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なにわ人模様:「エディタウンゼントジム」会長・村田英次郎さん /大阪

 ◇遺志を継ぎ選手育成--村田英次郎さん(42)=高槻市

 ◇世界戦2回引き分け、悲劇のボクサー 「今後、高槻で興行を主催したい」

 「はい、ワン、ツー」。約5メートル四方のリング上で、練習生のパンチを受ける。「バシッ」という小気味いい音が立つと、「いいよ、もういっちょ」と優しい言葉をかける。いつもの練習光景を、柔和な笑顔を浮かべた名トレーナーのエディ(エドワード)・タウンゼントさんの遺影が見守っている。

 元東洋太平洋バンタム級チャンピオン。しかも12回防衛。この記録はまだ破られていない。世界チャンピオンに最も近い男として名をとどろかせたが、小学生のころは人見知りするおとなしい性格だったという。ボクシングを始めたきっかけは、そんな性格を案じた父に引っ張られるようにジムに連れて行かれたことだった。

 「強くなりたい」の一心で練習に励み、オリンピック代表にあと一歩まで迫った実績をひっさげて、19歳でプロデビュー。2年後にバンタム級のチャンピオンになった。世界チャンピオンにもあと少しで手が届くところだったが、世界タイトルマッチで2回連続引き分けの悲劇を味わい、4度目の挑戦となった83年9月、当時のWBA世界バンタム級王者のジェフ・チャンドラーに10ラウンドKO負けし、引退を決意した。その後、ボクシングを通じて培った人脈を頼りに、電話工事会社でサラリーマンとして働くかたわら、トレーナーとして選手育成に力を注いだ。

 転機が訪れたのは91年。エディさんを慕う人々の間から、名前を冠するジムを創設する機運が盛り上がった。エディさんの妻百合子さんの許可をもらって大阪市内に開設、会長に就任した。ジムの広さの問題などから、よりよい環境を求めて転居を重ね、06年10月から現在地に落ち着いた。

 プロに成り立てのころ、エディさんに指導を受けた。片言の日本語しか話せないエディさんは細かな技術論を指導しない。選手のパンチをミットで受け続け、良い時だけ褒める。頭じゃなく、体に分からせるために。6人の世界チャンピオンを育てた名トレーナーは、厳しいだけじゃなく、心の底から優しい人だった。試合に勝った選手は祝福の嵐に巻き込まれるが、負けた選手は孤独だ。エディさんはその負けた選手に朝まで付き添った。

 そのエディさんの名前を汚すまいと、これまでに元東洋太平洋フライ級王者の小松則幸選手や元世界ミニマム級王者の高山勝成選手ら有力な選手を育てた。

 今後の目標は高槻市で興行を主催すること。「高槻市で市出身のボクサーの試合をやって、ボクシングの魅力を広めたい」と意気込む。引っ越して来て初めて住みやすい街なのに気付いた。「プロ選手にとっては優しすぎる土地かな」と、ハングリー精神とは相反する環境を苦笑交じりに危惧(きぐ)した。体重別で争うボクサーは減量とも戦う。そのため、最近ではダイエット目的の女性会員も増えているという。「本気でやれば1時間で1・5キロぐらいは落ちますよ」と笑顔で請け負った。【衛藤達生】

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 ◇エディタウンゼントジム

 高槻市松原町6の3、高槻亀井ビル2階。プロデビューだけでなく、健康作りやダイエットのためのプログラムもある。女性専用の更衣室なども完備している。詳しくは同ジム(072・661・9050)。

毎日新聞 2009年3月15日 地方版

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