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周易と讃井天祥先生の思い出
私が運命学に始めて親しんだのは、日本易道学校に通うようになってからである。日本易道学校は、日本で一番古い「占い学校」である。今でも続いているようだが、他に占い学校があちこちにできたので、なぜかその存在が霞んでしまった。残念なことである。しかし、ここが日本の運命学、とりわけ易学研究の草分けであることは確かだ。ここで易を学んで、斯界の権威になった人は何人もいる。

その当時は、讃井天祥先生と言う方が副校長で周易、人相、姓名学を得意としていた。先生の易の腕は見事なもので、夏合宿の天気予報など半年以上前から正確に予測しはずしたことがなかった。私はその讃井先生から幸運にも大変可愛がられ、正規の教室では教えてくれないいわゆる「秘伝」なるものをいろいろ教えてくれた。今にして思うと、大変に感謝している次第である。

讃井先生の易は独特のもので、得卦と変爻によって該当する「易経」の文言を解釈するやり方,いわゆる爻辞の解釈による判断を重視しなかった。易のもつ漢字の字義の解釈を「康煕字典」にまで遡って教えていただき、それに基づいて易卦の解釈をした。白川静先生、藤堂明保先生等の漢学者の著作も読め言われ拾い読みしたことをなつかしく思い出す。先生の姓名学も画数や音韻によるより、そうした漢字の字義解釈が中心であった。ついでながら人相学の腕も確かで、死相の出ている生徒に忠告して旅行を思いとどまらせた所、その人が乗る予定だった飛行機が墜落した例など枚挙に暇がない。

易卦
地天泰の卦 ※易者の看板によく用いられている

先生の周易の手法は根本的な卦の意味の解釈を中心として、あとは「筮前の審事」を重視した。周易は人生訓が中心ではなはだ曖昧だという意見もあるけれど、占的、設問を事前にしっかり決めておけば明快な結論を得ることができる。それと得卦をいろいろ変化させる之卦、裏卦、包卦、互卦の変化を重視した。そして最後に易経を参考に考えていく占法だった。後に何冊かの易書を読んでみて、それが真勢中州の考え方、やり方に比較的近いことを知った。もちろん中州そのものの流儀ではない。筮法も本筮法は一応は勉強したが、殆どが略筮法中心だった。いろいろ占っているうちに、易を構成するそれぞれの卦辞、彖、象、爻辞 等、自然に覚えることができるからということで、無理な暗記などしなくとも良いと言われた。それで易経の講義そのものは受けたことは受けたが、一通りやっただけだった。まあ、これから易経は暇をみて少し突っ込んで読んでみるつもりではいる。

今日では、易経の中の文言の解釈など書籍でもウェブサイトからでも必要とあればその都度辞書を引くようにその都度意味を確認していけば事がすむ。易経の文言など無理に暗記しなくてもいい時代になっている。辞書を丸暗記するが如く易経を諳んじることが易道に通じる道などと堅苦しく考える必要はない。これについてはいろいろ批判もあるかもしれないが、先生の生前の腕前を考えると、私はそれでいいと思っている。もちろんこれだけが正しいなどと傲慢なことを言う気はない。いろいろな易があっていいと思う。それと同時に、この占筮法が間違っているとも思わない。

今私の手元に具体的な占例のつまったそのころの学習ノートがある。これを非公開のままにしているのはもったいないなあと思う反面、亡くなった先生との信義に基づき公開していいものかどうか迷っている。

讃井天祥先生はこういう素晴らしい先生であったが、易者に共通する欠点を一つだけもっていた。つまり、他の占い師をみな偽物と決めつける悪い癖である。しかし、姓名判断の熊崎健翁先生と「易入門」を書いた黄小娥さんのことだけは悪く言わなかった。黄小娥とは「 月の中に棲む伝説の小さな女性」という意味だそうである。

黄小蛾
黄小娥さんの易入門

近年再販された「易入門」と題する本のことを、簡潔だが基本を踏まえた良い本だとしきりに褒めていたことを思い出す。雑誌等から知る話では、彼女はさる易学研究の一員で、そこで学んだ易の内容の一部を本の形で公開した為に、研究仲間の逆鱗に触れたらしい。その為かあらぬか彼女は、出版直後に占い師を引退するという羽目に陥った。ということはこの本はいわゆる「秘伝」なるもの一部を公開したものなのであろう。真実に触れた本は、簡潔だが本質をつき分かりやすいということであろうか。
| 中国系占術 | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) | top↑ |
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