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カルデロンさん一家「いつか3人、日本で」

2009年03月14日

写真

会見するカルデロンさん一家。左から母サラさん、父アランさん、のり子さん=東京・霞が関の司法記者クラブ、林敏行撮影

◇両親帰国、苦渋の決断

 蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)一家の国外退去問題で13日、東京入管との協議で両親が帰国し、妻のサラさん(38)の妹一家と蕨市で暮らすことになった長女のり子さん(13)は、東京・霞が関の司法記者クラブで両親と会見した。時折、涙を浮かべ「私にとって日本は母国。培ってきたいろいろなことを生かすために一生懸命がんばります」と話した。

 3人で帰国するか、のり子さんを残して帰国するか。東京入管は、13日を意思表示の日と定めていた。その選択以外であれば、16日に3人を収容し、翌17日に送還する方針を伝えていた。

 家族と離れて暮らすことになるのり子さんは音楽部に所属し、いま、卒業を祝う会や定期演奏会の準備で忙しいという。のり子さんは「私1人残れてもうれしくありません」とも話した。妹一家は、のり子さんに転校をさせないために、東京都北区から越してくるという

 「苦しい決断だった」(アランさん)。夫妻は92年と93年にそれぞれ他人名義の偽造旅券で入国。その反省は持ちつつ、「娘のために」と在留特別許可を求めて収容されたアランさんは、会見でそう語った。夫妻はマニラに住むアランさんの母の実家で暮らすことになる。アランさんは「我々もそうだが、不安は大きいし、大変だと思う」と、のり子さんを気遣った。

 アランさんは悲しみに耐えながら、何度も「感謝の気持ちでいっぱい」「ありがとう」と繰り返した。「いつか3人で日本で静かに暮らせることを望んでいます」

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