先にも述べたように高槻の新ジムは以前ジムがあった大阪市浪速区からは電車と徒歩でおよそ1時間の距離にある。多くの選手は当然ボクシングのほかにも仕事や学業を持っており、移転後は都合からか、なかなかジムに足を運べなくなっていたようだった。
加えて昨年末、これまでジムを引っ張ってきた看板選手の小松則幸が、6月に宮田ジムの内藤大助とのボクシング史上初となるOPBF東洋太平洋フライ級・日本フライ級の同時タイトルマッチに敗れると、再起を期してグリーンツダジムへ移籍。
また、これまでチーフとしてジムを支えてきたトレーナーが一身上の都合でジムを去ると、二人のジムの中での影響力は大きく、小松選手の背中を追って練習してきた選手や、チーフトレーナーを慕って練習に励んできていた選手達は次第にジムに姿を見せなくなっていった。
以前のジムでは20人ほどいたプロ選手も、新ジムが移転の一通りを終え、落ち着きを取り戻した頃には、Lフライ級のA級ボクサー橘悟朗と、移転に伴い他のジムから移籍してきた4回戦の選手のわずか2人だけになっていた。
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