Print this Post Article Lists Back

慰安婦:「おれの心は負けていない」(下)

元慰安婦の生き様を追ったドキュメンタリー映画を手掛けた安海竜監督

 「この映画は、日本の市民運動に対する映画であるとも言えます。日本人たちが韓国人慰安婦の法廷闘争を10年間も支え続けた過程を追ったドキュメンタリー映画ですから」

 「支える会」から提供された資料は、50時間分のビデオテープ、数千枚の写真、40時間分のカセットテープだった。これを整理するだけでも1年かかった。2005年6月から、新たに撮影を行い、95分間の映像にまとめた。そして07年8月、日本で初の試写会を行った。社民党の福島瑞穂党首をはじめ、日本の女性国会議員たちもこの映画を観覧した。安監督は「監督としてこれだけの映像資料を入手し、編集することができたということは、まさに幸運だった」と語った。

 宋さんの突飛な言動ぶりは、映画にメリハリを与えた。宋さんが「2度と戦争をしてはいけない」と強く訴えたかと思えば、酒をよく飲み、記者会見場で突然歌を披露した。カーキ色の軍服を着た日本兵が慰安所の前に集まった場面を「慰安所に黄色い花が咲いた」と話すほど、表現力も豊かだ。安監督は「宋さんが切々と訴えるのではなく、正々堂々と言うべきことをはっきりと発言する様子を見て、観客たちも勇気づけられたようだ」と話す。

 「制作費を寄付金でまかなったおかげで、映画の制作で生じた収支は黒字だった」という安監督は、「収益の大部分は、韓国や日本、中国、フィリピンの元慰安婦関連の団体に寄付するつもりだ」と話している。

■宋神道さん

 宋神道さんは1922年、忠清南道で生まれた。16歳のとき、両親が決めた男性と結婚したが、その日の夜に家出した。このとき、「戦場に行けば、結婚しなくても一人で生きていける」という言葉に騙され、中国湖北省武昌にある日本軍の慰安所で慰安婦として働いた。45年に日本が降伏した後、ある日本兵に誘惑され日本へ渡ったが、すぐに見捨てられ、その後韓国人のハ・ジェウンさん(故人)と出会い結婚した。日本に住む元慰安婦として初めて、日本政府を相手取り訴訟を起こした後、証言や講演活動を続け、97年に第9回多田謡子反権力人権賞を受賞した。現在は宮城県で愛犬のマリコと一緒に暮らしている。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る